創造

創造主とセルフイメージの世界

吉田松陰の偽名・瓜中萬二

2015-02-20 09:20:25 | 黒船絵巻

松陰は家紋、五瓜に卍(ごかにまんじ)にちなんで偽名を瓜中萬二を使用しました。

卍はカギ十字ともいわれ、徳島藩のキリシタン大名、蜂須賀家政が家紋としています。ドイツ語でハ-ケン・クロイツでナチスがドイツ十字章として党章に悪用されて以来、反ユダヤカルトのシンボルにされ、親善のため阿波踊りの一行がドイツを訪問した時、卍模様の浴衣を自粛しました。

なぜ、吉田松陰の家が、この家紋を選んだのか分かりません。NHK大河ドラマ「花燃ゆ」がどこか迫力に欠けるのは、どこか史実とへだたりがあるのではという思いがします。

日本歴史の盲点は「忍び」に関する部分だと著名な歴史家が語っていました。今日でいう秘密情報部に相当しますから当然でしょうが学問的究明が俟たれます。欧米ではアラビアのロレンス、映画では007、邦画時代劇の代表作である「水戸黄門」や「刺青判官遠山金四郎」などは幕府の情報機関を思わせます。

大韓航空爆破事件の北朝鮮の工作員であったキムヒョンヒが蜂谷真由美を名乗ったように、諜報活動には偽名や変装がつきものです。

元外交官の佐藤優氏は国際関係における情報分野の重要性を指摘しています。幕末維新のイギリス人外交官だったア-ネスト・サトウの業績にはその一端がうかがわれます。維新の志士西郷隆盛も友人でしたが、西郷の部下でもありクリスチャンの荘村省三は優れた密偵でした。西郷の写真は最近やっと見つかったようですが、荘村の写真も希少です。

ところで吉田松陰について以下のサイトが注目されます。平成天皇の異母兄弟と自称される井上幸郷氏によるものです。

http://www.natural-cma.com/rekishi.html

井上氏が主張されるように吉田松陰が「忍び」であったとすれば、松下村塾は南朝革命を画策する情部員養成所でもあった言う松重揚江氏の上忍そして、中忍の桂小五郎、下忍の伊藤博文という説が信憑性を帯びることになります。(「二人で一人の天皇」松重著・たま出版)

私は山口県桜井市のご自宅に松重氏をお訪ねし、直接お目にかかったことがあります。元市会議員をされた温厚な紳士で親切に応対していただきました。

主イエスが復活されて活きておられることは信じられないと正直に語られました。それはまさしく新約時代のユダヤ教徒の主張でもありました。聖霊によらなければ、至聖所におられる主と出会うことが出来ないからです。

松重氏の史観は、鹿島昇著『日本神道の謎―古事記と旧約聖書が示すもの』やシルクロードの天皇家」(新國民社)に基づいておりました。

イスラエルの預言者エリシャは敵アラムの作戦をことごとく見破りました。それは諜報活動によるものでなく霊の目によるものでした。「超忍」ともいうべき存在で「イスラエルの戦車と騎兵たち」とも呼ばれました。(列王Ⅱ・13の14)

アラムの大軍に囲まれた時も、彼の霊眼は敵にまさる火の馬と戦車の圧倒的な天の大軍を見ました。(6の17)

旧約は天使の時代、聖所の次元ですが、主の降臨によって新約は至聖所が開かれました。聖霊による開眼は、至聖所におられる父と御子との出会いと交わりを可能にしました。

「目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。」とあります。(黙示録3の18)

神御自身が、一人の人に受肉変装されて、この世に来られました。現在、聖霊という見えない形で私たちの内に降臨されています。それは見えない至聖所、すなわち創造主のいのちを与えてくださって、その世界に目を開いて下さるためです。

吉田松陰が十字の家紋を名乗って黒船で密航しようとした本当の目的は、もしかしたら自分自身の根源的霊のル-ツを無意識のうちに模索したのかもしれません。

その黒船に、再び米国に帰り、やがて主と出会い、宣教師ゴ-ブルと共に帰国することになる仙太郎が乗船していたことに気づいていなかったとしても。

 

 

 

 

 

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