昨日長々と書いて
全部消えてしまったブログ・・・。
かいつまんでもう一度書くことにします。
・・・・
メイナード・ソロモンの大著(800ページ近く)「モーツァルト」、
ホントに面白い。
毎夜お風呂で半身浴しながら読む。
重い本をポッチャンしないように気をつけながら。
・・・・
ザルツブルクといえば第一のウリはモーツァルト、
というのは今では当たり前だけど
実は
モーツァルトの死後数十年間
ザルツブルクの一切の刊行物にモーツァルトの名前はまったく出てこない
(もちろんザルツブルク以外の土地では、モーツァルトは超有名)らしい。
このことを発見したソロモンは
そこから
推理を始める。
・・・・
モーツァルトの父レオポルトは
教育パパというか、ステージパパとして有名。
神童として幼いモーツァルトを売り込むために
家族4人で3年半にもわたるヨーロッパ大旅行を敢行。
その後も何回も大旅行を計画、実行している。
その旅行で
実は父レオポルトは相当なお金を儲けたらしい
(膨大な手紙が残っているが、こまごまとした金銭的な話がやたらと多い)。
著者ソロモンは
その実際の金額を
相当なシツコサで推定、計算している。
モーツァルトは幼い頃から
その父レオポルトに従順だった。
ところがモーツァルトが成人すると
父の大反対を押し切ってウィーンで独立、結婚。
父レオポルトは
息子ウォルフガング・モーツァルトが幼い頃に神童として大旅行をした時の財産があったにもかかわらず
結局、息子を廃嫡(財産を分け与えない)したらしい、ということ。
モーツァルトはウィーンで一時はもてはやされるものの
結局、最後は借金に次ぐ借金、
極貧の中で死んでいく。
その死に際の様子も
読んでいて驚いた。
冷徹な目で描写された、
或る意味凄惨なモーツァルトの姿が
著者ソロモンによって隠すことなく明らかにされている。
可哀想なモーツァルト!
一方、姉のナンネルは
幼い頃は弟ウォルフガングとも連弾をするなど音楽家としても実力があり
ウォルフガングの信頼も厚かったが(新曲ができると姉の意見を求めたり)、
父と弟がぎくしゃくした時に
ナンネルは父レオポルトの側に付き
父の死後、その財産を受け継いだらしい。
ナンネルは長生きして
その死後相当な財産が残された。
実は
父レオポルト自身も
生地アウグスブルクで廃嫡された身だったということも
ソロモンは調べあげている。
・・・・
こういうことは
実際のモーツァルトの音楽を
物語的に聞いたり
人生と重ね合わせて「解釈」したりすることにつながりそうで
それはとても抵抗あるのだけど
だけど
たとえば今回のコンチェルトの23番第2楽章fis-mollや
24番のフィナーレのヴァリエーション(特に題5変奏)など
ある種の凄みの滲み出してる、
なんというか「イってしまってる」みたいな曲がなんで書かれたのか
を考えたとき
こういう
血筋の問題というか
一筋縄ではいかない親子のさまざまな葛藤や
あるいは
モーツァルト自身の音楽に対する大きな自負と
それに対する世間の評価のギャップ
その他多くの軋轢のなかで
モーツァルトはそれらを咀嚼、
抽象化したところで
こういう音楽を書いた・・・
のではないかと私は感じるのです・・・。
もちろん
専門的な用語を使って
ハーモニーや音型を分析して語ることは
どっちかといえば私は得意だけど(今回の2曲でも一杯あります!)
それだけでは到底届かないような凄味のある音楽を日々弾いていると
ソロモンの著書は
私にとってとても貴重な糧なのです・・・。
さて
今からお風呂。
重い本もって半身浴します。
全部消えてしまったブログ・・・。
かいつまんでもう一度書くことにします。
・・・・
メイナード・ソロモンの大著(800ページ近く)「モーツァルト」、
ホントに面白い。
毎夜お風呂で半身浴しながら読む。
重い本をポッチャンしないように気をつけながら。
・・・・
ザルツブルクといえば第一のウリはモーツァルト、
というのは今では当たり前だけど
実は
モーツァルトの死後数十年間
ザルツブルクの一切の刊行物にモーツァルトの名前はまったく出てこない
(もちろんザルツブルク以外の土地では、モーツァルトは超有名)らしい。
このことを発見したソロモンは
そこから
推理を始める。
・・・・
モーツァルトの父レオポルトは
教育パパというか、ステージパパとして有名。
神童として幼いモーツァルトを売り込むために
家族4人で3年半にもわたるヨーロッパ大旅行を敢行。
その後も何回も大旅行を計画、実行している。
その旅行で
実は父レオポルトは相当なお金を儲けたらしい
(膨大な手紙が残っているが、こまごまとした金銭的な話がやたらと多い)。
著者ソロモンは
その実際の金額を
相当なシツコサで推定、計算している。
モーツァルトは幼い頃から
その父レオポルトに従順だった。
ところがモーツァルトが成人すると
父の大反対を押し切ってウィーンで独立、結婚。
父レオポルトは
息子ウォルフガング・モーツァルトが幼い頃に神童として大旅行をした時の財産があったにもかかわらず
結局、息子を廃嫡(財産を分け与えない)したらしい、ということ。
モーツァルトはウィーンで一時はもてはやされるものの
結局、最後は借金に次ぐ借金、
極貧の中で死んでいく。
その死に際の様子も
読んでいて驚いた。
冷徹な目で描写された、
或る意味凄惨なモーツァルトの姿が
著者ソロモンによって隠すことなく明らかにされている。
可哀想なモーツァルト!
一方、姉のナンネルは
幼い頃は弟ウォルフガングとも連弾をするなど音楽家としても実力があり
ウォルフガングの信頼も厚かったが(新曲ができると姉の意見を求めたり)、
父と弟がぎくしゃくした時に
ナンネルは父レオポルトの側に付き
父の死後、その財産を受け継いだらしい。
ナンネルは長生きして
その死後相当な財産が残された。
実は
父レオポルト自身も
生地アウグスブルクで廃嫡された身だったということも
ソロモンは調べあげている。
・・・・
こういうことは
実際のモーツァルトの音楽を
物語的に聞いたり
人生と重ね合わせて「解釈」したりすることにつながりそうで
それはとても抵抗あるのだけど
だけど
たとえば今回のコンチェルトの23番第2楽章fis-mollや
24番のフィナーレのヴァリエーション(特に題5変奏)など
ある種の凄みの滲み出してる、
なんというか「イってしまってる」みたいな曲がなんで書かれたのか
を考えたとき
こういう
血筋の問題というか
一筋縄ではいかない親子のさまざまな葛藤や
あるいは
モーツァルト自身の音楽に対する大きな自負と
それに対する世間の評価のギャップ
その他多くの軋轢のなかで
モーツァルトはそれらを咀嚼、
抽象化したところで
こういう音楽を書いた・・・
のではないかと私は感じるのです・・・。
もちろん
専門的な用語を使って
ハーモニーや音型を分析して語ることは
どっちかといえば私は得意だけど(今回の2曲でも一杯あります!)
それだけでは到底届かないような凄味のある音楽を日々弾いていると
ソロモンの著書は
私にとってとても貴重な糧なのです・・・。
さて
今からお風呂。
重い本もって半身浴します。