今日12月28日の朝日新聞(大阪本社発行)夕刊文化面
「単眼複眼」で、拙歌
笛はかるく右手にかかげたましひの旅に出たまま帰りては来ず
(「文藝春秋」2007年9月号掲載「笛をかかげて・悼、河合隼雄さん」より)
がちょこっと取り上げられた。
この歌は、
まず「短歌現代」9月号に吉川(宏志)クンが取り上げ、
この12月の角川書店「短歌年鑑」で篠弘氏がそのことについて厳しい意見を書き、
そして今回の朝日新聞、と、
書かれた内容はともかく
何回か取り上げられた歌になった。
その歌がいいとか良くない、ということを越えて
話題になる歌、というのがあって
それはもうその歌の運命、
としか言いようのないものと感じる。
この一連七首は
発表した場が「文藝春秋」という
歌壇とは異なる場だったせいか
その反応も大きかったが、
思えば
締切二日前に河合先生が突如逝去、
私は
それ以前に用意していた何首かを急遽差し替え
この一連を書いたのだけれど
それも
なんというか、河合先生のお力を
とても感じる。
「単眼複眼」で、拙歌
笛はかるく右手にかかげたましひの旅に出たまま帰りては来ず
(「文藝春秋」2007年9月号掲載「笛をかかげて・悼、河合隼雄さん」より)
がちょこっと取り上げられた。
この歌は、
まず「短歌現代」9月号に吉川(宏志)クンが取り上げ、
この12月の角川書店「短歌年鑑」で篠弘氏がそのことについて厳しい意見を書き、
そして今回の朝日新聞、と、
書かれた内容はともかく
何回か取り上げられた歌になった。
その歌がいいとか良くない、ということを越えて
話題になる歌、というのがあって
それはもうその歌の運命、
としか言いようのないものと感じる。
この一連七首は
発表した場が「文藝春秋」という
歌壇とは異なる場だったせいか
その反応も大きかったが、
思えば
締切二日前に河合先生が突如逝去、
私は
それ以前に用意していた何首かを急遽差し替え
この一連を書いたのだけれど
それも
なんというか、河合先生のお力を
とても感じる。