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18日 メサイア 指揮・パッパーノ ・英国ロイヤルオペラ管弦楽団、合唱団

2010-09-18 | 大野和士・パーヴォ・・パッパーノ
NHKホール          3F・C8-51・5,000円エコ券・安い、感謝、前が通路で見やすい、聞きやすい、えらく音響が良い・・良く聴こえた

 申し分ない演奏が 素晴らしい 素晴らしい・・充実した演奏を聴くと幸せ感増大しますね、歌手、オケ、合唱の音楽の推進力が・・合唱四声の主張が明確で、低音、中音、高音声域と実に綺麗です、オケも弦奏の豊かな、強弱感の切替・・木管との音の同質性、共振性に長けてます、また歌手が良い・・・約3時間弱、短く感じました・・

血潮はイタリアの風、モーツァルトの風、英国の風と・・・
 指揮のイタリア的な音楽観、明るい中に、ツボを得た・・バロック調ベルカント・・の音楽波動が・・
 2部から、3部にかけて・・癒され、心が浄化され・・
2部が終わって、盛大な拍手が・・私は余韻に浸り・・3部へと想いますが・・
これも良い、英語が旋律に良く溶け合ってます・・

 最近知り合いのお母さんが亡くなり、ネガティブな心境であったので・・なお更、心染み入る音楽でした・・
 演奏から活きる勇気・・生かされている実感・・今音楽を聴ける悦び・・
 音楽に、演奏者に 今の命に・・感謝・・感謝

英国ロイヤル・オペラ来日記念特別演奏会この方のブログから・・合唱団員の写真とか
アントニオ・パッパーノ指揮
ヘンデル作曲(モーツァルト編曲・英語)
「メサイア」
指揮:アントニオ・パッパーノ
ソプラノ:スーザン・グリットン
アルト:キャスリン・ウィン=ロジャーズ
テノール:パク・ジミン
バス:ブラインドリー・シェラット
演奏:ロイヤル・オペラ合唱団 / ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
◆上演時間◆
第1部:16:00 - 17:05 休憩 25分 第2部・第3部:17:30 - 18:50

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過去のメサイアは、私の中では、ニコラウス・アーノンクール
[合唱]アーノルト・シェーンベルク合唱団・・此れは名演でした
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ヘンデル 
 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685年2月23日 - 1759年4月14日)は、ドイツ生まれでイギリスに帰化した作曲家。バロック期を代表する重要な作曲家のひとり。イギリスに帰化していることや、イギリスでの活動歴のほうが長いことから、英語名でジョージ・フリデリック・ハンデル(ハンドル、ヘンドル、George Frideric Handel)と呼び、イギリスの作曲家として扱うべきという意見もある(少なくともイギリスではそう扱われている)が、日本ではもっぱらドイツ名で知られ、ドイツの作曲家として扱われるのが通例である。

生涯
バッハと同年、現ザクセン=アンハルト州のハレに生まれ、父の期待に従いハレ大学で法律を学んだが、音楽への情熱を断ち切れずハンブルクへ出てオペラで成功した。
 1706年からはイタリアに行き、オペラに加えてカンタータやオラトリオなども発表する。1710年ハノーファー選帝侯の宮廷楽長となったが、宮廷楽長の地位はそのままに1712年にはロンドンに移住し、1727年には正式に帰化した(1714年のイギリスのアン女王の死去に伴い、ハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ1世として迎えられることになる)。
 ちなみにバッハは、1719年と1729年の2回にわたりヘンデルを訪ねたが、最初はすれ違いになり、2回目はヘンデルが面会を拒否したため、同時代に活躍しながらも生涯出会うことはなかった。バッハが「音楽の父」と評されるのに対し、ヘンデルを「音楽の母」と呼ぶこともある。
 1751年に左眼の視力を失い、間もなく右眼の視力も悪化し、1752年に完全に失明した。その後1758年の夏、タンブリッジ・ウェルズで眼科医を名乗るジョン・テイラーにより手術を受けたが成功しなかった(ジョン・テイラーは大バッハにも同様の手術を施して失敗している)。翌1759年、体調の悪化により死去。74歳であった。
作品について
バッハが主として教会の礼拝で用いる音楽(教会音楽)で活躍したのに対し、ヘンデルはオペラや(劇場用の)オラトリオなど、劇場用の音楽で本領を発揮した。特に、オラトリオ《メサイア(救世主)》は曲中に有名な「ハレルヤ・コーラス」を含み、今日でも非常に有名である。また、オラトリオ《ユーダス=マカベウス(マカベウスのユダ)》中の合唱曲「見よ、勇者は帰る」は、優勝者を称える曲・表彰状授与のBGM(得賞歌)として日常的に用いられている。オペラ《クセルクセス(セルセ)》中の「オンブラ・マイ・フ(懐かしい木陰よ)」は、「ヘンデルのラルゴ」とも呼ばれて親しまれている。そのほか、オペラ《ジュリアス・シーザー》、オラトリオ《エジプトのイスラエル人》や、《リナルド》の中のアリア「私を泣かせてください」なども知られている・・・・・