日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 今の私・・ *

2022年12月19日 | 雑感


今年も2週間を切った。 
本来ならこの時期はせわしい、年末らしく家の掃除に加え楽しみでもあるが心にかかりながら過ごす毎日。  
小学校の5,6年を受け持った担任の男先生から、今年卒寿なのでこの辺で年賀状を失礼させて頂きますと届いた。
達筆で優しい文字、心に残る言葉を必ず添えてくれていた年賀状、生涯尊敬できる先生だった。
夫の30枚はある時期から夫が書いてくれるようになったので、夫婦連名、私の宛名分の年賀状は80数枚。

子供の頃から下手でもイラストを描いたり折り紙を貼ったりと手を加えて、表と裏は自筆そのスタイルは未だ変えられない。
受け持ってくれた先生や身内や友人、ブログ繋がりの方や増えて行った、それはそれで年に一度でも嬉しい繋がりだった。
今や年を重ね・・印刷でもいつも手書きの言葉を添えて下さる方はいいとして、表裏印刷の方には負担ではないかと思ったり、
失礼しようか、どこかで夫闘病につき・・とか切り出してこの辺で・・と葉書を出そうかとか思ったりしたが出来なかった。
故郷のブロ友さんはご主人を亡くされ、寂しいので年賀状は届けて欲しいと、電話した何人かの方にもそう言われた。
楽しみにしていると言われたら嬉しいが、頂いた年賀状を見ながら思いを馳せ書かせて頂くのも、私の大きな楽しみなのである。

今年この時期なんか違う・・意外と落ち着いていられるのは・・8月末亡くなった母の喪中葉書を出したからだと思った。
エプソンのサイトから母に似合う色あいのテンプレートを選び、言葉やレイアウトに少し時間を費やした。 
せめてもと宛名書きは筆ペンで書き11月半ば過ぎに投函した。 その心の余裕が今なんだと思う。
この頃から、いやもっと後から毎日毎日筆ペンで年賀状を書き、いつも28日頃投函していた。 30日に出したこともある。 
私は80数人に書くけれど、頂く方は一人の私からである。 さっささっさと書くべきものでもない年賀状。

30年くらい前だったろうか、会合で使用する印刷物を100人分ホッチキスで留める作業を頼まれた時、注意された事がある。
「あなたは100冊分を留めるが、もらう人は1冊を手にする。 ホッチキスの位置を正しく心を込めて止めるように」
そのような時に合う時必ず思い出す、もらう人には1つ、1冊だと言う事を。 年賀状にして然りである。

イラっとしてないと言えば噓になるが、今私には一番欲しいものがある。 美味しいもの、洋服でも、旅行支援の旅でもない。
コンビニの個と、ちょっと何がしかをそばに置いて・・一日何も家の用事をせずに
家族とはラインで。 部屋に閉じこもり、パソコンの前に座りたい! 宅配さんには出るけど
家族や姉妹の次に・・私の一番のお気に入りは撮った写真を添えながら、パソコンの前に座りブログを書く事なのだ。
先達ての旅の富士山の絶景画像も、草稿中の記事もある訳で・・。

今は、リアクションが出来るが、コメントを閉じておられる方には、そうそう・・私も同感です! 写真とても素敵です! 
感動したり残したいコメントもあるのに、ツイッターもフェイスブックも知らないし残せないコメント。
この記事もある方の記事を拝見し、同じようなことをずっと思っていたのでそれをヒントに書かせて頂いたのである。
一日中・・私の部屋を訪ねて下さった方の足跡を追いブログを訪問させて頂き、せめてひとつでもコメントをさせて
頂き(ありがとうございます)を伝えたい。 今少し不足に思うことがあるとすれば、それが中々叶わないことかな?
見えないネットの縁と言えども、私の人生の一部を楽しませて頂き感動や共感や生活のヒントも沢山頂いている訳である。

今日と言う日は、二度と来ない。 だから今日を(縁を)大切に。 今の私・・。


* ひとつ・・年を重ねました・・ (12月6日) *

2022年12月11日 | 雑感


無事・・ひとつ年を重ねた。

今の時代、病気はもとより生きたくとも自然災害やコロナ、事件、事故、・・思わぬ事柄で尊い命を失うことが良くある。
今こそ、今だから・生きていると言う事は決して当たり前でなく、奇跡・・位に思っている。

誕生日、NHKのドラマが終わった頃、必ず電話が鳴った。
私ばかりか、兄弟皆が同じようにいくつになろうと、母は誕生日には必ず電話で祝ってくれるのだ。
旦那さんの誕生日も、結婚記念日にも。


9年前  ”ごちそうさん”  のドラマ見て夫と二人で涙が止まらなかった時があって、その時電話が鳴った。
「おめでとう」まったり優しい母の声「ありがとう」
会社に行く前だった夫が電話をとって、「お母さんありがとう、お元気で・・会社に行くけん」

「ごちそうさん見ながら、家族みんなが揃うっていいねと二人で泣いててん」
「そうかね、あんた一緒に見る人がおる、一緒に泣ける人がおるのは幸せなことじゃよ、感謝しんさいよ」
はっとした。 言われるまで二人で・・って当たり前に話したのに、母の言葉にはっとさせられた。 
「お母さん、すごいね。 すぐにそんな言葉が出るなんて本当にすごい。 お母さんはなんでも感謝やし、
なんでもプラス思考、すごいね」 そう言いながら母の言葉に涙が止まらなかった。  
「朝、お仏壇のお父さんに、みっちゃんが64歳の誕生日を迎えたよと報告したよ」 

半分泣きじゃくりながら「私はお母さんみたいな母親にはなれないわ、いつもなんでもそんな風に思われへんし、
子供たちにもそこまで思いが足りて無いし、本当に駄目やわ」 
母は笑いながら「そがに思わんでも・・。 まぁ身体に気をつけて元気で頑張りんさいよ」 90歳の母に言われた。  
「お母さんこそ身体に気をつけて・・」 
電話を切った後、かなわない母の深い親心に打たれたと同時に、自分の至らなさや薄っぺらな心に力が抜けた。

あれから9年、享年100歳・・8月に母は逝った。 
見事に生き切った人生を讃えることはあっても、悲しいと言う気持ちはそれほどなかったのに。
こと秋に至っては時に触れ折に触れ・・日が経つごとに、事あるごとに母の言葉が次々と溢れ涙ぐむ時がある。

「年を重ねるほど 元気で誕生日を迎えられることのなんと有難いことか」母にいつも言われた。
54歳で父が亡くなり・・どれだけ寂しくどれだけ責任感を持ちながら5人の子供たち家族に寄り添って来てくれたことだろうか。

朝から、家族・・子供や孫はもとより、姉妹から、お嫁さん、田舎の友人たちから電話やメッセージ、プレゼントをもらった。
母がいつも言っていたけれど「私は・・何もしてあげてないのに・・」同じ気持ち、もったいない。

月一のゴルフだった夫を早朝見送るとき、「帰りにケーキを買ってくるけん」
ピザパーティーのあと、歌うたってから「一応ローソクしようや」と言う・・吹けるかな? 
こんな誕生日を祝う習慣も、幼い頃から決して欠かさなかった母からの継承である。

年を重ねるほどに迎える誕生日のなんと有難く幸せなことか、73歳を無事迎えられた。

誕生日は生んでくれた親に感謝する日でもある。

決まり文句ではあるが 生んでくれてありがとう、お母さんの子供に生まれてきて幸せです


* 繋がる・・ *

2022年12月02日 | 雑感


3時きっかりに目が覚めた。 夫も同時に起きた、今日は違う。 

テレビはサッカーの試合前の練習風景を映していた。 競技場は半端ない盛り上がり。
勝って兜の緒を締めよ、いや負けていっそう兜の緒を締めたに違いない。
時間が迫ってくると、なんだかこちらまでドキドキしてきた。

千葉は一回戦、「どうせ・・とかたぶん・・とかで見てなかった非国民」と反省して・・今回は違う。
私だって変わらない、サッカー分かっている訳ではないが、日の丸背負って世界と戦ってくれている、
さすがに応援しないとね。 夫はああだこうだ語りながら興奮気味。 

4時16分に千葉からスマホのグループライン 四姉妹の部屋 がONになった。 次々と勢ぞろい。
ホイッスルが鳴ると緊張、もう後がないのだから。
夫はなんだかんだ言いながら騒ぐ、珍しく。 私も合わせて応援を楽しむ。  

ゴールが決まる最後の奇跡的な瞬間、歓喜!  歓喜! 「やった~!」手を叩いて喜んだ。
現地の競技場のサポーターさん、ありがとう! 全国の熱いファンの方々ありがとう!
監督や選手の喜びはもちろんだけど、ファンの方たちの応援や歓喜、映し出された涙を見るともらい泣き。
監督以下皆が言う、「朝早くから応援してくれていたファンのお陰・・、また応援よろしくお願いします」
抱き合い 喜び合う姿、心ひとつに 見ていて その事が 嬉しい なんか 繋がっていることが 嬉しい 

私らもどれだけスマホで、スタンプや言葉が飛び交ったことだろう。 場所は離れていても同時刻にテレビを
見ながらスマホで声をあげ応援、布団の中で? 時間を共有している温かさが嬉しい。

コロナ禍2年以上が経った今、感染対策にピリピリし、無観客で過ごした事柄は多くオリンピックでさえ。
コンサートやスポーツも・・無観客の非日常があった。 応援・・のあるなしをこれほど感じた年はなかったであろう。
学校も会社もオンライン、テレワーク、急ピッチなデジタル化で、私たちはスマホで繋がりビデオ電話で今会うことが出来る。
全国の知事さんたちが一同に会してのオンライン会議、お陰で他府県の知事さんたちの顔や活躍を垣間見ることが出来た。

試合終了後、一番下の広島の妹が「皆さん! お疲れさま。 お姉ちゃんの満々ちゃんのお陰この年齢底上げの姉妹が
この時間帯にひとつになっての応援できるこの光景・・お婆ちゃんに感謝」と書いた。
姉は母の遺言のように、朝に晩にお仏壇に手を合わせてくれて、それを朝に晩に報告してくれている、すごい数のスタンプで。
何か事があれば「ばぁちゃんに頼む、サッカーの勝利まで満々ちゃんあーーん。 」
母も笑いながら天獄から声援を送ってくれてたことだろう。 そんな母を父や兄も笑いながら見ているかな。
細やかに、その毎日の姉の努力は、妹たちへの家族への思い見守ってくれ寄り添ってくれ、さすが姉である。 
誰もがそのように育ててくれた母に感謝している。 いつもいつでも話の終わりは「兄弟仲ように」だったから両親は。
京都も千葉も「寝ます」とあった。 広島は仕事だし。 私は、夫と温かい生姜湯でほっこり。
                                

    


* 走れないけど・・ ひとつひとつを・・ *

2022年12月01日 | 雑感


ついに来た、師走。 
コロナ禍の年月、月日の経つ早さは半端ではなかった。 
年をとると昨日の事さえ思い出せないことも多く、老いが時の経つ早さを感じさせるのであろう。
思い起こせば、この2年毎日感染者数を確認していた気がする、兄弟は京都、大阪、千葉、広島、子供は鹿児島、
大阪にもゼロになった日があったのに。 共存の今。

11月やなぁ・・と思っていたらあっと言う間だったが、11月を感謝だった・・で閉じた。
日々のお付き合いのお陰でお歳暮ではなく日常の頂き物すごく多かった、それは夫のお陰である。

夫に前から良く言われていた。「あんたは自分の物差しで人を見るから、腹が立ったり不足にもなるんやけど
わしは相手に合わせた物差しで人を見る、この人はこう言う人やからと思って付き合うから腹が立たないんや」
そうなのだ、ここが夫と私の大きな違いである。 凄いと思う。 偉そうなんだ私。 
相手の喜ぶ顔が見たい・・だから、友人と繋がっている夫の本音はここだ。

横にいてはらはらすることもあるが、その時相手に嫌な思いをさせるかも知れないが、言う時は言う。
相手を思えばこそで、突っ込んで言う事がある。 尊び、信頼すればこそ言えることである。
所帯を持ち50年近い友人が多い。 いいお付き合いが続いているのは夫ならばこそかも知れない。
私はどちらかと言うと、その場をうまく取り繕おうとする、言いたいことを抑えて、人に優しく己に甘い。

若い時多趣味な夫に、子育ての最中良く遊ぶなぁと時に羨ましく不足に思うこともあった。 
卓球、ゴルフ、麻雀、将棋、釣り、映画、読書、そうだ蕎麦打ちもある、ブログも。 

老いて今、病と闘いながらも夫は趣味を楽しみながら、それに関わる友人たちとの日々がある、嬉しい。
どこそこへ行ってきたからとお土産が色々と届いた。 
いざ何かあったら駆けつけてくれる友人が何人もいる。 すごい、夫の今を生きる中でとても有難い。

そんな今日、病院から帰宅した夫の目は赤かった。 
卓球仲間から電話があり、4つ下の友人が定期検査中に病院で、容体が急変して帰らぬ人になったと。
10日前釣り仲間から頂いた大きなハマチ一本、お刺身して「あいつ好きやから」と届けたばかり。
その前には卓球の試合をした友人からの電話だった。 40年以上の仲の良い同士である。
病気と闘う夫はより複雑な思いだろう、私にも、緊張が走った。 誰も自分の明日は分からない。

おついたち、緊張感がはしる。 
膝や腰の悪い私、走れないけれど、師走、ゆっくり、ひとつひとつをこなして行こう。