河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

7/27(土)13時30分 NHK文化センター京都 ショパン「マズルカ」Op.59全曲、「バラード第3番」等

指揮者どうする?

2009-03-27 13:56:21 | モーツァルトに会いたい5
3月20日本番が終わった「モーツァルトに会いたい5」の
ピアノコンチェルトの演奏について、先日から書いています。
その続編です。

・・・・
指揮者が居た方がいいかそうでないかは
以前にも書いたように
結局は価値観の問題です。

今回の指揮ナシで
私の実感としてよかったのは
共演者の皆さんが
自分の音以外の他の人の音をいつも以上にとても良く聞き
積極的に音楽作りに関わってもらったこと。

オケの場合、舞台上に多人数が載るので
けっこう遠くの人の音が聞こえにくかったり
時間的にずれて聞こえることがある。

だから指揮者の棒に合わせるわけですが、
その分
指揮者の棒がすべての責任を負うわけです。

タイミングが合わなかっても
バランスが悪くても
すべて指揮者のせい。

でも指揮者が居ないと(或る程度コンサートマスターの責任があるとは言え)、
圧倒的に各個人プレーヤーの責任になるわけ。

その分みなさん真剣勝負。

たとえば私があるパッセージをやや駆け出し気味に弾いても
良く聞いててそれをちゃんとフォローしてくれる・・・とか。

実際、よく皆さん付けてくださったというとこ
いっぱいアリ。

指揮者がいても
もちろん、その駆け出し気味な所をオケは付いて来てくれますが
それは
指揮棒を通してのこと。

逆にいえば
オケの人が、自分の聞こえている音と
指揮棒がずれた場合(もちろんほんの少しのことですが)、
オケマンは
ずれていると知っていても
基本的に指揮棒に合わす(のですよね?)。

だから有名な話ですが、
某大指揮者が振るときは指揮棒を見るな、という話。
(その指揮者は彼自身の存在感でモノを言うのです。技術的な話ではなく・・)

もちろんその逆に
指揮者の居ないデメリットもあります。

オケのように多人数で演奏する場合
お客様に近い立場で
自分で音を出さない人が客観的に聞く、という人間がやはり必要ですが
それが指揮者。

あるいは
楽器によっては(たとえばティンパニなど)
やはり指揮者が居た方がやりやすい、ということもあります。

・・・・
今回は、以上のようなことを理解しつつ
私は
共演者の皆さんと共にに弾く、という感覚を優先させたかったので
ああいう形になりました。

それで
と~っってもシアワセでした。
共演みなさんありがとう!!
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