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クリント・イーストウッド監督『ファイヤーフォックス』その1

2021-05-11 06:00:00 | ノンジャンル
 クリント・イーストウッド監督・製作の1982年作品『ファイヤーフォックス』を再見しました。
 サイト「映画ウォッチ」のあらすじに加筆修正させていただくと、
「アラスカをランニングする元戦闘機パイロットのガントは、ヘリが近付くのに気付き走るペースを上げる。そして隠れるように家に飛び込み、銃を構える。その彼の脳裏に、ベトナムで撃墜された時の記憶が甦る。彼は捕虜にされた時、その救出に駆け付けた友軍の攻撃で、民間人の少女が一人焼殺された場面に遭遇した過去があった。恐慌に陥っていたガントは、ヘリのパイロットに声を掛けられ正気に戻る。
 アメリカは、ソ連の最新鋭戦闘機ミグ31ファイヤーフォックスが完成した情報を手に入れる。ファイヤーフォックスは、ステレスシステムに巡航速度マッハ5以上という飛行性能、そして思考制御による攻撃システムを備えており、幕僚達はその脅威を論じる。そしてアメリカは、ロシア系の血筋を持つガント(クリント・イーストウッド)を使いファイヤーフォックスの奪取作戦を計画する。自分の精神状態等を理由にガントは最初断るが、結局引き受ける事になる。
 ガントは、携帯ラジオに偽装したナビゲーションシステムを渡され、ファイヤーフォックス奪取後の飛行経路、万が一の墜落時に備え機体性能をボイスレコーダーへ吹き込む等の説明を受け、麻薬密売人スプラグに成り済ましソ連に入国する。ホテルにチェックインしたガントは夜、外に出て、指示通りソ連公安局員、KGBの監視を尾行させたまま、連絡員パヴェルと落ち遭う。そこには本物のスプラグもいた。パヴェルはすぐにスプラグを殺し、河に放り込む。公安員はそれをすぐに発見、検問を手配、パヴェルとガントを追う。パヴェルに新たな身分と逗留先を指示され逃げるガントだったが、人の死を目の当たりにしてトラウマが甦る。それでも逃げ続けたが、警戒中のKGBから尋問を受け、パスポートに不備があると指摘される。それはハッタリで、ガントは咄嗟に抵抗してしまい公安局員を殺害してしまう。パヴェルはそれを知り死体を隠し、ガントを自分達の隠れ家に移動させる。
ガントはまた身分を変えて、パヴェルと共に新型機の試験を行っている飛行場に向かう。パヴェルは前からスパイとして監視を受けており、それに前夜の事件で当局の警戒が強まり、二人には尾行が付いて回る。更にはKGBはスパイを何人か逮捕し、把握している員数外であるガントが何者か探り始める。夜になり、逮捕したスパイから情報を取ろうとするがうまく行かず、ガント達の逮捕命令が出る。その頃飛行場に向かうパヴェルは、協力者であるファイヤーフォックス開発者の一人セメロスキーとガントを予定通りに合流させる為、ガントを走行中に車から飛び降りさせる。KGBはパヴェルの車を追い、ガントはセメロスキーの車に忍び込み、更に開発者であるパラノヴィッチの夫妻の協力を受け、彼等の宿舎に隠れる。一人逃げるパヴェルはKGBに襲われ車を失い、森の中を逃げ続ける。ガントはパラノヴィッチから奪取までの詳細説明を受ける。作戦は、士官に変装して基地格納庫に入りこみ、テストパイロットのボスコフを殺害し入れ替わり、協力者達が騒ぎを起こす隙にファイヤーフォックスを奪う手筈になっていた。
KGBではガントの素性が徐々に調べられていく。ガントは、協力者達からファイヤーフォックスは現在2機ある事を聞かされる。2号機も飛行可能で更に1号機にはない空中給油能力があるが、騒ぎで飛行不能になる予定だった。そして件の思考制御システムに於いて、ロシア語で考える事が重要だと説明された。
 変装したガントは飛行場に近付く。警備兵に検問を受けるが問題は発生せず、彼は疑われないように警備兵に森もパトロールした方が良いと提案する。ガントは格納庫に入り、2機のファイヤーフォックスを確認する。カナードを装備したデルタ翼の機体は、ステレス性能を引き出す為に異様な形態をして電波吸収塗料で黒く塗られていた。それを見詰めるガントは、ソ連士官に話し掛けられる。ガントは森のパトロール強化を指示したとやり過ごし、予定通りに控え室に向かう。
 テストパイロットのボスコフは、飛行に備え控え室に入る。そしてそこに潜んでいたガントに襲われるが、気絶したボスコフをガントは殺さず、拘束して隠すにとどめる。」

(明日へ続きます……)

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クリント・イーストウッド監督『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』

2021-05-10 05:42:00 | ノンジャンル
 クリント・イーストウッド監督・製作の1986年作品『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』をNHK・BSプレミアムで観ました。
 ウィキペディアのあらすじに加筆修正させていただくと、
「朝鮮戦争を皮切りに、数々の戦場を渡り歩いたアメリカ海兵隊の一等軍曹トム・ハイウェイ(クリント・イーストウッド)は、平和な現代社会では浮いた存在となりつつあった。ハイウェイは酔っ払って喧嘩した上に警察のパトカーに放尿して逮捕されていた。檻の中でも彼は数々の武勇伝に話を咲かせ、百戦練磨の腕っ節の強さを見せ付け、裁判でも朝鮮戦争の時に与えられた名誉勲章に免じて罰金100ドルで放免となる。そんなハイウェイに、彼の古巣である第二海兵師団第二偵察大隊第二偵察小隊(ノースカロライナ州キャンプ・レジューン)へ復帰するようにという辞令が下る。
 ハイウェイはバスで赴任先へ向ったが、途中で「ロックンロールの帝王」を自称する黒人青年と顔見知りとなる。しかし、ドライブインで休憩中に、その青年に食事代を持ち逃げされた挙句、バスにも置いてけぼりを食わされる。なんとかキャンプ・レジューンに到着したハイウェイを待っていたのは、士官学校卒で実戦経験の無い補給部隊あがりで書類馬鹿の中隊長パワーズ少佐と出来損ないの戦闘未経験の兵士たちだった。その兵士の中には、食事代を持ち逃げした青年スティッチもいた。ハイウェイはパワーズに睨まれながらも、彼らに一人前の海兵隊員らしく戦えるように鍛え直していくことに決める。訓練開始の前夜、ハイウェイは前妻アギーと再会し関係の修復を図るが、彼女が働く店でトラブルを起こしたスティッチを庇い店主と揉めたため、店を追い出され彼女との話も途中で終わってしまう。
 翌日からハイウェイは、今までの軍曹がやらなかった、実戦さながらの実弾を用いた訓練を取り入れる。それはアメリカ海兵隊にとって敵となりうる人たちが好んで使用するAK-47突撃銃を兵士たちの至近距離から撃ち、その発射音を覚えさせるというものだった。訓練中もハイウェイのやり方がパワーズとの確執を拡大させ、戦闘訓練の際にパワーズ率いる第一小隊とハイウェイ率いる第二小隊が目的地の一番乗りを巡り小競り合いとなる。最終的に指揮官同士の戦いにもつれ込み、パワーズとハイウェイの一騎討ちとなった。ハイウェイは実戦経験のないパワーズを打ち負かし、目的地一番乗りの名誉を勝ち取る。ハイウェイは再びアギーの元を訪れ彼女との関係を修復しようとするが、彼女は突然泣き出してハイウェイを追い出してしまう。ハイウェイは酔って騒ぎを起こして監獄送りとなり、長年の戦友であるチューズー曹長の助けで釈放される。チューズーはハイウェイ、アギー、スティッチを連れてかつての上官の未亡人が経営する店に行き、スティッチに戦争の現実を教える。また、ハイウェイはアギーと話し合い、戦争に向かうたびに彼女が自分の身を案じて不安な日々を過ごしていたことを知る。
 ハイウェイは海兵隊将校・下士官のパーティーでアギーと楽しいひと時を過ごすが、突然海兵隊に非常呼集がかけられる。それまで何度も訓練の非常呼集があったので、海兵たちはまた訓練の一環だと思ったが、海兵隊はグレナダ侵攻作戦に投入される。リング中尉率いる第二偵察小隊は医科大学に監禁されているアメリカ人を救出する任務を担当し、スティッチたちは初めての実戦を経験する。無事にアメリカ人たちを保護した第二偵察小隊に対し、パワーズは丘の上の敵陣地を偵察するように命令する。「許可するまで攻撃を禁じる」という命令にハイウェイは憤るが、命令通りに丘に向かう途中でグレナダ軍の装甲車部隊と遭遇する。ハイウェイは伏射で戦うよう指示を出すが、リングたちは近くの建物内に避難してしまい、装甲車からの砲撃で隊員が一人戦死してしまう。自分のミスを責めるリングにハイウェイは援軍を呼び抵抗を続けるように指示し、味方のヘリコプターがグレナダ軍装甲車を撃破したのに合わせ残敵を掃討する。気を取り直したリングはこのまま丘を攻め落とすことを命令し、第二偵察小隊は丘の頂上にあるグレナダ軍の前線司令部に奇襲を仕掛け、司令部の破壊と数名のグレナダ軍兵士を捕虜にする。ハイウェイは若い海兵らの成長を感慨深げに眺めるが、そこにパワーズが到着して命令無視を叱責する。しかし、大隊長メイヤーズ大佐はリングとハイウェイの行動を認め、実情を無視した命令を出したパワーズに以前所属していた補給部隊への再異動を命じる。
 作戦を終えて帰国した第二偵察小隊は市民からの歓迎を受ける。ハイウェイは除隊する決意を固め、海兵隊への再入隊を決めたスティッチと別れを交わし、出迎えに来たアギーと共に空港から立ち去るのだった。」

戦闘シーンがリアルな映画でした。

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瀬川昌久&蓮實重彦『アメリカから遠く離れて』その2

2021-05-09 06:02:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

・「(前略)ごく最近のアメリカ映画を見ますと、その『グリーンブック』もそうなんですが、その前に、スティーヴ・マックイーン監督の『それでも夜は明ける(12 Years a Slave)』(2013)という、これも実話を基にした映画が2014年にアカデミー賞作品賞をとり、今回の『グリーンブック』も作品賞でした。一時、黒人がまったく受賞しなかった時期がありましたが、それに対する反動なのか、最近は黒人が非常に頻繁に賞をもらうんです。」(蓮實)

・「(前略)『嵐の中の青春』はイギリス映画で、これがなかなかいいんです。ヘンリー・コーネリアスの作品です。(後略)」(蓮實)

・「(前略)これも「ヌーヴェル・ヴァーグ」には属しておりませんが、何人かの作家たちがジャズを使ったことはあります。エドゥアルド・モリナロなどという監督の作品にジャズを使った映画が何本かあったように記憶しています。(後略)」(蓮實)

・「(前略)国民投票で憲法改正を決めるといった一部の動きにも、それこそ悪しき「共和主義」幻想だという理由で、反対の立場を立っております。」(蓮實)

・「そもそも、その人が何かをいったということを完全に証明するものは、その人が実際にしゃべっているところか、あるいはその人の署名以外にないんです。(後略)」(蓮實)

・「(前略)今も苦しんでいる人が、いるということをね。ですから、その意味じゃ、沖縄、長崎、広島の甚大な被害をうけた後に完全降伏したからこそ、いまのわれわれは、アメリカのジャズや何かをエンジョイできるんだということはよく承知しないといけない。」(瀬川)「そう、そのことを絶えず頭に置きながら、しかし一方でジャズを聴き、一方で映画を見なきゃいけない。」(蓮實)

・「(前略)醜い現実から逃れるため、三島由紀夫は死に急いでいた。そうとしか思えません。わたくしたちは、かりにいかに醜いものであれ、この世界を否定することだけはしないでいるつもりです。」(蓮實)

・「(前略)一点突破は妥協がない。しかし、真の偉大さは妥協することでしか達成できないものだと思っています。」(蓮實)

・「(前略)ところが、1930年代の中ごろになると、何かが変わってきます。『人情紙風船』(1937)を遺作として中国で戦病死した山中貞雄(やまなかさだお)監督が、自分はこれからソ連のプドフキンではなくハリウッドのマムーリアンを相手にするのだといいきっていたからです。(後略)」(蓮實)

・「(前略)一般には上品な美人女優と思われているであろう原節子として、『東京の女性』と『颱風圏の女』の二作は、異色的傑作と思いました。」(瀬川)

音楽と映画への欲望をやたらに掻き立てられる、そんな本でした、

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瀬川昌久&蓮實重彦『アメリカから遠く離れて』その1

2021-05-08 06:31:00 | ノンジャンル
 瀬川昌久氏と蓮實重彦氏の対談集で2020年に刊行された本『アメリカから遠く離れて』を読みました。
 その中からいくつかの部分を転載させていただくと、

・「日本人はもう一回、とにかく痛めつけられなきゃわからないんだろうと(笑)。もう、若い方々は、好きにやってくれと。」(瀬川)

・「(前略)(安倍氏が)首相になる以前は、一度失敗した彼がまた首相になると思った人なんてこれっぽっちしかいなかったわけです。ですから、やはりその地位に付いてしまうということは恐ろしいことだと思います。」(蓮實)

・「(前略)わたしのすぐ下の弟(瀬川昌治(まさはる))も非常に熱心で、だいたいそれで東大の文学部に入ったくらいなんです。」(瀬川)
※ちなみに瀬川昌治氏は『瀬戸はよいとこ 花嫁観光船』などで知られる優れた映画監督です。

・「(前略)先ほどお話ししたわたしの伯父たちも松竹楽劇団に熱狂していて、一度連れてってもらったんです。そこで笠置シヅ子の歌を聴きました。曲はみんな服部さんがアレンジして、作曲もしていて、「シング・シング・シング」とかアメリカの曲も歌っていましたが、(中略)それがとにかく素晴らしかった。(後略)」(瀬川)

・「(前略)戦後、笠置シズ子と並んで大阪のOSKに、秋月恵美子(あきづきえみこ)というタップのものすごくうまい人がいました。(後略)」(瀬川)

・「ええ、戦時中もフランスは敵国でないということで、映画も入ってまいりましたし、だからヴァレリーなどの翻訳も可能だったんです。」(蓮實)

・「(前略)いまを見ていると、ほとんどそれと同じような形での排外主義が散見されます。そしてその排外主義はほとんど外国を知らずに、日本のみを優れた国というふうに考えている。しかしそんなことはまた戦時中と同じ間違いで、外国のことは知らなければならない。」(蓮實)

・「『大運河』も日本で見て、ああ、フランスはすごいことになっているなあと思いました。そして、フランスに行って、チェット・ベイカーが出ていたりしたので聴きに行きましたが、(後略)」(蓮實)

・「(前略)その時に島津保次郎をもう一度ほとんど見直しましたら、出来不出来が結構ある人なんですが、いいものは非常にいいです。」(蓮實)

・「(前略)(島津保次郎の)『家族会議』も、まあなかなか面白いし、それから『お琴と佐助』(1935)というのはご覧になりましたか。(中略)これが一番素晴らしいんじゃないかと思います。」(蓮實)

・「(前略)『桃太郎の海鷲』もユーチューブに映像があるようですから、これも見てみましょう。(中略)このへんの画はかなりのもんなんですよ。」(蓮實)

・「(前略)『お琴と佐助』の場合は、見ている人の数は限られているとはいえ、海外の批評家のうちには、もっとも優れた日本映画の一本に選んでいる人もいます。(後略)」(蓮實)

・「(前略)(グリフィスは)あれだけ素晴らしい映画を無声映画時代に撮っていたのに、トーキーになるとほとんど撮れない。リンカーン自身を描いた『世界の英雄(Abraham Lincoln)』(1930)というすぐれた映画をトーキーで撮っているんですが、それでも、昔ほどの名声はなくなってしまう。」(蓮實)

・「アメリカの音楽史上でも、混血の美人女性が段々スターになるということがありましたけど、わたしが非常に好んだ美人の女優さんで、あの『ラウンド・ミッドナイト(Round Midnight)』(1986)に出てきたロネット・マッキーね。(後略)」(瀬川)

・「(前略)もちろん、黒人差別反対の動きは1800年代前半からアメリカにもありました。ジョン・ブラウンという奴隷制度廃止運動家がいます。(中略)彼は南北戦争が起こる直前に処刑されてしまうんです。(中略)白人です。(後略)」(蓮實)

・「(前略)このジョン・ブラウンが死刑になる時に、フランスの詩人ヴィクトル・ユーゴーが、それには反対するという文章を発表したんです。ですからいまよりも、ヨーロッパとアメリカの関係ははるかに近かったようです。」(蓮實)

・「(前略)十歳のころ天才といわれてヨーロッパの音楽学校に行く黒人が50年代にいた、という設定で語られていますが、このような天才の黒人ピアニストがいたんですね。」(蓮實)

・「(前略)じつは黒人だけではなくて、イディッシュ映画というジャンルもアメリカにはありました。(中略)そのように、30年代から40年代にかけてイディッシュの非常に優れた映画が作られ、ニグロムービーといわれている映画も、そのころずっと作られていました。ただし、普通の映画館にかかることはあまりなかったわけです。」(蓮實)

(明日へ続きます……)

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佐々木聰監督『ふたりの桃源郷』

2021-05-07 05:48:00 | ノンジャンル
 先日、「あつぎのえいがかん kiki」にて、「山口放送 開局60周年記念作品」として作られた、佐々木聰監督の2016年作品『ふたりの桃源郷』を観ました。

 パンフレットの「物語」に大幅に加筆修正させていただくと、

「山口県岩国市美和町の山奥で暮らす田中寅夫さん、フサコさん夫妻。
二人が電気も水道も通っていないこの山で暮らすには、理由がありました。戦後、無事南部戦線から帰還した寅夫さん。しかし戦前に二人が住んでいた大阪の家は消失してしまっていて、二人はともかく食べ物を確保し、生きていくために、山口県岩国市美和町の山の一部を買い取り、夫婦で一からやり直そうと、自分たちの手で切り開いた大切な場所だったのです。
日本中が高度経済成長に沸いた時代、三人の娘たちの将来を思って山を離れ、大阪で子どもたちを育て上げた寅夫さんとフサコさん。しかし、夫婦で還暦を過ぎた時、「残りの人生は夫婦で、あの山で過ごそう」と、山に戻ることを選んだのでした。
自分たちで収穫する季節の野菜、山で採れる山菜、山から引いた湧き水を薪で沸かした風呂、寝室代わりの古いバス、月に一度届く娘からの手紙…。しかし、ふたりの山暮らしに、「老い」は静かに訪れます。田んぼはある時期から耕作をあきらめ、畑だけ耕すようになる二人。山菜取りも足取りがおぼつかなくなった寅夫さんに代わって、フサコさんが行なうようになります。
離れて暮らす三人の娘たちは、喘息の病に倒れ、入退院を繰り返すようになった寅夫さんを心配し「二人で山を下りてほしい」と、説得を試みます。最期まで「自分らしく生きる」ことを望む夫婦と、「大阪で両親の面倒を見たい」と願う子どもたち。お互いを大切に思うからこそなかなか答えの出ない、家族の葛藤と模索が始まります。それぞれが真剣に“家族”と向き合うなかで、しだいに子どもたちの心に変化が訪れます。寅夫さんが先に亡くなった後、施設に入ったフサコさんは認知症が進みます。そこでフサコさんの三女とその夫は、フサコさんを連れて山に戻る決心をします。そしてフサコさんも天に召された後、山には、かつての寅夫さん、フサコさん同様、生き生きと畑を耕す三女夫婦の姿があったのでした。」

 寅夫さんの喘息のゼイゼイいう呼吸音、そして、寅夫さん亡きあと、認知症になり、夫の不在を信じられず、山に向かって「おじいちゃーん、おじいちゃーん」と呼びかけるフサコさんの清んだ声が忘れられません。寅夫さんの魅力的な表情、二人して写真に写る時、思わず寅夫さんの腕を取って、寅夫さんの体に自分の体を寄り添わせるフサコさんの姿も特記しておきたいと思います。

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