創造

創造主とセルフイメージの世界

Hitachi Dockyard 日立造船

2013-03-21 14:38:39 | 英国空軍捕虜

”By HellShip to Hiroshima”の6章は「日立造船」です、元捕虜として因島工場で働いテレンス・ケリー氏は

時にはユ-モアを交えて当時を回想しています。

冒頭に英国人エドワード・ハズレット・ハンター氏が1881年(明治14年)大阪鉄工所を創設したことが日立造船の始まりであることを述べています。

日本近代産業史の一翼を担った130年の歴史を以下で知ることが出来ます。

http://www.hitachizosen.co.jp/130/history2002.html

ケリー氏は因島工場の配置図を73ページに掲載していますが、日立造船百年史373ページでより鮮明な配置図を見れます。

ところで4月15日2時からの、向島捕虜収容所跡地(現在エブリイ)のメモリアル広場でのセレモニーには宮沢賢治のご親族が出席されます。新メモリアル設置のため御尽力いただいている縷観光協会理事の加藤慈然氏の友人とのことです。賢治は北上川の一川辺をイギリス海岸と名づけました。花巻は銀河ドリームライン鉄道で近代鉄鋼業発祥の地、釜石とつながれています。盛岡でタッピング宣教師から聖書を学び、身近なところで西欧化してゆく郷土の中に賢治は異次元のものへの憧憬を呼び覚まされていたのかもしれません。その結晶が「銀河鉄道の夜」ではなかったかと自分なりに想像します。

ところで瀬戸内海の「文明開化」は「瀬戸の白鳥」と呼ばれた「福音丸」によってはじめられたとも言われます。スコットランド・グラスゴーの造船会社の社長夫人の寄付によって建造され、ドイツ系アメリカ人ビッケル船長が乗船した福音宣教船です。そして賢治の「岩手公園」と言う詩に歌われるタッピング二世とビッケル氏のお嬢さんはやがて結婚することになりました。

瀬戸田教会にはそのエバリン・タッピング女史の弾いたオルガンが現存し、因島の重井教会の礼拝堂の柱は福音丸のマストが使用されています。向島教会は戦後米国出身のブラネン宣教師によって開拓されましたが当初から日立造船の関係者が礎となって協力されました。

「瀬戸内海国立公園」と「陸中海岸国立公園」はその近代化の歴史において相通じるものがあるのかもしれません。

それは同時に第二次大戦下における連合軍捕虜の収容の事実においても共通する者があります。

POW研究会に依れば、釜石捕虜収容所だけで、米英蘭合計50名が死亡しています。東日本地震と津波による犠牲者を追悼するとともに、遠く異教の地で天に召された若者たちのいたことも忘れてはならないと思います。

 

 

 

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