チタンの素晴らしさと、使い方や感想、
そして、「よくある質問とその回答」などを書き綴って行きたいと思います。
ミラクルチタン(チタンオンラインショップ 店長日記)
2013.08.14 目は使えばよくなる?
(本の山=約3ヶ月分)
(本を、どんどんまとめ買い)
2年前の夏、兄妹3人で上海の生家を66年振りに訪ねたことは、このブログに書きました。
私は、その前後から近代アジア史に興味を持ち、この2年間で約200冊のアジア関係の本を読みました。
上の写真は、最近約3カ月ぐらいで読んだ本の山です。(本がたまってたまって困っています。)
実は、私が15年前勤めを辞めた理由の1つは、震災後1年半の避難生活とその後の復興作業の過労と
ストレスから、目が使いものにならなくなったことがありました。もちろん一番の原因は老眼です。
職場の端末機の画面を見るだけでウッと吐きそうなり、定年まであと1年と言うところで、職場を断念し
辞めました。
新聞購読も涙がぽろぽろ出て読むことができない為やめたので、身内や友人から叱られたものでした。
その頃、ネットサーフィンという言葉が流行りましたが、私の目にはとても無理でした。
そんな目の私がホームページを作る決心をしたのは、ひどく矛盾している感じですが、震災避難の過酷な
不安と過労の中で、もし無事に神戸にも戻ることができたらマッキントッシュを買うと決めていて、それを
目標に頑張った証だと思います。
正気の沙汰とは思えないかもしれませんが、私は本気でした。
目が辛くなれば一眠りして目を回復させられる様に、机の横に簡易ベッドを用意しようと考えていました。
自分がボスになれば、それが出来るのだからと思いました。(でも結局、簡易ベッドを買うどころか、雨戸
の隙間から朝日が射して来るまでパソコンの前に張り付いている日もあり、眠る暇がないほどでした。;;)
阪神大震災後1年半の避難生活から神戸に戻ることが出来、目標にしていたマッキントッシュ購入を果たし、
職場を辞め、ホームページ作りを始めたわけですが、その頃は、企業がホームページを作り出した時代で、
個人でしかも女性が作るというので、プロバイダーのサポートセンターの方々が驚いて大変親切にサポート
してくれたことは何度も書きました。
私は、ホームページ作りの手引書2冊を大学ノートに丸写しました。説明図まで全て。(分厚い手引書2冊
が大学ノート1冊に丁度収まったことがびっくりでした。)そうして、それを見て作業を開始しました。
涙がボロボロ出るので、バスタオルで涙を拭き拭き頑張りました。
ドライアイの人は気の毒だな~、私なんて、ありがたいことにこんなに涙が出るのだから、少なくとも
ドライアイではないし…、と思っていました。この涙が出るのがドライアイなのだとは後で知りました。
そんな目の状態ですから他人のホームページを見ることが出来ず、自分勝手にイメージして作りました。
知人の専門家から、いかにもホームページを知らない人の案ですなと言われましたが、挫けませんでした。
そうなんです、知らないのです。でも、ツクルンデス!…と言う感じです。^^;;
出来上がったとき、件の専門家が「恐れ入りました。」と言ったことも、何度も書きました。
(後年ショップを自分で作ると言った時は、絶対出来るはずが無いと迄言われ私はむくれて絶交しました。
ショップが出来た時は、「恐れ入りました。今後は付いて(?)行きます。」と迄言われました。)
その頃のパソコンの仕様は、今からは想像できないほど悪く、毎日フリーズ、フリーズの連続で、暗く粗く
小さなディスプレーで細かい作業をするので、頭痛の日々で、ますます目を悪くしました。
無理をして斜視になり、手術もしました。
それから何台ものマックを買い替える度にパソコンの性能は上がり、パワーマックになってからは画期的な
使いやすさに感動の日々で、最近まで10年以上使いましたが、目は過労からドライアイになることが時々
ありました。
そんな私に、最近大きな驚きがありました。
一日中パソコンに向かっていた年月に脚の筋肉を落とし身体を傷めたのを反省して、最近では、午前中に
一気に仕事をして、午後は外出すると決めて、喫茶店などでゆっくりと本を読むのが楽しみとなりました。
パソコンの仕事は目ばかり酷使するので、外出して目を休め、歩くことで運動しようという考えでしたが、
外出しても座って本を読むなんて、目を休めるどころか更に目を使うことになり何の因果でと思いました。
しかし最初に書きました様に、2年前の上海旅行を機に近代アジア史に興味を持ち始めてから、自分が
知らなかった様々な驚くようなことを知ることになり、読書にのめり込み気付いたら病院の薄暗い待合室
でも文庫本を読んでいて、廻りの方々に「よく見えますね。」と驚かれることが何度もあり、私ははっと
気付きました。
あの私が本を読んでいる、しかも文庫本など読めなかったのに、気にすることなく何時間も没頭している。
もしかしたら目というものは、使えば良くなるものなのか?
そこで、又私は、はっと気付きました。
身体の機能は使わなければ衰える反面、使うことによって強化されて、良くなるものなのではないか?
思い出すのは、昔先輩を見ていて私が不思議に思ったのは、老眼になるのが早い人は目をよく使う人では
なく、反対に読書をほとんどしない人の方が早いのでないか?とずっと昔に感じたことでした。
忘れていたその疑問が、久しぶりによみがえってきました。
テレビでも、細かい手作業を続けている年配の方が、眼鏡をかけていないのをよく見かける様に思います。
私は、家では老眼鏡を、外出先では遠近両用眼鏡をかけて本を読んでいますが…。
震災復興の過労で目が悪くなり端末機の画面も見られなくなり、定年まであと1年と言うところで、職場を
断念して辞めたあの私が、こともあろうに定年後の夢をパソコンの世界に掛けてしまった結果、あれほど
悪かった目を散々に酷使せざるを得なくなり、結果的に目が良くなったのでないかと、私は今、真剣にそう
考えています。
以前、目医者さんに、目は酷使で悪くなるものではなく、身体の病気でわるくなるのですと聞きましたが、
酷使で悪くならないどころの話ではなくて、良くなることもあるのではないかと、自分の例から私はそう
思っています。
(※ でも、やっぱり酷使はおすすめいたしません。)
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(追伸)
友人のNさんから、「おーちゃんの言うことはよくわかるけれど、でも遠視の人は早く老眼に
なるし、近視の人は遅いよ。おーちゃんは、身体が良くなったから目が良くなったと思うよ。」
とのこと。
彼女の知り合いで医者になるのに、何の医者になるかと考えたとき、目医者を選んだ人が居て、
目を診ると全ての病気が分かるからと言うのがその理由だったとのこと。
(そう!それは、私のいつも言うことと同じです。)
だから、私の身体が元気になったから、目がよくなったと思うとのこと。
なるほど、そうかも知れません。
私自身も、書きながら、酷使が目に良いなどとは少し極端過ぎるかなと思わないでもなかった
のですが、実体験なので書きました。
目は使えばよくなると言っても、個人の体質や、もちろん病歴など他の要因との関連があるの
はたしかだろうと思います。
思い込みの激しい私の体験談、どうぞご参考までにということでお願いします。
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