日頃の何氣ない風景 ・音楽鑑賞・株投資、感じた事を

音楽鑑賞の感想雑文と、相場から経済情勢を
御礼
7年間 総閲覧数2,907,866  

19日・ヤンソンス指揮バイエルン放送 ・ツァラトゥストはかく語りき・ブラ :第1番

2007-11-20 | ・ハーディング・ヤンソンス・内田光子
11月19日(月) サントリー2F・RD4-517000円・ヤヤ高い

 ツァラトゥストラはかく語りき・・生聴きは初見かな?過去に記憶に無いです・・
オケの特徴、バランスの良さ、木管の福与かな響きと弦の対話が良いですね、
2階R寄りでコントラバスの低音の支えが良く聴こえ、好きです・・
後、マリス・ヤンソンス指揮のピアニシッモの表現の綺麗さが如何なく発揮された。
ブラ1番の二楽章でも特徴が良く表れていたと・・オーボエとソロヴァイオリンの対話が美しい・・一楽章,四楽章の低弦の支え、バス、チェロ、ヴィオラの受け渡しが良い
全曲を通して,流れが遅い、暗め,重たい、闇美な世界の印象で感動には至らなかった。

 以前のドホナーニの1番も・・最近好みが変わって3番,2番が好きに成ったのかな・・

 最近聴いた、室内楽編成のジャパン・シンフォニアのブラ1が記憶に残るとは、けして弦群の音の響きは良くないのですが、心、音楽をしていると感じられ・・
違いを感じるのも生聴きの面白さかな・・

マリス・ヤンソンス指揮  バイエルン放送交響楽団
   曲目 R.シュトラウス :交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』 op.30
    ブラームス :交響曲第1番 ハ短調 op.68
アンコール
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
R.シュトラウス :オペラ『ばらの騎士』 op.59からワルツ
R.シュトランス
ブラームス

17日指揮:ヤンソンス・バイエルン放送交響楽団マーラー/交響曲第5番

2007-11-19 | ・ハーディング・ヤンソンス・内田光子
17(土)           ミューザ川崎・4F1-10・13000円・超安い

 4階は初めて座りました、高みの見学ですね。上野。文化の5階より、高く感じますね
音響は?・・
 ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番は,音楽自体、主題が地味?かな,2楽章で、ブラームス風の印象を受けた旋律が・・曲構成をヨハヒムに助言と・・
最近ブラームスのヴァイオリンとチェロの協奏曲を聴き、ヨハヒムとの関係修復にこの曲を・・ 色々な繋がりがあるのですね・・面白いですね。
 ヴァイオリン:サラ・チャン の印象は,繊細と豪快の切り替えが巧いと想いますが
如何せん,天井桟敷では,良く聴こえなかった・・

マーラー/交響曲第5番・・過去に、何度も聴いている5番ですが、ベスト1かな、1,から3楽章の弦群の弾き込みと木管奏者の巧さ・・噴火口の、いたる所からマグマが吹き上げ,溶岩が流れ・・湧き上がるその音色は天空へ・・そして,四楽章アダージェットの弦の美しさ、ハープの美しさ・・涙しますね・・別世界へ惹き込まれます・・
 終楽章が怒涛のアンサンブルで・・音の沸騰点が高い、弦と木管のバランスが良い・・久し振りに興奮しました。

 指揮:マリス・ヤンソンス   バイエルン放送交響楽団
      ヴァイオリン:サラ・チャン
   ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26
   マーラー/交響曲第5番 嬰ハ短調
《ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調》作品26は、マックス・ブルッフの作品。1864年に着手され、1867年に完成し、友人のヨーゼフ・ヨアヒムに献呈された。数あるヴァイオリン協奏曲の中でも最も愛好される作品の一つで、ブルッフの数多ある作品の中でも現在まで最も頻繁に演奏される作品となっている。
以下のように構成されている。
「前奏曲」アレグロ・モデラート Vorspiel: Allegro moderato -
     アダージョ Adagio
「終曲」アレグロ・エネルジーコ Finale: Allegro energico
第1楽章は異例なことに「前奏曲」と題されており、第2楽章と直接アタッカでつながれていて、実際に第2楽章の前触れとしての役割を果たしている。緩やかな第2楽章は、魅惑的な旋律ゆえに名高い。最初にフルートによって歌われた後、魅惑的なヴァイオリン独奏によって旋律が受け継がれる。この旋律が聞き手にもたらす印象は、滑らかな軍楽行進曲といったところであろうか。第3楽章のフィナーレは、弱音によるオーケストラの数小節によって始まり、ヴァイオリン独奏のダブルストップ奏法による熱狂的な主題に道を譲る。第2主題は、ロマン派音楽の抒情性のすぐれた例となっている。
 この協奏曲は、異例なことに、作曲者自身がカデンツァを挿入することもしていなければ、独奏者が独自のカデンツァを挿入することも許していない。ブルッフはほかにも2曲のヴァイオリン協奏曲を作曲し、さらにいくつかの協奏的作品を残しているが、ブルッフの最も有名なヴァイオリン協奏曲は本作である。
 "マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフ(Max Christian Friedrich Bruch, 1838年1月6日 - 1920年10月2日)はケルンに生れベルリンで没したクラシック音楽の作曲家。教師で有名な歌手であった母親から教育を受け、音楽、特に作曲に早くから才能を示した。 ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調が、ロマン派の協奏曲として特に有名でよく演奏される。他にもヴァイオリンと管弦楽のためのスコットランド幻想曲や、チェロと管弦楽のためのコルニドライがしばしば演奏される。
 1852年(14歳) - フェルディナント・ヒラーとカルル・ライネッケに作曲を学ぶ。
1867年(29歳) - ゾンダースハウゼンの宮廷楽長。
1879年(41歳) - イギリスに渡り、リヴァプール管弦楽団の主席指揮者。
1881年(43歳) - ソプラノ歌手トゥチェックと結婚。
1908年(70歳) - ベルリン大学から神学と哲学の博士号を贈られる。
 1920年(82歳) - ベルリンのフリーデナウで没する。
多くのユダヤ的主題で作曲し成功を収めたため、ユダヤ人の血を引くのではないかと疑われ、1935年ナチス政府によって上演禁止となる。ブルッフの得意とする合唱曲では美しい旋律の曲が多いが、以後今日に至るも復活されていないと言っても過言ではない。ただしブルッフの祖先がユダヤ人だったという確かな証拠は何もない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
マーラー 交響曲第5番(こうきょうきょくだい5ばん)嬰ハ短調は、グスタフ・マーラーが1902年に完成した5番目の交響曲。5楽章からなる。マーラーの作曲活動の中期を代表する作品に位置づけられるとともに、作曲された時期は、ウィーン時代の「絶頂期」とも見られる期間に当たっている。
 第5番は、1970年代後半から起こったマーラー・ブーム以降、彼の交響曲のなかで最も人気が高い作品となっている。その理由としては、大編成の管弦楽が充実した書法で効果的に扱われ、非常に聴き映えがすること、音楽の進行が「暗→明」というベートーヴェン以来の伝統的図式によっており、マーラーの音楽としては比較的明快で親しみやすいことが挙げられる。とりわけ、ハープと弦楽器による第4楽章アダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティ監督による映画『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)で使われ、ブームの火付け役を果たしただけでなく、マーラーの音楽の代名詞的存在ともなっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11月19日(月)
マリス・ヤンソンス指揮  バイエルン放送交響楽団
 曲目 R.シュトラウス :交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』 op.30
    ブラームス :交響曲第1番 ハ短調 op.68
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11月23日(金・祝)
  マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団
   曲目 ブルッフ :ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 op.26
   ブルックナー :交響曲第7番 ホ長調
            出演 サラ・チャン(Vn) 開演 18:00

ブルッフ
マーラー

ハーディング08.2月 東フィルの指揮で来日です。お聴き下さい。お薦めです・22日発売

作曲の経緯ブルックナー :交響曲第7番 ホ長調
本作は交響曲第6番の完成後すぐ、1881年9月末から第1楽章の作曲が開始された。 スコアは第3楽章スケルツォの完成のほうが1882年10月と少し早く、第1楽章のスコアは同年の暮れに完成する。
 第2楽章のクライマックス部分を書いた頃、1883年2月13日にブルックナーが最も敬愛してきたリヒャルト・ワーグナーが死去した。ブルックナーは“ワーグナーの死を予感しながら”第2楽章を書き進めてきたが、その悲しみの中でコーダが書き進められ、第184小節以下をワーグナーのための「葬送音楽」と呼んだ。こうして第2楽章のスコアは同年4月21日に完成する。そして、1883年9月5日に全4楽章が完成した。
 1884年12月30日、アルトゥル・ニキシュ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によりライプツィヒ歌劇場で初演された。この初演の段階でブルックナーとニキシュは入念な打ち合わせを行い、何度か手紙をやりとりしている。

14日ワレリー・ゲルギエフ指揮/プロコ :ピアノ協奏曲第3番 ショスタコ :交響曲第15番

2007-11-16 | ・メータ ・ゲルギエフ ・飯守
11月14日(水)            サントリー2FRA4-12・9千円 超安い

 熱いロシアの風を感じました、個性の三重唱,初見・聴き三重唱を聴く想いですね。・・
 チャイコ2番・・・四楽章の音楽の構築は見事ですね、弦と木管のアンサンブルは凄いですね,立体的な音の響きがあり、音の立ち上がり,呼吸感が素晴らしい・・

 プロコ・ピアノ3番は、音楽の格闘技?・・ピアノ、オケの丁丁発止で一楽章から,木管と、弦の合奏と、ピアノの対話,対決が凄みさえ感じさせます・・オケ,指揮絶好調です,
 個性的な音型に、・・ピアノ、ブロンフマンの技量が凄いし・・ピアノ交響曲ですね、

ショスタコーヴィチ :交響曲第15番・・
 一楽章独特の出足から、ウィリアム・テル』序曲の引用の旋律と、
 二楽章のチェロ独奏が人生に達観し、諦め、闇、・・対話が人生の最終章を想わす・・
チェロ協奏曲ですね・・ロストロポーヴィチが浮かんできました・・
 三,四楽章・・リングの運命の動機を引用していても、不自然な音形でもなく、
自分の物にしている,時の回想・・達観した・・人生の終楽章へ・・

 全曲を通して・・タコさん,大分音楽が大人しく成った印象ですね・・

 交響曲第15番(1972年)は、ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲や、ワーグナーの楽劇『ワルキューレ』の運命の動機など他作曲家の作品の引用を大胆に行い(自作の交響曲第4番の引用もある)、自身の音楽的回想とした・・・

ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団
曲目 チャイコフスキー :交響曲第2番 ハ短調 op.17 「小ロシア」
   プロコフィエフ :ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26
   ショスタコーヴィチ :交響曲第15番 イ長調 op.141
   出演 イェフィム・ブロンフマン(Pf)
    アンコール プロコフィエフ :ソナタ第7番 第3楽章
          スカルラッティ :ソナタより
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
15番
 ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲が引用される。このことについて作曲者自身は、深夜のおもちゃ屋さんをイメージしたと述べている。また息子で初演者のマクシム・ショスタコーヴィチは、幼少の父が最初に好きになった曲であることに由来すると説明している。また、ウィリアム・テルのロシア語表記の最初の3文字とレーニンのイニシャルが共にВИЛであることから、レーニンがソビエトの指導者であった作曲者の幼年期から青春時代をこの楽章は表しているという説もある。また、3連音、4連音、5連音が同時に奏でられるリズムが複雑な箇所が存在するが、これについては交響曲第2番との関連を指摘する説もある。
第2楽章 Adagio - Largo
三部形式 。金管のコラールではじまり、チェロの12音列風なモノローグがそれに続く。142小節からはラルゴに入り、葬送行進曲風の哀悼の調べとなる。
第3楽章 Allegretto
不気味さの漂うスケルツォ。冒頭でクラリネットが奏でる第1主題は12音列となっている。作曲者が最晩年に用いた独自の音列的書法である。トリオの主題はヴァイオリン独奏によって現れされ、この辺りは協奏曲のような趣がある。再現部は短く、すぐにコーダに入るが、コーダは終楽章のそれと同様、弦のピアニッシモにのって打楽器が静謐な音を刻む。
第4楽章 Adagio - Allegretto
アダージョではワーグナーの「ニーベルングの指輪」より「運命の動機」が引用される。17小節からアレグレットに入るが、ここでも「運命の動機」は繰り返し登場する。アレグレット冒頭で現れる主題について作曲者はグリンカの歌曲「疑惑」の引用だと述べている。また、ここでは「トリスタンとイゾルデ」の断片も引用される。105小節からは長大なパッサカリアとなるが、その第6変奏では主題の構成音が音列化されている。チェレスタのパッセージと第1楽章断片の再現により静謐なコーダが始まる。40小節にわたって弦がイ長調主和音をピアニッシモで奏で、打楽器が交響曲第4番第2楽章コーダの打楽器パートを引用する。自作からの引用ではここが最も目立つ箇所である。また、ハイドンの最後の交響曲であるロンドンの冒頭が引用されている。

[編集] 編成
ピッコロ 1   フルート 2   オーボエ 2
クラリネット 2  ファゴット 2  ホルン 4
トランペット 2   トロンボーン 3 チューバ 1
打楽器
ティンパニ
シンバル   トライアングル
大太鼓   小太鼓
シロフォン  タムタム
グロッケンシュピール  チェレスタ
トムトム(ソプラノ) タンブーラ・ミリターレ
カスタネット  ウッド・ブロック
鞭  ヴァイブラフォン
弦五部
ショスタコ

プロコフィエフ
ゲルグエフ 未来を育てる・・
滞在日記・翻訳家のブログ

12日ワレリー・ゲルギエフ指揮 東響モーツァルト/交響曲 第41番 幻想交響曲

2007-11-13 | ・メータ ・ゲルギエフ ・飯守

 三日連続演奏会通いで,流石疲れました,良く聴こえなかった・・
幻想で聴衆は燃えてました、盛大な熱い拍手が・・如何せん木管に歌が無い様に聴こえましたが??・・
 ゲルギエフ強行日程の中,合わせは何時間?でしょうね、コンミス大谷さんが懸命にリードしてましたが・・
 41番マッタリ・・ヌルイ・・快活感が無い・・

 ゲルギエフさん今日は札幌ですね,明日14日サントリーと,明日聴きに行くのですが・・オケもゲルさんも,疲れが心配・・・熱い演奏期待したい。

    12(月) 19:00開演 東京交響楽団特別演奏会  P席5-12・4千円・妥当額

 ワレリー・ゲルギエフ指揮 東京交響楽団
   モーツァルト/交響曲 第41番 ハ長調「ジュピター」K.551
   ベルリオーズ/幻想交響曲Op.14

//////////////////////////////////////////////

 最強のコンビの演奏会が
14日赤坂・サンントリー,16日大阪 17日出雲。18日渋谷・NHKとあります。
 マリインスキー歌劇場管弦楽団 指揮:ワレリー・ゲルギエフ

11日水戸室内管弦楽団・ヴィンシャーマン(指揮).バッハ:ブランデンブルク協奏曲他

2007-11-13 | 水戸室内 ・サイトウキネン
上野11時発で水戸へ 上野駅に菊の花が・・曇り,雨模様でした・・

バッハ・・落着いて、生聴くのは初めてですね・・フルートの響きが福与かで,柔らかな響き、と、ヴァイオリンと、チェンバロの対話が、染み込みます・・バッハて何も抵抗無く,心に染み込みますね・・・今日の日向ぼっこの様にポッカポッカと心温まる音楽ですね・・氣持ち良い・・

 ブランデンブルク協奏曲 第5番
  フルート・フェリックス・レングリ、 ヴァイオリン・潮田、
  チェンバロ・クリスティーネ・ショルンスハイム

ゴルトベルク変奏曲 BWV988(抜粋)
チェンバロで始まりチェンバロで終わる、30変奏で初聴きです、原曲を聴いていないので、何処が・・編曲 と・・
自然な音楽の流れと感じます、第2変奏、オーボエ、オーボエ・ダモーレ、ファゴットの旋律も何処かで聴いた様な音楽に、自然と入り込めます・・快活,明快な旋律が美しい・・・第30変奏で合唱が、何処までも美しい響きが

バッハ:管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068

全ての音楽に・・
 ヴィンシャーマンのモットーである
「明晰に、生き生きと、喜ばしく」という自身のモットー・・其れに応えた,奏者の技量の高さが。
 ヘルムート・ヴィンシャーマン(指揮)87歳にして,椅子に座らず・・お元気ですね
立ち姿から,音楽愛,人間愛、共演者を湛える姿は,父親であり,わが子供,わが孫に接する様で微笑ましい・・年を重ねる事はこう有りたいと思いますね。

      11月11日水戸芸術館コンサートホールATM  : 6,500円G-22・安い
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV1050
J.S.バッハ(ヴィンシャーマン編曲):
ゴルトベルク変奏曲 BWV988(抜粋)
J.S.バッハ:管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068

-----------------------------------
ヘルムート・ヴィンシャーマン(指揮)
Helmut Winschermann, Conductor
 1920年ドイツのルール地方ミュールハイムに生まれる。
エッセンとパリで学び、ヘッセン放送交響楽団、コンセルトヘボウ
管弦楽団などのソロ・オーボエ奏者を務めた後、1960年ドイツ・
バッハ・ゾリスデンを創立。以来、芸術監督として40余年、
この室内オーケストラを特にバッハ演奏において世界的に権威ある
演奏団体に育てあげた。ヴィンシャーマンは、オーボエを手にして
も、指揮棒を握っても、ステージに立つときは常に、
「明晰に、生き生きと、喜ばしく」という自身のモットーを貫いてきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685年3月21日(ユリウス暦) - 1750年7月28日)は、18世紀に活動したドイツの作曲家。「近代音楽の父」と称される巨匠である。その他のバッハ一族の者と区別するために大バッハと呼ばれることもある
1 生涯
3.2 オルガン曲
3.3 クラヴィーア曲
3.4 器楽曲、室内楽曲
生涯
バッハ一族は、ドイツ中部テューリンゲン地方で代々音楽を生業とした大一族であった。2世紀半の間に約60人の音楽家を輩出し、遺伝学の研究対象とされたこともある。ただし、当時はまだ貴族の子は貴族、農民の子は農民、というように身分が固定されており、職業音楽家の家系は職業音楽家以外の選択肢があまりなかった、という事情も考慮しなければならない。付記するならば、彼の時代の音楽家とは現在のクラシック音楽の一流演奏家のような名声とそれに見合うような収入を得るいわゆる名士ではなく、むしろ十把ひとからげで扱われる楽器担当の召使いのような存在であった。もちろんこれは彼の時代の音楽家の最も一般的なありようであった。
 ヨハン・ゼバスティアン(以下バッハとする)はアイゼナハの町楽師ヨハン・アンブロジウスの末子として生まれた。バッハが10歳の時に父が死去し、オールドルフの兄ヨハン・クリストフの家に引き取られて勉学に励んだ。1700年にリューネブルクに移り、修道院付属学校の給費生として生活した。
 1703年にヴァイマルの宮廷楽団に就職、その後まもなくアルンシュタットの新教会のオルガニストになった。すでにバッハの能力は高く評価されており、1707年、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに(教会付きオルガニストとしては)異例の好条件で招かれた。同じ年、遠戚にあたるマリア・バルバラ・バッハと結婚した。2人の間に生まれた7人の子供のうち、フリーデマンとエマヌエルは高名な音楽家になった。
「アリアと種々の変奏」と題されているが、バッハが音楽を手ほどきしたゴルトベルクが不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のためにこの曲を演奏したという逸話から「ゴルトベルク変奏曲」の俗称で知られている。しかし演奏には高度な技術が必要で、当時ゴルトベルクは14歳の少年であったことなどから逸話については懐疑的な見方が多い。
もともとチェンバロの曲であったためピアノが主流となった時代から20世紀初頭まで演奏されることは少なかったが、チェンバロの演奏を20世紀の音楽として復活させたモダンチェンバロによるワンダ・ランドフスカの録音の評価が高く、長らく定番となっていた。20世紀後半になって若手の気鋭ピアニストであったグレン・グールドがデビューアルバムにこの曲を選択、レコード会社の反対を振り切ってピアノ演奏の録音盤を1955年に発売し、世界的なセンセーションとともに一躍著名な曲となった。
バッハ

 小澤征爾氏が名誉会員に=ウィーン歌劇場11月13日8時2分配信 時事通信
 【ベルリン12日時事】ウィーン国立歌劇場は12日、音楽監督を務める指揮者の小澤征爾氏(72)に名誉会員の称号を贈ると発表した。17日にオペラ「スペードの女王」の公演後、ホレンダー総監督から授与される。
 小澤氏は1988年に同歌劇場デビューを果たし、2002年に音楽監督に就任した。これまで指揮したオペラやコンサートは163公演に上る。06年1月に体調を崩し、公演を一時キャンセルしていたが、今年4月に復帰。10年に任期切れとなり、フランツ・ウェルザーメスト氏(47)が後任の音楽監督に就任する。 

08.5.28-30日 指揮・小澤征爾、第72回定期演奏会・水戸室内管弦楽団
08.7.5.6日  指揮・準・メルクル 第73回定期演奏会
08.11.8.9日 ナタリー・シュトゥッツマン 第74回定期演奏会