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18・19日・ドホナーニ指揮、ブラームス4,2番 ・ハンブルク北ドイツ放送

2007-05-20 | 外来 演奏会・指揮者
 二日連続で聴きました・・4番が新鮮・鮮度200㌫でした実に一粒の音が煌びやか、艶、音楽がありますね、各パートの技量が優れものです
 矢張り、1番、2番でティンパニが暗譜ですね、驚愕です・・長年演奏会通いしてますが初めて目にした光景です・・実に上手いし、不安感が無いし 驚きです

 二夜とも、前半の3番4番が超名演ですね・・一楽章から怒涛の求心力とアンサンブルが
新たなブラームス像を創造した・・縦糸の柱が強靭で横糸の織り成す、木管の暗美な旋律と弦群の豊かな響きと、一音の粒の輝きが素晴らしいですね・・
 今回は3番4番に痺れまくりでした、けして、1・2番が悪い訳ではないのですが、テンポが総じて早めの印象と、此れが必要以上に感情に流されること無く、輪郭が確りした印象を与えたのかな、過去に聴いた一,二番の印象と正反対と感じました

 ブラームスはピッチカットがお好きですね、随所に取り入れて効果を出していますね、木管五重奏と弦群と打楽器の壮大な室内楽と感じ入りました。

5/19[土 18:00・・・                  2FR1-18・1万8千円 
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Cond)、
ハンブルク北ドイツ放送交響楽団
[曲目]
・ブラームス:交響曲第4番ホ短調 op.98/同第2番ニ長調 op.73

[アンコール曲紹介]5月18日
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 ホ短調 op.72-2
5月19日
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 ト短調 op.48-8

18日 オペラシティ・初台               2FR1-40・1万8千円
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Cond)、
ハンブルク北ドイツ放送交響楽団

 ブラームスと言えば・・クララとシューマンですか
3番が出足の弦の明るさ、旋律感、爽やかな風が吹き抜けた・・こんなに明るい曲でしたか?・・新鮮、鮮度200㌫ですね、音色のパレット感が活き活きとし、大海原を駆巡る様な大きなウネリが素晴らしい・・木管、弦群の合奏力素晴らしい・・オケ特有の響きが
意外と明るく透明感があり、重たさを感じさせない弦群ですね、8弦の対向配列・・

 1番は私の好きなティンパニの出足からと・・4楽章のアタックが痺れました、上手い
ティンパニ、譜面台が見えない・・まさか、暗譜??指揮者は暗譜でしたが
 1番コンマスのソロも歌がありますね、明るく、そして暗美な・・

1番は ベーム、ウィーンフィルがベスト1でしたが・・ベスト2かな
 2000年のヴァントとハンブルク北ドイツのブルは最高でしたね
[曲目]
・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調 op.90/同曲第1番ハ短調 op.68

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クリストフ・フォン・ドホナーニ(首席指揮者)/Christoph von Dohnanyi (Chefdirigent)
ベルリン生まれ。法律の勉強を始めるが音楽に転向。ミュンヘン音楽大学で学んだ後、フロリダ州立大学で高名な作曲家・指揮者の祖父、エルンスト・フォン・ドホナーニに師事。
1953年、サー・ゲオルグ・ショルティの指名でフランクフルト歌劇場の指揮者兼コレペートルとなる。リューベック歌劇場、カッセル歌劇場、フランクフルト歌劇場の音楽総監督、ケルン放送響の首席指揮者を歴任。1978年から1984年はハンブルク歌劇場のインテンダント兼首席指揮者を務める。1984年から2002年まで18年間にわたりクリーヴランド管弦楽団の音楽監督として辣腕を振るう。1997年フィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者に就任。
アメリカとヨーロッパの主要オーケストラならびに歌劇場のすべてに客演。ザルツブルク音楽祭の常連でもある。録音もウィーン・フィルなどと活発に行っている。
2004/05シーズンから北ドイツ放送響の首席指揮者に就任。

ハンブルク北ドイツ放送交響楽団/NDR-SINFONIEORCHESTER
第二次大戦直後の1945年夏、指揮者ハンス・シュミット=イッセルシュテットの尽力により創設された。1982年首席指揮者にギュンター・ヴァントが就任、妥協を許さぬ厳密な指導によりオーケストラの実力と名声は一段と高まった。その後もエリオット・ガーディナー、ヘルベルト・ブロムシュテット、クリストフ・エッシェンバッハのもと、ドイツの伝統を受け継ぐがっしりした構成、重厚な響きを聴かせるオーケストラとして高い評価を得てきた。ハンブルク、キール、リューベック、ブレーメンで公演を行う一方、放送局所属のオーケストラとして北ドイツ放送のラジオ・テレビ番組のために膨大な作品を録音している。
2004/05シーズンにクリストフ・フォン・ドホナーニが首席指揮者に就任。ハンブルクゆかりの指揮者ということもあり、すでに地元の絶大な信頼と人気を勝ち得ている。

 ブラームスは、ハンブルクで生まれた。彼に最初の音楽レッスンを行った父は、コントラバス奏者であった。ピアノの早熟な才能をあらわし、10歳で作曲家でピアニストのエドゥアルド・マルクスゼンに師事。レストランや居酒屋でピアノを演奏することによって家計を補った。
 彼自身はピアニストとして確かな腕を持っていたが、同時代の名手と比べると地味な存在であった。演奏活動は行っていたが後に作曲専業になることを決意して、放棄した。しかしながら、1859年と1881年には、ピアノ協奏曲第1番とピアノ協奏曲第2番の初演を自ら行っている。この2曲のピアノ・パートは共に難度が高く、これを自分で弾きこなしたブラームスのピアノ演奏技術は高いものであったのではないかと思われる[要出典]。
 その後、演奏よりも創作活動に興味を持つようになって作曲を始めたが、1851年になるとすでに自己批判から作品を廃棄し始めていた(19歳以前の作品は記録が残るのみでまったく現存しない)。1853年にハンガリーのヴァイオリニスト・レメーニイと演奏旅行に行き、彼からジプシー音楽を教えてもらったことが彼の創作活動に大きな影響を及ぼした。この演奏旅行中に J. ヨアヒム、フランツ・リストとロベルト・シューマンに会って作品を見てもらった。シューマンは、「新しい道」と題する評論を「新音楽時報」誌に発表してブラームスを熱烈に賞賛し、聴衆にブラームスの作品を広めるために重要な役割を演じた。ブラームスは、14才年上のシューマンの妻クララを知り、1854年のシューマンの投身自殺未遂と2年後の死以降も、生涯に渡ってクララと親しく交流を続けることになった。恋愛に近い関係になった時期もあったようだが、ブラームスが彼女と結婚することはなかった[要出典]。・・
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ブラームス
ハンブルク