日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* ひとつ・・年を重ねました・・ (12月6日) *

2022年12月11日 | 雑感


無事・・ひとつ年を重ねた。

今の時代、病気はもとより生きたくとも自然災害やコロナ、事件、事故、・・思わぬ事柄で尊い命を失うことが良くある。
今こそ、今だから・生きていると言う事は決して当たり前でなく、奇跡・・位に思っている。

誕生日、NHKのドラマが終わった頃、必ず電話が鳴った。
私ばかりか、兄弟皆が同じようにいくつになろうと、母は誕生日には必ず電話で祝ってくれるのだ。
旦那さんの誕生日も、結婚記念日にも。


9年前  ”ごちそうさん”  のドラマ見て夫と二人で涙が止まらなかった時があって、その時電話が鳴った。
「おめでとう」まったり優しい母の声「ありがとう」
会社に行く前だった夫が電話をとって、「お母さんありがとう、お元気で・・会社に行くけん」

「ごちそうさん見ながら、家族みんなが揃うっていいねと二人で泣いててん」
「そうかね、あんた一緒に見る人がおる、一緒に泣ける人がおるのは幸せなことじゃよ、感謝しんさいよ」
はっとした。 言われるまで二人で・・って当たり前に話したのに、母の言葉にはっとさせられた。 
「お母さん、すごいね。 すぐにそんな言葉が出るなんて本当にすごい。 お母さんはなんでも感謝やし、
なんでもプラス思考、すごいね」 そう言いながら母の言葉に涙が止まらなかった。  
「朝、お仏壇のお父さんに、みっちゃんが64歳の誕生日を迎えたよと報告したよ」 

半分泣きじゃくりながら「私はお母さんみたいな母親にはなれないわ、いつもなんでもそんな風に思われへんし、
子供たちにもそこまで思いが足りて無いし、本当に駄目やわ」 
母は笑いながら「そがに思わんでも・・。 まぁ身体に気をつけて元気で頑張りんさいよ」 90歳の母に言われた。  
「お母さんこそ身体に気をつけて・・」 
電話を切った後、かなわない母の深い親心に打たれたと同時に、自分の至らなさや薄っぺらな心に力が抜けた。

あれから9年、享年100歳・・8月に母は逝った。 
見事に生き切った人生を讃えることはあっても、悲しいと言う気持ちはそれほどなかったのに。
こと秋に至っては時に触れ折に触れ・・日が経つごとに、事あるごとに母の言葉が次々と溢れ涙ぐむ時がある。

「年を重ねるほど 元気で誕生日を迎えられることのなんと有難いことか」母にいつも言われた。
54歳で父が亡くなり・・どれだけ寂しくどれだけ責任感を持ちながら5人の子供たち家族に寄り添って来てくれたことだろうか。

朝から、家族・・子供や孫はもとより、姉妹から、お嫁さん、田舎の友人たちから電話やメッセージ、プレゼントをもらった。
母がいつも言っていたけれど「私は・・何もしてあげてないのに・・」同じ気持ち、もったいない。

月一のゴルフだった夫を早朝見送るとき、「帰りにケーキを買ってくるけん」
ピザパーティーのあと、歌うたってから「一応ローソクしようや」と言う・・吹けるかな? 
こんな誕生日を祝う習慣も、幼い頃から決して欠かさなかった母からの継承である。

年を重ねるほどに迎える誕生日のなんと有難く幸せなことか、73歳を無事迎えられた。

誕生日は生んでくれた親に感謝する日でもある。

決まり文句ではあるが 生んでくれてありがとう、お母さんの子供に生まれてきて幸せです