カトリックの学者、稲垣良典氏による「天使論序説」(講談社)を片手にhttp://www.angel-zaidan.org/forum_top_western.php
で学びました。それはカール・バルト「教会教義学創造論Ⅲ・2創造者とその被造物(下)で取り上げられている天使論を理解するためでもあります。
バルトは古代教会の天使論を代表するディオニシウスの天使論は「新プラトン」的であり、中世の「天使博士」と呼ばれるトマス・アクィナスの「神学大全」4第一部(高田・日下訳・創文社)の天使論は「スコラ学」(アリストテレス)を援用しすぎているとして批判します。
私なりの理解では要するに、バルトは聖霊による視点を固執するのに対して、トマスは人間の知性も加味した考察をしているのだと思います。
いずれにせよ、西欧の神学や哲学は天使論をまともにとりあげていることを稲垣氏は指摘します。カントやデカルトの哲学も天使論抜きにはありえないそうです。
バルトはモーツアルトをあらゆる神学者に優って評価しますが、たぶんその音楽がひたすら天からの響きをかなでているからなのでしょうか。
稲垣氏もバルトも被造物の自己神格化を問題にします。創造主にのみ依存すべき存在が、自己依存に陥ること、すなわち創造主との交わりを絶つことの悲惨です。これはバルトはより徹底しており、幼児洗礼批判もその一例です。
復活の主にまみえるのは聖霊に依るのであり、人を新たに生まれさせ、内側から解放してゆくのは内住の御霊であることを強調しているのです。
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