『アインシュタインの目』、先週だったか
競技かるた名人の早業を解明する、というものでした。
そのカギがいくつかあったんですが、その一つに
「聴き取る力」があったんですね。
たとえば「さ」で読み始めたとき、
「さ」の「S」、無声音の時点で、もう反応して手が伸び始め
その次の瞬間の「a」の雰囲気を察知?予感?の段階でバッと取ってしまう。
これは、興味深かった。
難聴でも色々ありますが、私の場合、
音量が小さいというのもあるけど、さらに
まるで昭和初期のラジオか、大正・明治頃のか、
とにかく、不鮮明。 ナニ言ってるのかあまり分からない、それを
グッと集中して、イントネーションや、
その場の状況や、話し手の口の動き・表情とか、話の前後、
などなどから推測していくんです、無意識のうちに。 それの連続――。
もちろん、名人は、ウチらのレベルの比ではないでしょうけどね。
で、実際には、わたしの耳には、
所々が推測だったり、ほとんどが想像・勘だったり、
ゼンゼン分からなくてお手上げだったりするんですが。
視覚障がいの友人が2人います。
それぞれ、道もドンドン歩いたり、かなりフツウに生活しているようですが、
聞いてみると、
*明るさで、グッと見え方がちがってきたり、
*視界がすごく狭くて、まるで筒から覗いているよううだったり。
私たちのそれとは ずい分違う。
でも、それなりに 仕事し、暮らしているんですよ。
視覚と聴覚ではちがうでしょうし、色んな条件は それぞれですけど…、
消極的になってしまった自分を 時々省みたりしてるんですけどね。。