懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の古い町並み写真展 その57 「伊勢大神楽2」 倉敷市下津井

2012年08月27日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その57 「伊勢大神楽 曲芸」 倉敷市児島下津井

日本の神楽は伊勢神楽と出雲神楽が二大神楽だそうだ。
伊勢神宮と出雲大社の二大神社で始まったと言われている。
伊勢大神楽は舞と曲である。舞は獅子舞、曲とは曲芸の事です。
曲は家々を回る途中広い庭のある家では演ずる事もあるが一般的には夕方に公園などで人が集まったところで演ずる。
今回の写真は公園で曲芸を演じている模様です。
曲芸を演じる人より後ろで見ている観客の表情が面白い。

出雲神楽は広く中国地方で演じられている。地域によって石見神楽、備中神楽と名前をむ変えて
演目は延々と続くがクライマックスはヤマタノオロチが登場する。
ヤマタノオロチはタタラ製鉄で流出した土砂で荒れ狂う斐伊川の様子を龍にたとえたいわれている。
タタラ製鉄による山の荒廃はモノノケ姫のモチーフになった。
宮崎の高千穂に岩戸神楽がある。これも出雲神楽の流れをくむ。
私の勤めていた会社には宮崎出身者が多い。岩戸神楽は出雲神楽の一派だと言っても高千穂が発祥の地と言って聞く耳を持たない者がいる。

瀬戸内海の見える公園








昭和の古い町並み写真展 その56 「伊勢大神楽」 倉敷市児島下津井

2012年08月24日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その56 「伊勢大神楽 物陰から見る少女」 倉敷市児島下津井

毎年、昔からの古い町並みを伊勢大神楽の一行が訪れ各家々を回る。
伊勢神宮に参拝できない人々のために各家々を回り獅子舞により家内安全をお祈りしお札配る。
こんな行事はとっくに消えたと思ったら茅葺民家を撮影で訪れた集落でであった。
その後、岡山県内の集落でも出合ったので話を聞いた。
本部は三重県の桑名にあり団員は60名くらいがひとグループ六名ほとで編成され全国各地を回っている。各団のまとめは世襲制をとっている。

息子の嫁の実家は滋賀県の昔ながらの集落でいまだに回ってくるそうだ。
しかし、団員の若者の中には袴姿ではなくジーパンでくるそうであれは行かんとお母さんが言っていた。
桑名に本拠地があるのは東海道の宿場町で日本各地に行くのに好都合であったとおもわれる。伊勢から出るのに比べると歩いて移動した昔だと何日も行程に佐があったと思う。

NHKの新日本紀行、新日本紀行ふたたびでも放送されたので見られた人もいるとおもう。
伊勢大神楽についてはホームページで検索ください。








昭和の古い町並み写真展 その55 「風俗 挨拶」 倉敷市阿知

2012年08月21日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その55 「風俗 挨拶」 倉敷市阿知

街角で通行人を撮影していたら着物姿の婦人が挨拶をしているのを撮影した。
標準レンズなので被写体が遠い、今のようなズームレンズがあれば楽に撮れたのにと思う。
こんなのを撮った記憶さえなかった。
昔の婦人はこんなに丁寧に挨拶をしていたのだと思った。
改めて写真の持つ記録性に気付かされた。

人々の所作や行動、立ち振る舞いや出で立ちも年とともに変化する。
昔の婦人は信号待ちする時は自転車から降りて立って待った。今の若い女性や高校生はスカートでも自転車にまたがったままである。
道路のどこでもすぐに座りこむ若い女性をジべタリアンと名付けた民俗学者がいた。
民俗学は人が生活する間、不滅のものだ民俗学は過去の事を研究するものではないという人もいる。

民俗学者の今和次郎氏は街角を行く人々の服装や出で立ち所作を細かくスケッチしている。
人間観察をして記録している。
宮本常一氏は全国をくまなく歩き庶民の暮らしを写真に残している。著書で見る事もできるがデーターベース化しているのでネットで誰でも閲覧できるのが有難い。

昭和の古い町並み写真展 その54 「風俗 縁台将棋」 倉敷市児島下津井

2012年08月18日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その54 「風俗 縁台将棋」 倉敷市児島下津井

夕方酒屋の前で縁台将棋をしていた。
子供の頃に見掛けた風景である。
夕涼みを兼ね一杯飲みながら将棋に興じる。民家も本瓦葺きだったので撮影したと思う。

今も好きな人はクーラーの利いた碁会所などで集まって囲碁将棋を楽しんでいる。
まだクーラーも少なく人々が寄り集まり団欒をする習慣もあった。
道路脇で縁台を並べるのも車社会になり落ち着いてやってられない。

現在の中高年は何をしているのだろうか
ジョギング、散歩、カラオケ、ゲートボールやグランドゴルフ。家庭ゲームやパソコンであろうか
中高年の楽しみが映像として残っていないように思う。
若い女性や女高校生ならばカメラを向けるが中高年のオッサンでは絵にもならない。
カメラが腐るといったところか
中高年のおじさんおばさんが輝いている光景もあるはず、どんな場面で輝いて見えるのか観察してみよう。

昭和の古い町並み写真展 その53 「風俗 ねんねこ半纏」 倉敷市阿知

2012年08月15日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その53 「風俗 ねんねこ半纏」 倉敷市阿知

倉敷の古い町並みのナマコ壁のところで行き交う人を一時間ほど待ち撮影した。
冬場の寒い一日だったが被写体になりそうな人をまった。
撮影した人の中には結構、着物姿の人がいた。
冬場だったから着物姿の人がとれたのだ。
夏場に暑苦しい着物を着る人はいない。
ねんねこ半纏、この当時は子供は背負うものであった。
しかも子守りはお祖母さんの仕事むだったのが判る。
核家族の現在はどうであろうか、
今は前抱きで背負う人はほとんどいない。いつの時代から変わったのであろうか
それでも東日本大震災でほしい支援物資がテレビで放映された。その中に背負い紐も数多くあった。
前抱きでは家事が出来ない、調理もやりにくいし火や油を使うので危険だ。
背負い紐自体持っていなかったのか流されたのかと想像した。


撮影しながらこんなの撮影して何になるのかと思って撮影した。
これは今も撮影している茅葺き民家についてもいえる。
何のためにどんな役に立つのだろうか時間と金の無駄ではないかとといつも反芻しながら撮る。
しかし、それをやらなくてもテレビを見ながら時間を潰すのが関の山である。
自分の生きた証のために撮影すると思えば気が楽である。
ただ撮影するだけでは何の役にもたたぬゴミである。
ひとつの作品に仕上げるまで撮影者がやっておかないとゴミになりかねない。


茅葺民家 どっこいしょ

2012年08月13日 | 昭和の古い町並み写真展
撮影場所  島根県安来市

野良仕事で休憩している奥さんを茅葺民家をバックに撮影させてもらう。
最近は肖像権違反で個人の写真を嫌う。コンテストでは個人の写真は難しいらしい。
茅葺民家も著作権があり勝手に撮影してコンテストなどに出せないそうだ。
私などそんな違反行為を長年続けてきたことになる。
そんな堅苦しい事を言っていたら何も撮れない。

肖像権に抵触しない花や自然やイベントを撮る人が多い。
イベントの人はいいのだろうか、演技で撮ってほしい人間ばかりだからいいのであろうか

私は日常の何気ない風景にこそ人間の生活はあると思っている。
皆が撮っているものは自分が撮っても仕方ないと思っている。
他人に惑わされる事なく頑固一徹、自分のスタイルを貫くしかない。
それが生きるということでもある。




昭和の古い町並み写真展 その52 「風俗 主婦」 倉敷市天城

2012年08月11日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その52 「風俗 主婦」 倉敷市天城

倉敷市天城には江戸時代に陣屋があり古い町並みが残っている。
そんな町並みの中で建物にふさわしい人がくるのをじっとまった。
30分以上は待った。着物にエプロン、ゲタ履きで買い物篭を持った主婦がやってきた。
こんな篭はどこの家庭でもあった。まだ日常で寒い時期になると着物を着る人が結構いた時代である。
これを変えたのは車社会である。着物を着ては車に乗れない。
ましてゲタや草履は運転禁止、スーパーに行けばレジ袋をくれるようになり篭の必要もなくなった。
街ゆく人を定点撮影しておけば時代がどう変化していったか分かるがそんな考えは全くなかったと反省する。

写真を撮るには何をどのように撮っていくかの企画力と目標がないと軽薄なものになる。
写真の撮影技術は教わったり勉強したりするが小説やオペラのような物語のある作品に仕上げる人はすくない。写真も単発で終わるのではなく自分の生涯の作品として小説のような物語を作ってみたいものだ。

昭和の古い町並み写真展 その51 「風俗 風呂屋」 倉敷市下津井

2012年08月08日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その51 「風俗 風呂屋」 倉敷市下津井

倉敷市下津井に昔ながらの風呂屋があった。
下津井を撮影していたら地元の人から古い民家は風呂屋だと教えてもらう。
風呂屋の開く時間に行ったが営業をしていない。もう一度行ってみたがやはり閉まったまま。
地元の人に聞いたらこの地区には風呂屋が二軒あり交互に開いているとの事だった。
ステテコ姿で風呂にくる人か多かった。腹巻きをしている夏でも腹巻きをしている。
腹巻きの中に煙草や小銭をいれていた。
原巻き姿も見掛けなくなった。

我々の子供のころも風呂屋は各地にあった。水道は田舎にはなかった。
地下水をくみ上げるポンプをもっていたのであろか、水道の蛇口があったと思う。
下津井の風呂屋も水道が来る前はポンプで地下水をくみ上げていたのであろうか

江戸時代に風呂に入っている絵などあるがポンプもないし鉄缶もなかったのに大勢が入れる風呂が造れたか疑問である。お湯を沸かして人が補給していたのであろうか
庶民が入れたのは岩風呂か蒸し風呂ではなかったか。
風呂の起こりは蒸し風呂で熱く焼いた石に水を掛け蒸気で汗をたすものが今ものこっている。
蒸気の上がるスノコに敷物をした事から風呂敷の言葉が生まれた。
湯船に入れるのは一番の贅沢であったとおもわれる。
庶民は身体を拭くか行水程度であったとおもわれる。
山口県に茅葺民家の蒸し風呂がある。国の重要文化財だが注文があれば炊いてくれる。
薪代と工賃で一回一万円だそうだ。グループで入りにくるそうだ。
この蒸し風呂の管理している近くに住む老夫婦に撮影のついでに話を聞いた。


昭和の古い町並み写真展 その50 「風俗 ミニスカート」 岡山市庭瀬

2012年08月04日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その50 「風俗 ミニスカート」 岡山市庭瀬

ミニスカートの女性が自転車に乗ってやってきた。
あらわに大腿部をだし自転車に乗る、ドッキリしそうな風景である。
昭和40年代ミニスカートは女性のファッションの革命であった。
おとなしい大和ナデシコを大胆にしたミニスカート

昭和39年にビートルズが来日、男たちはそれに熱狂しエレキ音楽をはじる若者が増えた。翌年枝木のような細い身体でミニスカート姿のツイギーが来日して起きた女性のミニスカートブーム、風俗が世相を表す


昭和の古い町並み写真展 その49 「風俗 ステテコ」 岡山県倉敷市玉島黒崎

2012年08月01日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その49 「風俗 ステテコ」 岡山県倉敷市玉島黒崎

今回からは古い町並み、風俗についてお送りします。

風俗は風習や習俗からきた言葉ではないかと思う。
言葉は略語として新しい言葉が次ぎ生まれている。経済や公害などのように長年使われてなじんでいる。
風俗は年間行事、生活習慣、風習、民間信仰や服装などを指して庶民の生活そのままである。
しかし、最近は風俗というと風俗産業や風俗嬢、風俗店など性風俗にとってかわったところがある。本来の意味から逸脱した感がある。

今回はステテコ姿の男性について投稿した。
昔はほとんどの男性がステテコを着用していた。
私の年代もなると使用する人が減った。
しかし、最近はデザインも垢ぬけたステテコに人気
がある。
ステテコの語源は明治時代に演舞場でステテン、ステテンというリズムで踊るステテコ踊りの着物の下着が似ていたからとか着物の裾から見えないように丈を短くした下着に似ているこの名が付いたと言われている。