懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車 黒煙と無煙

2022年03月21日 | 蒸気機関車
C5717が客車を牽引し日豊線の延岡の北を走行。
平地を軽快に走っているので煙はでない。暖かい時期か蒸気も見えない。
蒸気機関車が黑い煙を吐くのは燃料量に対して空気(酸素)の量が少ないからだ。

黒煙の出るのは発車の時と坂道を登る時だ。
蒸気機関車には送風ファンは付いていない。
ピストンシリンダーを押した蒸気の排気を煙突の下から噴出して煙を追出す。
発車の時はゆっくり動くので燃料に対して空気が不足する。
坂道は馬力が必要なので燃料を多目に投入する。燃料過多とスピードが減速するので酸素の量が足りずに黒煙が出る。

今は大気汚染の基準が厳しく、SLは許されない。
山口線やイベントのSL運転は県の認可を受けていると思う。
黒煙を抑える運転をしていると思う。

伯備線豪渓 D51重連の黒煙


蒸気機関車 9600型ふたつ目

2022年03月06日 | 蒸気機関車
撮影場所 函館本線

9600型て倶知安機関所属のもの、、前照灯が二灯付いていて二つ目と呼ばれた。前照灯が二つ付いているだけで男たちは倶知安に行った。
走っていた岩内線や胆振(いぶり)線共に廃線になった。

何も風雪を避けるところもなく列車がくるのを待った。
ホッカイロはあの当時なかった。大きなゴミ袋でもあれば風除けになった。
今ならば寒ければ車の中に逃避出来るが。

シモヤケにもならず誰も居ない、我慢強かったと思う。 

蒸気機関車 宗谷本線 名寄駅構内

2022年01月28日 | 蒸気機関車
貨物用の機関車 9600型が停車している。
機関士が顔をだしている。厳冬期でも走行中でも窓を開けて目視で確認する。

雪の中を歩き撮影する姿に、この寒いのにアホやなあという目で見た。
北海道の厳冬期の雪はレンズについても水滴にならない。払えば取れる。
カメラの金属部は冷凍室状態。
名寄から名寄線で遠軽に行った。この路線は廃線になった。
宗谷線もいつ廃線になってともおかしくない。

家内も息子もこんな写真を撮ったのも知らない。
後世に残るように整理しないと残らない。
孫にいたっては車椅子に乗った爺の姿しか見ていない。

蒸気機関車 雪の室蘭本線

2022年01月09日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道室蘭本線 栗丘付近

室蘭本線は石炭の輸送があり複線だった。
地域には大きな都市も無かった。石炭貨物輸送のための複線だった。
筑豊本線も炭鉱に近いところは複線だった。。
全線複線は東海道、山陽線、東北線、北陸 鹿児島など基幹の路線だけだった。

北海道は原野を走るので複線もほとんど並行していたが栗丘の丘超えののルートは上りと下りの路線が離れていた。
D51型が客車を牽引、この路線の客車はC57型が牽引していた。
ダイヤを見ながら撮影場所を移動した。

雪の中、寒風吹かれじっと待っていた。
寒さに耐えられない時は駅まで戻り石炭ストーブに当たる。
函館本線の小沢駅近くには天然温泉があり共同浴場で一時間浸かり外にでた。温泉は100円だった。
こんな忍耐が自分の人生に何か役に立ったであろうかと思う。
1人で列車を待つのは寂しいとは思わなかった。
男は弱音を吐くなと思っていたのかもしれない。

蒸気機関車 黒煙  室蘭本線 沼ノ端

2021年10月12日 | 蒸気機関車
切通しを黒煙を上げて走ってくる。D51型
民営化でこんな貨物列車も姿を消した。
一両目は無蓋車だ。
国鉄OBの人と話していたら民営化する時に貨物についていた 日本国有鉄道のマークを外し段ボールにひと箱持っていると言っていた。
それは泥棒と違うのと思った。国民の財産だろう。

法面には熊笹が生えている。寒いところは笹はあるが竹はない。しかし、山菜のタラの芽は沢山あった。

蒸気機関車 福岡県田川線の9600型

2021年10月03日 | 蒸気機関車
田川線は田川炭鉱で掘削された石炭を行橋の港に積み出すため敷設された路線。
炭鉱閉山後は石灰岩を運搬。
蒸気機関車は9600型で運行 大正時代の機関車

九州にのは福岡県の平尾台と大分の臼杵あたりに石灰岩は算出する。
日本は資源の乏し国だが石灰岩は各地に豊富にある。
建物や道路の建設にはセメントは欠かせない。
セメントや鉄鋼生産には石灰は欠かせない。

現在は田川線は第三セクターで平成筑豊鉄道とし運行
十数年前に田川炭鉱記念館にユネスコ世界記憶遺産に、山本作兵衛氏の絵や記録が登録されそれを見に行った。
訪れるのは30年ぶりだ。
世界記憶遺産はアンネの日記やベートーベンの楽譜が登録されている。炭鉱街の薄汚れた町は無くなっていた。

蒸気機関車 室蘭本線 苫小牧

2021年09月24日 | 蒸気機関車
苫小牧のヤードにC11型蒸気機関車が停車している。
向こうに見えるのもC11型である。

撮影年月日と場所は書いてあるが、その日の行動など詳細は書いていない。
行動や特筆すべき事は書きネガの袋に貼っておくべきだった。
自分はこんな細やかさがない。
数年すると忘れしまう。ましてや50年後に記事にするとは想定もしていない。

丁寧な人は油性の細ぺンでネガに一枚一枚場所を書いている。
C11型は日高線で運行されていた。
日高線は苫小牧と様似を結ぶ140キロの海岸線であったが、爆弾低気圧の影響で線路が壊滅的に被害に遭い、30キロ先の鵜川まで残し先は廃線なる。

日高線の沿線は競馬馬の生産地、家族で北海道に行った時に馬好きの息子が牧場が見たいというので何か所かレンタカーで回った。

蒸気機関車 日豊線宮崎駅 C5766

2021年09月06日 | 蒸気機関車
昔の客車もほとんど残っていないのでははないか
まだ内装はプラスチックやアルミ材がなく木材が多くつかわれている。
通路や床板も材木、椅子の背もたれや手摺も木製。
新幹線の椅子が一番疲れにくいそうだ。
職場の椅子もパネル室は新幹線仕様の椅子を使っていた。
事務所は事務用椅子だったが

蒸気機関車のプレートは四枚付いている。バック運転するので後ろにも付いている。
ドアを開ければ客室からプレートが見える。
開けておくと煙が入るので前の乗客に断りを入れて急いで撮影する。
三脚を使いスローシャッター

映画のワンシーンに出てくるような写真を残しておきたかった。
鉄道員、第三の男、ひまわりなどの駅のシーンを参考にすべきだった。

蒸気機関車  岡山操車場発車

2021年07月20日 | 蒸気機関車
岡山機関区や操車場にはよく通った。
普通は一度行けば同じ風景なので行かないものだが、毎回機関車は変わるし違ったものだ。もう成人していたが小学生のガキのような精神だった。

大人だったので、これから何が消えどう変化するかを考えて撮影すべきだった。
写真を撮るのは、単純にシャッターを押すだけと思いがちだが、小説のように物語に仕立てる構想が必要に思う。

写真の持つ要素に記録性がある写真が残る事で時代の変遷が分かる。
何が淘汰され何が栄えるかも予測することだ。
私生活でももっと時代の流れに関心を持ち読み先を読む事だ。
個人の商店が消え、大型スーパー、コンビニ、チーン店に変った。
若い頃に100万円でセブンイレブンの株を買っておけば一億八千万になっていた。ヤフーの株も買っておけば3億円になっていた。孫さんなんか口だけのペテン師としか思わなかったのが行けない。先の読めない人間だったと思う。
人生は反省しきりである。




蒸気機関車 直方駅ヤ―ド

2021年06月02日 | 蒸気機関車
直方駅の駅のヤードに4台の機関車が並ぶ
ヤードが広く走行線路をいくつも跨いで歩いてきた。今なら犯罪物である。
直方構内はいつも煙の匂いがした。

今考えても鉄道ファンには夢のような時間である。こんな写真を撮っていなかったら軽い人生で終わっていただろう。特に60歳からの15年は車椅子生活だけにそう思う。

D5090は残り少ないD50型の一台であった。
缶の蓋のハンドルが真鍮で金色に輝いていた。