創造

創造主とセルフイメージの世界

神の血

2011-02-18 17:49:39 | 福音

聖書には、時に聞きなれない言葉が登場します。

使徒行伝20章28節の「神ご自身の血」がその一つ

です。

不思議な言葉ですが、十字架で流された御子イエスの

血潮のことです。

へブル書、9章22節には「律法によれば、すべてのものは

血によってきよめられると言ってよいでしょう。

また、血を注ぎだすことがなければ、罪の赦しはないのです。」

とあります。

主がどうしても十字架にかけられなければならなかったか、ここで

分かります。

サタンンは罪を通して介入してきます。

聖霊は、主の血潮によって、赦されきよめられたところに、宿られ

触れられます。

創造主なる御霊は、主の贖いの血と共に働かれます。

主は4度、血潮を流されました。

私たちは、神が宿る宮として造られました。

至聖所なる霊、聖所なる心(意識)、大庭である体、

そして周囲の環境です。

サタンは、この4分野を襲うため虎視眈眈として

おります。

ですから、十字架で流された血潮に頼り、霊的宗教的罪を

きよめていただきましょう。そして聖霊様に住んでいただきましょう。

意思が弱くて、誘惑にまどわされるようでしたら、ゲッセマネで祈られた

主を思い、その時流された血潮に頼りましょう。聖霊が心に触れ、愛と喜

びと平安に満たされます。

体に病の攻撃を受けているなら、主が40に足りない鞭打ちの刑で

背に傷を負われ、流された血潮に頼りましょう。

聖霊のいやしを体験します。

生活に重荷と困難を覚えるとき、主がイバラの冠をかぶせられて

私たちが受けるべき呪いの刑を負われ、流された血潮を仰ぎましょう。

環境の中に聖霊が祝福をもたらして下さるでしょう。

 

 

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