1865年撮影説の根拠となる資料
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参考資料
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写真の説明〈キャプション〉
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フランス語でLe fils duTaikoun entoure de Yakouuniness (Japoan)と説明文。Taikounは大君、Yakouninessは役人。(役人に囲まれた大君の子供たち) 維新後だったらミカドの子供たちと書かれたはず。
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雑誌「太陽」1895年刊の写真説明〈戸川残花〉
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「維新前の長崎洋学生」STUDENTS OF FOREIGN LANGWAGES AT NAGASAKI BEFORE RESTORATIONとキャプションがある。
戸川は「氏が、佐賀の学生と共に撮影した写真を見ると、30年前の武士が眼前に現れるような感じがする。氏は特に佐賀の藩士に知人が多く、村田若狭が教えを聞いて受洗し、キリスト教徒になったのは今から29年前のことであり、わが国におけるキリスト教徒のさきがけである。」と記述。つまり30年前の1865年(慶応元年)に撮影されたことを覚えて30周年を記念して投稿されたことが分かる。
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グリフィスの証言
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「日本のフルベッキ」〈村瀬訳〉の中でこの写真は日本史上重要な写真で 大隈重信、岩倉兄弟が写っていると証言。
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髪型とグリフィスの記述
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グリフィス著「皇国」(「明治日本体験記」山下英一訳・平凡社東洋文庫)130ページで三つの髪型でその思想を見分けたとある。
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島田隆資『日本歴史』』(308号・332号:吉川弘文館)
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東京大田区在住の江副暢子女史(日本画家・77歳)からで「・・この写真は私の舅(義父)、江副廉蔵の記念のため私が持っているものでございますが、もしお望みでございましたらいつでもお目にかけます。・・・江副廉蔵は前列、左から三人目に座っております。これは生前の父から直接聞きましたからたしかでございます。またいちばん左はしは木戸さんか、岩倉さんでございます。西郷さんのほか、伊藤さんも大隈重信も石橋重明も居ると父から聞きましたが、私はどれがどなたである忘れてしまいました。まことに残念でございます。・・・」島田氏はさっそく江副家を訪問し、写真を見せてもらい、墓地も訪問したいきさつが述べられている。<span lang="EN-US" style="FONT-FAMILY: "MS Pゴシック&qu |
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