3月10日「モーツァルトに会いたい3・モーツァルトマニアック」の
当日プログラムノートの一部を再録します。
次の「アレグロ ト短調KV312」は、実は、未完の作品で、自筆譜は展開部の途中までで中断、その後、誰だかわからない人の筆跡で書き継がれています。モーツァルト晩年の窮乏生活のなかで、借金のために書くソナタの第1楽章だったと考えられています。
ピアニストとして私が何よりも興味があるのは、この曲が短調のソナタだということです。モーツァルトの全作品中、短調で書かれたものはたいへん少なく、でもその短調の曲がいずれも名作であることは有名ですが、私自身の実感として、案外、完成されず断片として残っている短調の曲が多い、と言えるような気がします。そういえば、昨年6月の「モーツァルトに会いたい②」での「ピアノトリオ」の回にも、断片の短調のトリオを演奏しました。
・・・以下コメントです。
この曲は、最初は、その「誰だかわからない人の筆跡で書き継がれてい」る所も全部演奏するつもりでした。
が、練習しているうちに、だんだん腹が立ってきて。
弾くのが難しいパッセージでも、音楽的に素晴らしければ何の苦もないのですが
苦労して練習する価値がないようなパッセージを
時間をかけて何度も弾くのは・・・。
結局本番では、モーツァルトさんが書いた部分のみを弾きました。
ホントのこというと
モーツァルトさんが書いた箇所も
テーマなどはなかなかインパクトがあるのですが
その後の展開がもう一歩で
結局途中で投げ出したのも
なんだかよくわかるような・・・。
モーツァルトさんの短調作品は
たとえば
同時代先輩のハイドンと比べても極端に少ないのですが
もともとの資質として
短調体質ではなかった?
だから
時々短調作品を書くのだけど
なかなかうまくいかない。
でもときどき
音楽的必然性から
どっちかといえば苦労して(何しろ短調体質ではないのですから)
短調作品を書き
破棄したり
途中放棄したりしたのも多くありながら
その中の少数作品が
本当に音楽的に深いものになったのではないでしょうか。
当日プログラムノートの一部を再録します。
次の「アレグロ ト短調KV312」は、実は、未完の作品で、自筆譜は展開部の途中までで中断、その後、誰だかわからない人の筆跡で書き継がれています。モーツァルト晩年の窮乏生活のなかで、借金のために書くソナタの第1楽章だったと考えられています。
ピアニストとして私が何よりも興味があるのは、この曲が短調のソナタだということです。モーツァルトの全作品中、短調で書かれたものはたいへん少なく、でもその短調の曲がいずれも名作であることは有名ですが、私自身の実感として、案外、完成されず断片として残っている短調の曲が多い、と言えるような気がします。そういえば、昨年6月の「モーツァルトに会いたい②」での「ピアノトリオ」の回にも、断片の短調のトリオを演奏しました。
・・・以下コメントです。
この曲は、最初は、その「誰だかわからない人の筆跡で書き継がれてい」る所も全部演奏するつもりでした。
が、練習しているうちに、だんだん腹が立ってきて。
弾くのが難しいパッセージでも、音楽的に素晴らしければ何の苦もないのですが
苦労して練習する価値がないようなパッセージを
時間をかけて何度も弾くのは・・・。
結局本番では、モーツァルトさんが書いた部分のみを弾きました。
ホントのこというと
モーツァルトさんが書いた箇所も
テーマなどはなかなかインパクトがあるのですが
その後の展開がもう一歩で
結局途中で投げ出したのも
なんだかよくわかるような・・・。
モーツァルトさんの短調作品は
たとえば
同時代先輩のハイドンと比べても極端に少ないのですが
もともとの資質として
短調体質ではなかった?
だから
時々短調作品を書くのだけど
なかなかうまくいかない。
でもときどき
音楽的必然性から
どっちかといえば苦労して(何しろ短調体質ではないのですから)
短調作品を書き
破棄したり
途中放棄したりしたのも多くありながら
その中の少数作品が
本当に音楽的に深いものになったのではないでしょうか。
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