創造

創造主とセルフイメージの世界

英国大使館が尾道市へメモリアル・プレート保存の要請

2012-04-25 21:04:18 | 英国空軍捕虜

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201204250205.html

26日(木)夕6:10頃はNHKで放送の予定。

元向島紡績(旧捕虜収容所)のレンガ壁とメモリアルプレートに関するニュースは、連日のように

中国新聞、山陽日日新聞、読売新聞、毎日新聞、朝日新聞その他で取りあげられています。

英国からアガペの恵子ホームズさんと当収容所で捕虜であったカーターさんとみなさんを迎えて、紡績さんのレンガ壁に細谷和良氏制作のメモリアルプレートの前で除幕式と追悼の時を持ち、高橋秀幸氏制作の日英友好モニュメントを建てたミニパルコで除幕式と式典もったのは、10年前の2002年3月でした。

日英同盟100周年にあたりましたので英国大使館によるグリーン同盟が全国に結成され、イングリッシュ・オークが大使館のサイモン・ブラウン氏と共に植樹されました。

今年はロンドンでエリザベス女王戴冠60周年、そしてオリンピックが開催されます。1998年には向島キリスト教会で元捕虜の方やご家族と共に、追悼和解礼拝がもたれ、2002年にロンドンに招待された時はケンジントン教会で和解礼拝で説教をいたしました。

日本国内には第二次大戦中130か所の捕虜収容所があったそうですが、その建物が残っているのは新潟県の鹿野瀬とここ向島だけなそうです。(正確には収容所の木造舎は撤去され、周囲のレンガ壁及び隣接した海軍倉庫としてのレンガ建物。)

モニュメント建設時の募金活動には600名の方々が協力して下さいました。

日英友好は戦後だけのものでなく、幕末維新当時の向島出身の安保清康(林謙三)とイギリス船アゴス号との出会い、そして英外交官アーネスト・サトウとの親交にさかのぼるのではないかと思わされました。

フルベッキ師のいる長崎で学んだ安保氏は、国防の急務と王政復古による新日本の幻を西郷隆盛や坂本龍馬に訴えました。その後の歴史は広く知られていますが、日英及び国際的な交流の中で維新が成し遂げられていったプロセスはあまり語られていません。多くの日本人が西郷や龍馬ほどに安保氏の事を知らないことでも分かります。

徳島鳴門には第一次捕虜収容所跡が残され、近くにドイツ館が建てられています。隣接して日本の国際人の一人である賀川豊彦の記念館があります。ここで多くの事を学ぶことができます。

安保清康は幕末維新の国際人と称されるべき人物と言っても過言ではないでしょう。

後の教育で維新があたかも日本人だけで成し遂げたかのように教えられていったことが、誤った国粋主義と無謀な大戦を招いたのではないでしょうか。

西と東、ヨーロッパキリスト教世界と東洋の橋渡しとなり架け橋となるべき日本人が今、学ばなければならないのは明治以降の近代化の歴史を正しく検証し、自らのセルフアイデンティティを見出すことだと思わされています。

 

 

 

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