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絶学無為とは Ⅱ

2006-11-22 | 無能唱元・唯心円成会
整備が整ってから「動」すなわち「陽」の世界に入り、エンジンを全開し、大活動する時期に入るのです。  

 大自然の二辺往来のバイオリズムについて行くことによって、人間も、人生をより円満に生きることが出来るのです。すなわち、人間自身も変化に即応しなければならないのです。
「正しいこと」とは、所詮、人間の考え出したことに過ぎません。大自然のバイオリズムの変化の前には、その「正しさ」は、一瞬にして粉砕されてしまう場合が、あまりにも多いのです。
 この意味で、「神」さえも、人間の考え出した概念である場合が多く、大自然のバイオリズムの変化の前には「その神の正しさ」は、簡単に突き崩されてしまうことも、しばしばあります。
「絶対」とは「陰」から見た時「陽」を否定し、また、
「陽」から見た時「陰」を認めないことです。

 だが、繰り返し言う通り、陰陽は、絶えることなく変転しているのであり、変化しないものなど、この世には無いのです。ただ一つのものを、絶対的に正しいものだと固執していると、いずれは、手ひどい災難をこうむることさえあります。
 大自然の在り方は、すべて「相対」なるものなのです。そのどちらかに「捕らわれてしまう」べきではありません。

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 朝、ご来光を観、拝み・・今活きている事に感謝
 そして、俗世を観て・・活力増大、活動・・二辺往来

帰宅の新幹線内の光景・・仕事?、観光?で移動・・エネルギーの充電と活動が

車内、売子さんスタイル抜群、顔美人・・モデルとしても稼げる・・でも・・
仕事氣・・笑顔が無い・・表情が暗い・・仕事に生甲斐を感じられない・・印象が
 京都から新横浜間で三往復以上・・売りに・・氣が

「絶学無為」 とは

2006-11-22 | 無能唱元・唯心円成会
老子 の「絶学無為」 とは
 必ずしも、人生のある時期に、長期間にわたって必要とするだけのものではなく、日常茶飯事に、心に憂いが発生したら、直ちに、老子の説くところの意識状態に入ることが必要だということです。
 すなわち、絶学無為の意識状態は、憂いを払う箒なのです。憂いは払っても、払っても積もるチリのように、私たちの心に溜まります。こんな時には、老子の箒を大いに活用して下さい、すなわち 学を 絶てば 憂いなし と・・

 意識状態の活動期と休息期とは、森羅万象の 陽 陰 の交代であり、その変転です。
プラスとマイナスの移り変りです。この変化の周期に反抗せず、ついて行く生き方こそ、人生を無理なく生きることなのです。
 それは 静から 動 動から 静へと往来している姿です。私たち人間も、他の生命体や万象と等しく、この二辺を無理なく往来しなければなりません。
しかし、それにしても、人生の調整は、意識状態の休息期の行なわれるべきではないでしょうか?
 すなわち、それは「静の時」だり「陰の時」です。航空機は地上で羽を休めている時に、整備しなければなりません。
 大自然の、この二辺往来のバイオリズムの変化の妙は、まことに驚くばかりです。これに逆らわず、無理なく生きて行くためには、「静寂の時期」には「静」に従うことです。そして、整備が整ってから「動」すなわち「陽」の世界に入り、エンジンを全開し、大活動する時期に入るのです。  つづく