goo

2019.01.17 阪神大震災から24年、そして<阪神大震災と私>【ブログ第1700話目】

(1月17日)

阪神大震災から,今日で24年目。

 

阪神大震災で亡くなられた少女が可愛がっていたオウムにやっていた餌の
ヒマワリの種が、全壊した家の庭に落ちて花開き、その種を天皇陛下が
育てられて詠まれたものだと、たしかテレビで言っていた。 


今朝の追悼の集い。この会も、今年で終了だとか。
93才の会長の方が挨拶をしておられた。
 



<阪神大震災と私>

阪神大震災から,今日で24年目となった。
私は、その日、日本に居なかった。
旅行嫌いの私が、どうしても行って見ておきたかったところ、それは英国から
中国へ返還される前の香港だった。
上海生まれの私が、6才の時までいた当時の記憶の中の上海に、もしかしたら、
わずかでも似た所が残っているとしたら、それは返還される前の香港に残って
いるかも知れないと思っていたから。
と言っても、小学校1年生だった私は、日本人居留地に住んでいて、その道路
向かいの日本人小学校に通っていたので、その道以外はほとんど知らなかったが。
(しかし結果的に、その返還前の香港への旅では、特に収穫は無かった。) 

「お願い、次に香港に行く時は誘ってね」とひつこく頼んでいた友人から、ほと
んど10年もしてから、あんたまだ行く気があるの?と聞いて来たので、私が絶対
に行きたいと強硬に意志を示したことが、彼女のもう1つの案を引っ込めさせて、
香港に行くことを決定させた。 (香港返還の2年半前だった。)

その年上の友人に、亡くなる直前の私の母が、私を頼むと電話していたと言うことを、
この香港旅行後10年以上経ってから、その友人から聞いた。
もちろん,母が彼女に頼んだのは、一般論のことで香港旅行とは関係ない。
母が亡くなったのは、香港旅行の更に15年程前だったから。
「やっぱり母が私を香港にやってくれたのか?旅行嫌いの私を、わざわざ地震の日に
香港に行く様にしてくれたのか?」
衝撃はあったが、それでもやっぱりそうだったのだ!という思いの方が強かった。
母が行かせてくれたと言うことは、私の中ではすでに確信だったから。

兄の驚き方は、凄かった。
「旅行嫌いの◯◯ちゃん(私のこと)が、揺れる前に荷物を持ってチャッチャッと
脱出して、揺れ終わってから荷物を持ってチャッチャッと戻って来た?
こんな不思議なことがあるんや!こんな不思議なことがあるんや!!!」

神戸に戻ると,家は全壊。もし、家に居たら怪我どころではなかったと思う。
しかし、長年の友人達と往年の顧客の方々が献身的な再建を支援して下さって、
1年半後に神戸に戻ることが出来た。
(これについては、何度もブログに書いたが言い尽くしていない。8話UPしたが、
実は20話程書いている。しかし完結ではない。
この旅行については、人知を超えた不可思議な出来事が沢山あり過ぎて、自分の
筆力ではとても書き切れず、最後迄書けず疲れてしまって、諦めてしまった。)

神戸再出発後の私は感謝感謝の毎日で、今度は自分が!と、しゃにむに頑張った。
その思いは、いまだに叶えられていない。感謝は益々深くなる。 

そのボランティアの仲間の内、のばらさんが2年半前に亡くなった。
他の方々が、いつまでもお元気でいて下さることを、願うばかりです。 
 


 
※ なお、今日という節目の日に、ブログは偶然ながら【第1700話目】となりました。

コメント ( 2 ) | Trackback (  )
« 2019.01.16 ... 2019.01.18 ... »
 
コメント
 
 
 
こんばんは (YY)
2019-01-18 22:37:27
私は今でも何十年経ったとは思えず昨日の様に思ってます。

 
 
 
そうですか? (みずえ)
2019-01-19 11:26:32
YY様は、あの時、神戸にはおられなかったのでは?
それでも、その様な衝撃だったのですか?
驚きました。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。