たかが「おじぎ」、されど「おじぎ」。
正直、「おじぎ」だけでここまで深掘りできるものとは思いませんでした。
この「おじぎ」はどんな文化の脈絡ではじまり、いつどんな変容をとげてきたのか。著者・神崎宣武氏が「三三九度」をはじめ、日本人のしぐさに根付いている習俗儀礼や日本文化について、民俗学的な解明を行います。
目次
第一章 外国人が見た日本の「おじぎ」
第二章 古典・絵巻物から「おじぎ」を探る
第三章 中世の武家礼法と「おじぎ」
第四章 畳と着物による近世の「おじぎ」変革
第五章 現代へと変転する「おじぎ」のかたち
結論から言うと、現在、「道」のつく武芸や芸事の作法や学校教育などで知られる様々な礼は明治時代に完成・厳格化して普及し(始め)たものです。作法としての体系化への萌芽は室町期にあり、江戸時代の武家社会で発展していったようです。ただし、神社祭礼の系統とは別に、武家には礼法を担う高家(小笠原家、伊勢家など)が指導していたとのこと。
大名行列の際に町人は道端で土下座するイメージがテレビの時代劇番組などで広まってしまっていますが、実は土下座的なおじぎは外でやるものではなく、畳の上でやるもので、町民たちは道端で片膝をつき頭を下げる片膝礼をしていたことが当時の絵巻物からも分かっています。
片膝礼ではなく、現代のいわゆる「ウンチングスタイル」をしていたこともあるようです。
平安時代まで遡ると、おじぎに関する言及がほぼ皆無で、あるのはわずかに神仏に対する跪拝(膝つき、つま先立ち、両手を地面につけて頭を下げる)のみ。対人のおじぎはなかったらしいことも興味深いです。
神社祭礼でさえ、明治期に神仏分離の一環として全国統一の作法がトップダウンで申し渡されたものの、格式の高い神社は独自のやり方を維持したし、そうでない神社も基本的にはお達しに従っても細部では融通を利かせていたらしく、地域差がかなりあったようですね。
日本文化というなんとなく画一的な文化のイメージを正してくれる本です。