michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

『心象記憶』

2017-10-13 14:22:18 | 想い

いつも母は ヘルパーさんに お風呂に入れてもらっています。

ほっかほかに温まって上がってきて、

その度に「ああ、極楽~」と言うのです。

「こんな、昼間っからお風呂入れてもろてー」

そして、昔のことを思い出し、ニコニコと こんなことを言うのです。

「そのころは全部で10人くらいの家やった。嫁だから、お風呂は一番最後。

michiはまだ小さかったから、眠くなる時間。

寝たらあかん~寝たらあかん~言うて起こしながら入れたんや。」

 

――この話はもう何度も何度も聞かされ、その度にこちらは

「すみませんでしたねぇ。お世話になりましたね」と笑いながら頭を下げるのです。

 

さて、かめおかゆみこさんのメルマガ〔今日のフォーカスチェンジ〕10/4のテーマは、

「自分を幸福にするために」でした。

一部抜粋すると、

 

  そして、あらためて、「心象記憶」の
  おもしろさに気づいたのです。

  私ほど極端でなくても、誰もが、
  記憶のずれはもっているでしょう。

  ということは、
  いま、こうだと思いこんでいること、

  それって、事実とはことなる場合が
  あるということです。


  自分にとって、うれしくない記憶が、
  もしも、自分の思いこみによって
  つくられているとしたら…?

  それを後生大事にかかえている
  必要って、あるのでしょうか?

 

これ、とても共感し、心に深く入ってきました。

そこから思ったんです。

母の昔話は、年齢の計算が合わなかったり、

ん?ほんとに?と首をかしげたくなることもあったりしますが、

母はとにかく、昔を懐かしんだり、目の前の人とおしゃべりしたい、

そういうような気持ちから話をしているのかも、と。

何度も同じ話を聞かされても、

ああ、楽しんでいるのね~、と

受けとめられるようになってきました。

 

 

 

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