懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古関裕而氏のご子息について

2020年06月14日 | 日記
朝ドラで話題になり古関裕而氏の足跡に関心がでた。
世間で話題になり初めて、関心が出るミーちゃんハーちゃんジジィである。
まあ、一日テレビをボケーと見るより、なにか関心を持ち調べる方がボケ防止に良いと思う。年寄のボケ防止の五ケ条である。五つのベル、食ベル、しゃべる。トラベル、調べる、差しのべる。

古関裕而氏は日本のスーザと言われるように行進曲やスポーツの応援歌。大会歌の作者と思っていた。しかし、NHKの昼の憩いや日曜名作座でテーマ音楽、古関裕而の名前が毎回今でもでてくる。
行進曲は聞くと元気が出てくる。レンタルビデオ店でCDを借りてきてパソコンで音楽CDにコピーしてラジカセで聞いている。
日本の三大行進曲は軍艦マーチ、オリンピック行進曲、スポーツショー行進曲と思う。
昼の憩いやスポーツ行進曲はNHKが買い取っているので印税は入らないし他局で使う事はない。
まだ民間放送のない時代、1951年から民放ラジオ開始。

君の名はや歌謡曲を沢山作っているは知らなかった。15年程前にラジオ深夜便を聞いていたら船頭可愛やの音丸がでてきた。加賀美アナウンサーが音丸は芸者ではなく下駄屋の娘というのを思い出す。そんな話が現在になり繋がる。

古関裕而氏と金子夫婦には3人の子供がいる。
長女次女は生存していれば88歳と86歳と書いてある。
長男 正裕氏は歳が離れていて昭和21年7月生まれ。
テレビや新聞にも出ているので何歳かなと思っていた。
早稲田大学理工学部卒で日経新聞に勤めていた。
学生の頃にグループサウンドのビレッジシンガーズに初期の頃に入りキーボードを演奏。
会社は少し早期退職して音楽活動をしている。古関裕而の曲を中心に歌、演奏。
喜多三(実家の呉服屋の店名)というグループ
東京大衆歌謡楽団のように路上ライブはやらないようだ。

母親の金子さんは印税を株で運用するのがうまく、週に四回は証券会社通い。
凄腕のトレイダーと言われていたそうだ。相場師は凄いと言われても是川銀蔵氏のように死んだら借金しか残っていなかった例もある。悠々自適に暮らせるのを見ると親がかなり残しているのであろう。



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