創造

創造主とセルフイメージの世界

柳谷謙太郎

2014-11-24 21:14:15 | 歴史

弘化四未年4月5日(1847年)中尾壽八郎の次男として誕生。

大正12年3月4日享年77歳で東京で死去。柳屋と称して

いたが、維新後柳谷に改称。

柳谷忠四郎の養継となり、蔓延元康申年稽古通詞となる。

その後、済美館の英語句読を勤めていたが、慶応三丁卯年

江戸に召されて、英人海軍伝習所の通弁役となり、明治元年

辰年6月長崎府の通弁役を勤め、・・・・・・・・

明治9年領事に任ぜられ、米国サンフランシスコ在勤を命じられる。

明治16年外務省書記官となり、翌明治17年農商務省書記官に

転ず。その後、農商務大臣秘書官、水産局長代理、兼内務局長

心得等を経て、明治21年フランスのパリに万国大博覧会開催の

折派遣を命じらる。・・・・・」

(古賀十二郎著「徳川時代における長崎の英語研究」昭和22年・九州書房)

グリフィスは「日本のフルベッキ」の中で写真に岩倉兄弟、大隈重信、柳谷

謙太郎、その他岩倉使節団に派遣された者たちを容易に判別できると述べて

いますが、写真に似た人物がフルベッキ写真に見出せるでしょうか?

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