懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古い町並み  由加山あんころ餅屋

2011年10月07日 | 古い町並み
由加大権現は倉敷市児島の山中にある。
江戸時代には岡山から四国に渡るには下津井から船にのり金毘羅参詣に行ったそうだ。
この道は金毘羅往来と呼ばれていた。由加山はその途中にあり金毘羅さんと由加山の両参りで栄えたそうだ。しかし、宇野線と宇高航路による四国への連絡で由加山に立ち寄る人はすくなくなった。
下津井の連絡線は茶屋町と下津井に下津井電鉄を敷設し対抗したがモータリゼーションで客が減り下津井電鉄は廃線となる。下津井電鉄が出来ても由加山は離れていたので参拝客は増えなかった。
しかし、皮肉なもので自動車の時代になり参拝客は増えた。
時代から取り残されたために門前町が残されていた。
その中に由加山名物のあんころ餅屋がある。お寺の売店などでは児島の菓子屋のあんころ餅を売っているが参拝者はこの店のあんころ餅を買う。売切れたら店を閉めるので午前中に買い求めておく。
撮影したころは茅葺の店であった。男性が買いにきている、腰にタオルをぶら下げた光景はみなくなった。やまの中に参道に沿いひっそりと集落が立ち並ぶ。

現在、由加大権現は神社と寺院側が係争中で仲が悪い。

そもそも「権現」とは仏さまが仮に神様の姿をとって現れたもので、元の仏さまのことを「本地仏」といいいます。
由加大権現の場合、神様としての名が「由加大神」で、本地仏は「阿弥陀如来」と「薬師如来」のようです。

資料によりますと係争の経緯は下記の通り
明治6(1873)年に神仏分離令により由加神社が分離、
平成元(1989)年、すべての財産を金蓮寺(瑜伽大権現)のものとする覚書がなされたものの、
平成9(1997)年、神社側を名乗る者が大殿を占拠したため、金蓮寺が明け渡しを求め提訴、
平成17(2005)年、広島高裁岡山支部において基本的に金蓮寺側の大殿の使用を認める判決が下されたようです。
なんともありがたみのない神様仏様です。