被写体の武士髪型が全員、
勤皇思想を持つ者の特徴があげられる。
次に服装であるが、マントらしきものを着ている二人、
西郷と岩倉と推測される被写体。
家紋については
http://www.harimaya.com/bakumatu/baku_011.html
を参考に、陸奥宗光の家紋はほぼ間違いないと思われる。
勝海舟と推定される人物の家紋は、勝家の剣花菱の文様
と一致するかどうか検討を要する。
刀の柄(つか)模様から身分を推察できるとも考えられるが
岩倉具定のものが白地である以外は特別な違いはみられない。
明治撮影説を支持する研究家の多くは、佐賀藩の学校における
岩倉兄弟を歓迎する入学祝い、もしくわフルベッキ師を東京に
送る記念会の場面と想定するので、勢いほとんどの被写体は
佐賀藩の洋学生であると推測している。
他方、慶応元年撮影説の研究者は、維新を願う勤皇の志士たち
の集合写真と考える。当然、西郷はじめかなりの薩摩武士、長州
の桂、大村、高杉、伊藤などもいると推測する。土佐藩の龍馬や
中岡慎太郎、そして、福井藩からの横井一族と日下部太郎もみら
れるとする。
さらに大室寅之祐という人物が写されているとの推測が浮上するに
及んで、近代日本史上、真実を解明するための極めて重要な写真
とされている。
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