michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

乗り越えたこと、そしてその過程も伝えて   〔ひと〕

2011-06-22 08:06:26 | Weblog

きのう BSプレミアムで、舘野泉さんの番組がありました。

(Mちゃん、教えてくれてありがとね )

旅のチカラ「未来を奏でるオーケストラ~舘野泉 フィリピン・セブ島~」

です。

番組内容は、
『左手だけのピアニスト・舘野泉。脳溢血で倒れる前に、フィリピン・セブ島の貧しい子供たちとオーケストラを結成、支援していた。舘野は12年ぶりにセブ島を訪れる。』

心あたたまる番組で、
舘野さんの優しい気持ちも、とっても伝わってきました。

フィリピンの若い人たちは、貧しくても未来がある、
まるで宝石の原石のよう。
そんな風に見えてきますね。


ただ、
倒れたときの気持ちのことを質問されたとき、
「2年間、ピアノを弾くことが出来なかったんだ。」
「『左手のための曲』に出会って、それから弾けるようになったんだよ。

こんな答え方だったと思うんです。




私がこれまで観た番組とかでは、
彼は倒れてマヒが残り、すごい苦悩の月日があって、

その頃も『左手のための曲』というのがあることは知っていたけれど、
「そんなの…、弾くもんか!」って
頑なな感じだった。
(それは、「左手の練習」のための曲だった。)

でも息子さんが、ある楽譜を持ってきてくれて、
弾いてみたら、意外なほど音楽性が感じられ、
これはいける、と練習しだした。

親しい作曲家に、左手のための曲を作曲してほしいと依頼するなど

すごく積極的になった。


そんな風に乗り越えたあたり、ひと言でも良いから
あの若い人たちに伝えてほしかったんですが、
難しかったのか? それとも、あえて言わなかったのか…?
または、今では、彼の中に残る印象は、そんな感じなんでしょうか?


私にとっては、
その「乗り越えた」「頑ななものを取っ払った」というところが

すごいと思うし、
人間的な魅力になっているんです。
すごく惹かれて、
自分もその何%か、芥子粒ほどでも…、って思わせてくれるんです。


舘野さんだけじゃなくって、
いま尊敬したり心惹かれている人の、ほとんどがそんな感じ。
「どん底の時期があったけれど、その人なりに、ナントカ乗り越えた」とか、
「周りの人との交流とか、手助けを得て」とか。

そうして、
その過程も、恥ずかしがったり包み隠したりせずに
ありのまま話してくれる辺りがまた、素晴らしいって思うんです。


ま、番組製作の意図とかもあるのかもしれませんしね…。

  録画を、もう一度観てみましょうかね。

 



 

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