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実務家弁護士の法解釈のギモン

弁護士としての立場から法解釈のギモン,その他もろもろのことを書いていきます

時効の効力は権利の取得?消滅?(7)

2017-06-16 15:06:49 | 民法総則
 もっとも、今までに存在しない擬制説を採用するからといって、では、従来の議論と何か異なる結論が導き出されるのかというと、正直なところそうでもない。

 まず第1に、いつ擬制されるのか。時効期間経過時か、援用時か。
 時効の効果を享受するのを当事者の意思に係らしめようというのが援用の趣旨だとすれば、擬制されるのは援用時ということになるのかもしれないが、時効の効果は起算日に遡るので、後で述べる判例の事案のような特殊な場合を除いて、私自身は擬制時(伝統的な不確定効果説の議論で言えば停止条件か解除条件か)の議論は、あまり建設的な議論とは思っていない。
 要は、時効期間が経過すれば、いつでも時効を主張して権利の消滅又は取得を擬制できるようになること自体に意味があると思っている。
 そのため、私自身は、強いて擬制時を特定すれば、援用時だろうという程度の認識でしかない。

時効の効力は権利の取得?消滅?(6)

2017-06-09 15:20:33 | 民法総則
 時効の存在根拠に照らして考えれば、おそらく③の証拠の散逸からの救済がメインの存在根拠なのであろう。
 ただし、神のみぞ知る権利関係からすれば、「有」が「無」になる関係が生じている可能性を否定できないし、もっと言えば、本当は「有」であることを争える状況ではないのだが、時効を利用して当事者が意識的に「有」を「無」に変換してしまうことも認めざるを得ない。そうでないと、時効制度は機能しなくなる恐れがあるからである。そうだとすると、①権利の上に眠る者は保護しない、という存在根拠は、時効制度を裏から支える正当化根拠ということになるだろうと思っている。
 ②の、事実状態の法的保護も、現状維持ということからすると存在根拠となり得そうだし、そう考えて何の問題もないとも思うが、私自身は、あくまでも時効が認められることによる機能面を言っているに過ぎず、それ自体は存在根拠にはならないのではないか、という気がしている。
 ただ、いずれにしても、この存在根拠論は、争いのある権利関係の処理と考えると、全体としてそれ程重視されるものではないだろう。
 以上のように、消滅したものと「みなす」、取得したものと「みなす」。これが、私の考える時効の効果であり、学説的に言えば、いわば擬制説である。

時効の効力は権利の取得?消滅?(5)

2017-06-02 11:40:27 | 民法総則
 もっと根本に戻って考えて見る。
 実体法説が念頭に置いていたのは、権利が「ある」か「ない」かということがはっきりしていることを前提として議論をしていた。消滅時効を例にとれば、「有」が「無」になるのか、あるいは「無」が「無」のままなのかはともかくとしても、前提として権利関係が「有」なのか「無」なのかを当然の前提としていた。
 しかし、訴訟の現場を素直に見れば、あるのかないのか「争いがある」というのが真実ではないのか。もちろん、神のみぞ知る真実はあるかないかのどちらかでしかないが、神ではない人間の世界には争いのある権利関係というのは当然想定しなければならない。だからこそ裁判という仕組みがある。そして、争いごとを裁判で決着することを想定して時効を考えると、訴訟法説に親しみを感じることになる。

 しかし、実は民法でさえ、争いがある場合の処理の仕方について規定している部分がある。それが和解である。争いごとを互いに譲り合って解決する仕組みである。
 時効も和解と同じだとまでは言わないが、時効制度も、争いのある権利関係について決着をつける一つの方法として実体法として存在するのではないだろうか。その時効の効果を言葉で言えば、消滅時効なら、争いのある権利について消滅したものと「みなす」、取得時効なら、争いのある権利について取得したものと「みなす」、ということである。
 このように理解できるとすると、長期間事実として動きのなかった法的状況について争いが生じた場合に、現状維持的な状況を権利関係として犠牲して解決するのが時効だということになりそうである。

時効の効力は権利の取得?消滅?(4)

2017-05-26 11:05:07 | 民法総則
 確定効果説も不確定効果説も、実体法的効力を前提としているが、実は時効学説の一つとして訴訟法説がある。時効とは、訴訟における攻撃防御方法の一つに過ぎず、時効が主張、立証されたら、消滅時効で言えば権利が消滅したと事実認定しなければならない、取得時効で言えば権利を取得したと事実認定しなければならない、そういう訴訟上の効果だというのである。
 また、これは裁判所に事実認定を義務づけるので、自由心証主義に対する例外となり、法定証拠説と言われることもあるようである。
 この説は、時効の存在根拠として③を想定していることは明らかで、証拠の散逸で証明できなくなった弁済者(消滅時効の場合)を保護し、あるいは権利者(取得時効の場合)を保護しようという趣旨になる。

 しかし、現在の時効制度は、民法に規定され、明らかに実体法的な権利義務の変動規定とされているので、訴訟法説はなかなか採用しにくい。
 が、私は理念としてこの訴訟法説に大変な魅力を感じている。

 そもそも、時効の存在根拠として、③の証拠の散逸からの救済が強調されるようになった理由は、訴訟の現場における実際の時効の主張の仕方にあると言われていたと思われる。
 どういうことかというと、例えば金銭請求の訴訟に対し、被告側の抗弁としていきなり消滅時効を主張するというよりは、まずは弁済等の通常の債務消滅原因を主張しつつ、仮定抗弁として弁済が立証できなくても消滅時効に係っているという主張をする場合が多いらしいというのである。実際、実務を行っている立場からしても、確かにそうかもしれないと思うところである。
 つまり、本来は弁済等の通常の債務消滅原因を主張し立証したいのであるが、証拠がないからやむを得ず消滅時効を主張しているのが実務ではないか、ということなのである。だからこそ、時効の存在根拠として③が強調されるようになってきている。
 しかも、この実務の現象を素直に見れば、まさに訴訟法説が念頭に置いている場面そのものではないのか。私が訴訟法説に魅力を感じる所以である。

時効の効力は権利の取得?消滅?(3)

2017-05-19 09:37:26 | 民法総則
 以上とは別に、時効の存在根拠は何かという問題がある。一般に3つの根拠が言われており、①権利の上に眠る者は保護しない、②事実状態の法的保護、③証拠の散逸からの救済、の3つが併存しているような状況である。
 かつては、このうち、①権利の上に眠る者は保護しないという点が強調されていたやに思われるが、最近は、③証拠の散逸からの救済に主力がおかれているであろうか。
 しかし、①と③では意味合いが大分異なる。①は、消滅時効で言えば、もともと存在していた権利も、長い間権利行使ないでいれば、裁判所はそのような者を保護しないというのであるから、有が無に変身する理屈である。取得時効は逆で、無から有が生じることを是認する理屈である。これに対し、③は、消滅時効で言えば、本来は債務が消滅しているのであるが、長期間経過したことにより証拠が散逸し債務消滅を証明できなくなってしまうことがあるから、これを救済するために時効の援用をすることを認めたものと理解することになる。要は、本来無であるものについて無の効力を維持させるものである。取得時効は逆で、有であるものについて有の効力を維持させるものと理解される。②の、事実状態の法的保護という存在根拠は、特に取得時効で問題となりやすいが、どちらかというと無から有を生じさせるものと理解されがちである。そうだとすると、時効の存在根拠の中で、③だけが異質ということになるが、近年はこれが強調されることになっていると言うことだろう。

 しかしである。それでは、時効の存在根拠を③を中心に考えたとして、これと時効の効力に関する学説との関係はどうなのか。時効の存在根拠として③を中心に考えて無は無のまま、有は有のままと言っているにもかかわらず、時効の効力に関する学説では、有を無にする関係、無を有にする関係を一生懸命議論しているのである。まるであべこべである。
 もちろん、学者は、いくら時効の存在根拠を③を中心に考えたとしても、有が無になる場面、無が有になる場面が現実に起こりうるから、そのような場面も想定した上での議論であると言いたいのであろう。それはそれで分からないわけではないのだが、では、時効を援用せずに本来無であったものに対して弁済してしまったらどうなのか、あるいは時効を援用せずに本来有であった所有権を行使しなかったらどうなるのか。これは、時効の効力に関する学説が想定する場面に対する裏の問題である。表があり得るなら当然裏もあり得るはずである。この裏に対する答えはあるのだろうか。