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法橋和彦『古典として読む「イワンの馬鹿」』その1

2012-12-26 08:32:00 | ノンジャンル
 法橋和彦さんの'12年作品『古典として読む「イワンの馬鹿」』を読みました。
 まず、トルストイ作の『イワンの馬鹿』の本篇から。昔ある王国(くに)の、ある領内(むら)に、豊かなくらしをしている百姓がいました。その裕福(ゆたか)な百姓には3人の息子がいました。軍人のセミヨン、太鼓腹のタラス、馬鹿のイワンです。それにずっと嫁にいけないでいる唖のマラーニヤという姉娘(むすめ)がいました。軍人のセミヨンは王さまにつかえて、戦争にでかけ、太鼓腹のタラスは商売をするために町の商人(あきんど)の店へ行き、馬鹿のイワンは姉とふたり家にのこって、背骨を瘤にして働きました。
 軍人のセミヨンは手柄をたてて高い地位と領地をさずかり、貴族の娘と結婚しましたが、令嬢きどりの奥方が浪費するので、いつもお金にこまり、父のもとへ出かけてねだります。「お父さん、あなたは金持ちなのに、わたしにはなにも下さらなかった。わたしに財産の3分の1をわけてください。わたしはそれを自分の領地に移します」と。老父は「おまえはわしの家のために何もしてくれなかった。それなのに、おまえに3分の1をくれてやらねばならんのか? イワンや娘が怒るだろう」と言います。セミヨンが「だって奴は馬鹿だし、彼女(あれ)にしたっていかず後家の唖じゃないか。なにが奴らに要(い)るものか?」と言いかえし、老人が「イワンがどう言うか」と訊いてみようとすると、イワンは「何ということはないよ(ヌ・シトー・シ)。呉れてやればいいさ」とこたえ、軍人のセミヨンは家産から分け前をもらって、それを自分の領地へ移し換えると、また王さまに仕えるために出ていきました。
 太鼓腹のタラスもうんと金もうけをして、商人の娘と結婚しましたが、それだけのお金ではものたりなく思えて、父のところへでかけて「ぼくに財産の分け前をください」と言います。老父はタラスにも分け前をやりたくありませんでした。そこで「おまえは、わが家のためになにひとつしておくれではなかった。ところでいま家にあるものは、イワンの稼ぎのたまものなのだ。イワンばかりか姉娘(あれ)にも嫌な思いをさせるのはごめんだよ」と言います。それでもタラスは「イワンになにが要るものですか。奴は馬鹿なんで、嫁のきてもあるものですか。オールドミスの唖のほうにしたって同じこと、支度金の必要があるわけじゃなし」と言い、イワンに「なあ、イワン、ぼくの生活費に穀物の半分よこせ。百姓道具までは持っていかないさ。けど家畜のなかから葦毛の種牡馬(たねうま)だけはもらったぜ。あれはおまえの耕作用には向かんからな」と言いました。イワンは笑いだし、「それじゃひとつ(ヌ・シトー・シ)、わたしが行って馬の口に端綱(はづな)をかけてやりましょう」と申しでました。こうしてタラスにも財産が分け与えられました。そこでイワンは老いぼれ牝馬1頭と家に残って、昔どおり百姓仕事をつづけ、父母を養っていくことになりました。
 悪魔の頭領は、兄弟どうし分配のことで口喧嘩ひとつしないまま、仲良く別れていったのが、いまいましく思えてきました。そこでかれは3匹の小悪魔を呼びだしました。「そこをよく見ろ。ほら3人兄弟がいるだろう。もともとあいつらはみな喧嘩しあうことになっているはずなんだが、仲良く暮らしているじゃないか。あの馬鹿がわしの仕事を台なしにしてくれた。おまえら3匹でやってくれないか。あの3人にとりついて、やつらがたがいに目玉をくりぬきだすぐらい、狂わしてやってくれ」小悪魔たちは答えます。「こんなふうにやるつもりです。まずは奴らを食い物がなにないほど落ちぶれさせてみせます。そうしておいてから奴らをひとたばねにしてかき集めてやります。きっと奴らはたちどころになぐりあいをおっぱじめますよ」それを聞いた頭領は「よし、わかった。おまえらは仕事のこつを心得ているようだ。では出かけるがよい。あの3人を狂わせないうちは、わたしのもとへ尻尾をまいて戻ってくるんじゃないぞ」と命じました。小悪魔たちはくじびきで受け持つ相手をきめ、先に仕事をおえたものが、あとのものたちを加勢しにいくことも了承しました‥‥。
 この後、小悪魔たちは、セミヨンとタラスを落ちぶれさせることには成功しますが、イワンに関しては無力で、悪魔の頭領もイワンの労働主義、無抵抗主義に最後には敗退します。(明日へ続きます‥‥)

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青山真治監督『東京公園』

2012-12-25 08:45:00 | ノンジャンル
 先日読んだ、みんなの記録雑誌“やまゆり”に収録されていた、故小島茂平さんによる文章『愛甲郡愛川村半原の撚糸業とその町並みについて』の中で、江戸末期の文化4年(1804)に上州桐生から八丁撚糸機が導入され、それから50年余り後の嘉永年間(1848~53)になって、その生産の動力に水車が利用されるようになって、本格的に始められた絹撚糸業が年を追っていよいよ盛んになり、大正15年(1926)には動力源が電力に切り替わり、絹撚糸の生産は大幅に増大し、昭和10年代には品質の改良と生産能率の向上を図るため、洋式撚糸機への設備換えが実行され、昭和30年代になると東北や九州方面からの従業員の集団就職も行われ、この頃の半原の町の昼休みや夜など若い従業員達が外出してきて、買物をしたり語り合ったりして、祭りの日のような情景が続いていたこと、それが昭和の末頃になって、大型店鋪が各地に進出し、中国や東南アジアで繊維業が発達したおかげで、一気に半原は衰退していったとのことを教えられました。私は半原の最盛期はもっとずっと昔であったと思っていたので、この文章を読んでビックリしました。

 さて、青山真治監督・脚本・共同音楽の'11年作品『東京公園』をWOWOWシネマで見ました。
 公園で人物写真を撮るカメラマン志望の光司(三浦春馬)は、歯科医の初島(高橋洋)から幼い娘を伴った美しい女性(井川遥)を尾行し、写真をメールで送るように依頼されます。光司は亡くなった弟のヒロの亡霊からデジタルカメラを借ります。女性が現れる公園をメールで光司に知らせて来る初島。バイトの清掃中に同僚に後ろから抱きつかれた光司のモトカノの美優(榮倉奈々)は同僚を突き飛ばし、「『リップスティック』って映画知ってる?」と怒鳴りつけます。光司の家でケーキと肉マンを食べる美優は、バイトを辞めたと言い、ゾンビ化したヒロを光司しか見られない不満を口にして、酔って眠ってしまいます。光司が小6の時に自分を撮ってくれた写真を大事にしているという美優。パーティで会った男は光司に「東京は公園だ」と言います。大島に義理の母を見舞いに行った光司は、血のつながっていない姉の美咲(小西真奈美)に、女性を尾行していることを打ち明けます。見事な景色の島を父に見に連れていかれ、泣き出す美咲。帰ってきた光司に、美優は美咲が光司のことを愛していると言い、2人の間に越えられない何かがあるはずだと言います。女性の姿を堂々と間近で撮る光司。その光司の肩を叩く美優。女性が訪れる公園を聞いた美優は、その公園が渦巻き状に分布していることに気付きます。そしてその女性が光司の死んだ母にそっくりだと言い、光司はマザコンだと言って、「加藤泰の『瞼の母』だよ!」、「兄弟は他人の始まりだ」と続け、「この人のことが姉さんに話したことで越えられない何かなのだ」と言います。ヒロに美咲とケジメをつけに行くと言う光司。母にもらったカメラで美咲を撮っていた光司は、向かい合って食事をしながら美咲にカメラを構えると、美咲は耐えられずにソファに逃げ、それでも光司がカメラで撮り続けながら近づくと、彼をソファに座らせ、彼を抱き、光司も抱き返すと、美咲は彼にキスをします。光司は「姉さんが姉さんでよかった」と言うと、美咲は「私も」と言います。光司は仕事を辞めたいと初島にメールをし、やって来た初島は光司からメールをもらってから、妻である女性が初めて同じ公園に2度訪れたことを告げます。渦巻き状に公園を女性が訪ねていたと聞いた初島は、自分たちが大学の考古学サークルで知り合ったこと、渦巻きはアンモナイトを表していることを知らせると、光司は「ここで終点です」と言い、カメラを渡し、奥さんのことを真直ぐに見つめてあげてほしいと言います。妻と写真を撮り合う初島。美優は光司の家に引越して来て、1人で生きていくのがしんどい、頼れるのは光司だけ、と言うと、2階のヒロの部屋から美優の手に涙が落ちてきます。家具を買う光司と美優は、家族団欒の初島に頭を下げられ、美優は光司に「良かったね」と言うのでした。

 対話のシーンで小津(カメラを正面から見る人物のバストショットの積み重ね)がなされており、デジタル撮影にもかかわらずフックスショットが多用されていました。蓮實先生が絶賛している映画です。

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西加奈子『地下の鳩』

2012-12-24 06:21:00 | ノンジャンル
 ジョセフ・ロージー監督、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、サラ・マイルズ出演の'85年作品『スチームバス 女たちの夢』をWOWOWシネマで見ました。サウナ屋に集う女たちの“交流”を描く映画でしたが、演劇のような作りのものでした。

 さて、西加奈子さんの'11年作品『地下の鳩』を読みました。長編『地下の鳩』と短編『タイムカプセル』が収められた本です。
 まず『地下の鳩』。吉田が早朝に地下鉄御堂筋線の心斎橋駅から地下鉄に乗って帰宅する際、電車をやり過ごすことはありませんでした。しかしある日、ふとアーチ型の天井からぶらさげられた、次の電車の運行状況を知らせる表示灯に留まっていた鳩に目がいき、電車をやり過ごしてしまいます。吉田は高校を卒業してすぐ、愛媛から大阪に出てきました。それから22年間、ずっと地下鉄に乗っています。女にはよく好かれましたが未婚です。吉田の実家には、居酒屋を経営している両親と、それを手伝っている出戻りの姉がいましたが、吉田は数年帰っていませんでした。彼らは吉田がキャバレーの呼び込みをしていることは知りません。田舎を出たくて出て来た彼の先輩は音楽をして、ステージに上がる前から客同士が喧嘩し、ステージが終わる頃には演者が血だらけになっているようなバンドでした。吉田も喧嘩に加わっていましたが、ある日、振り下ろした足が女の左頬に当たり、泥のような血を見て、ハッとした自分が嫌でした。女は「あ」と言ってへたりこみ、吉田は周囲の人間にもみくちゃにされて、それでも女のことが気になり、自分にはこういうのは向いていないかも、と初めて思ったのでした。左頬を蹴った女をライブ会場で捜しだして、先輩の家を出ました。女と一緒に暮らし始めました。上本町。女の家でした。吉田は今後一生、音楽を聴く機会を失ってもいい、と思いました。実際そうでした。吉田は夜になると、地下鉄に乗ります。心斎橋駅を降り、職場のキャバレー『ばらもの』まで歩きます。相棒の呼び込みの男・棚橋は60になるかならないかという男です。彼は左手の小指と薬指がありませんが、バカラの店で数回インチキをやったということでした。ある日、吉田は女に会います。その日は雨が降っていました。棚橋が帰り、20時を過ぎた頃から、本降りになると、ホール長の秋山が店から顔を出し、つまみのチョコレートが無いから、買ってきてくれと言いました。吉田がチョコレートを買って店を出ると、店の前のたこやき屋で、女が騒いでいました。ドレスの上にコートを羽織っただけの格好で、男ものの黒いこうもり傘を差し、うろうろと、たこやき屋の台の下に自転車の鍵を落としたと言っているのでした。真冬なのに、ほとんど素足に見えるストッキングと夏向きのサンダル。吉田はその辺にいた皆と台を上げて、女に鍵を取らせてやりました。「せやなー、ありがとぉ」と言う女を後に皆が散り散りになっていき、吉田も去ろうとしましたが、女は吉田の腕を後ろに引っ張り、「お兄さんも、ありがとぉ」と言うと、水色の名刺を吉田が持っていたチョコの入った袋に放りこんで「来てな!」と言うのでした。その名刺には『郡 チーママ みさを』と書いてあり、その店がヤクザ風の男が経営する店であることを知るのでした‥‥。
 ここ(26ページ)まで読んだところで、その先を読むのを断念しました。(ちなみに、最後のページ、146ページは「でも吉田は、みさをのことが、まだ好きだった。」という一文のみで終わっています。)短編の『タイムカプセル』は、吉田がチョコを買った店の前で知り合ったオカマのミミィを主人公にしたもので、「一昨日生けた芍薬(しゃくやく)の花びらが、四枚ほど落ちている。」という文で始まり、「その思いに、ほとんど気圧されそうになりながら、ミミィは、いつまでも、いつまでも、自分の手を見続ける。」という文で終わっています。岡田茉莉子さんの著書『女優 岡田茉莉子』を読んで以来、マイブームとなっている「聖=死」と「俗=生」の対立軸で考えると、西さんの作品もこの両方に分けることができるように思いました。すなわち、前者がこの『地下の鳩』であり、後者は同年の作品『漁港の肉子ちゃん』となり、私は圧倒的に後者を支持する者なので、今回の『地下の鳩』も、最後まで読み続ける根気を持ち合わせていませんでした。“文学”が好きな方にはお勧めできるかもしれません。

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マノエル・ド・オリヴェイラ監督『アニキ・ボボ』

2012-12-23 06:57:00 | ノンジャンル
 マノエル・ド・オリヴェイラ監督・脚本の'42年作品であり、同監督の長編第1作である『アニキ・ボボ』を渋谷オーディトリアムで見ました。
 轟音を上げて走る列車。崖を転がり落ちる少年。叫ぶ少女。タイトル。少年のカルリトスは母にせかされて登校します。途中で仲間たちと出会いますが、ベランダから見下ろす美少女テレジニャの前に行くと、リーダー格のエドゥアルドは、やはり彼女を見上げるカルリトスを押し倒し、カルリトスは牛乳の池に顔から落ちます。それを見て笑いさざめく仲間たち。学校に着くと、彼らは廊下に帽子をかけ、教室に入ります。廊下で揺れる帽子たち。遅れてやってきた木靴のピスタリンは、小さいため、背伸びして帽子をかけ、先生の目を盗んで机に行こうとしますが、結局見つかって、教壇の横の高椅子に座らされ、新聞紙でできた冠を被せられます。窓にやって来た猫に気付いて、笑う生徒たちと、それを知らずに叱る教師。エドゥアルドはピスタリンの冠にパチンコで石をぶつけ、それに気付いた先生が叱ると、猫は逃げてしまい、生徒たちは落胆します。
 下校時にテレジニャに出会ったカルリトスは彼女に笑いかけますが、すぐにエドゥアルドに邪魔されます。エドゥアルドは仲間たちと水泳に興じ、1人クレーンの先から高飛び込みをし、皆から喝采を受けた後、泳ぐのを嫌がるピスタリンを無理矢理泳がせようとしますが、カルリトスはそれを止め、エドゥアルドと喧嘩になります。騒ぎを聞きつけた警官がやって来て、逃げ出す子供たち。1人逃げ遅れたカルリトスはピスタリンに服を投げてもらい、泳いで逃げます。
 帰宅途中、店のショーウィンドウに飾られた人形を見つめるテレジニャに出会ったカルリトスは、エドゥアルドから受けた目の傷を心配されますが、転んだだけだと嘘をつきます。何とかしてその人形をテレジニャに買ってやりたいと言うカルリトスに対し、ピスタリンは自分の貯金箱を店に持ち込みますが、店主に全然足りないと言われます。カルリトスは、店主が金持ちの相手をしている隙に、人形を盗み出します。夜に泥棒チームと警官チームに別れて追いかけっこをして遊ぼうというエドゥアルドは、カルリトスを泥棒チームに指名しますが、カルリトスは驚いた表情で拒否します。チームと別れて1人逃げ出し、エドゥアルドに捕まったカルリトスは、エドゥアルドの顔と警官の顔を重ねます。深夜に帰宅したカルリトスは、窓から自室を抜け出して、屋根伝いにテレジニャの部屋まで行き、彼女に人形を贈り、買ったと嘘をつきます。
 翌日、学校をサボッてテレジニャをデートに誘ったエドゥアルドは、凧を作って遊ぼうとしますが、仲間が紙を家に忘れてきたので、自分で店に紙を買いに行きます。学校があるのに紙を買いに来たエドゥアルドを不審に思った店主は、凧を作っていた彼らを見つけ、追いかけ始めます。高台に登り、また喧嘩を始めるカルリトスとエドゥアルド。そこへ列車がやって来て、彼らは飛び跳ねながら喜びますが、エドゥアルドは足をすべらせて崖を転落し、線路脇に落ちて動かなくなります。仲間たちとテレジニャは、カルリトスが突き落としたと勘違いをし、今後は口を聞かないと宣言します。病院に運ばれるエドゥアルド。
 翌日、先生から二度と学校をさぼらないように誓わされ、エドウアルドの見舞いに行くように言われた生徒たちでしたが、エドゥアルドは面会謝絶でした。テレジニャは病院から出て来た店主から、カルリトスがエドゥアルドを突き落としていないことを教えられます。1人港で途方に暮れていたカルリトスは密航しようとしますが、船員に見つかり、船を下ろされます。そこへ仲間とテレジニャがやって来て、彼の無実を喜びます。カルリトスはピスタリンと人形を返しに店に行きますが、店主は人形をテレジニャに持っていってやれとカルリトスに言い、ピスタリンには飴を好きなだけ持っていけと言います。泥棒猫を捕まえたから給料を上げてくれと言う無能な店員に、猫を投げつける店主。カルリトスはテレジニャに改めて人形を渡し、2人が階段を登っていく後ろ姿で映画は終わります。

 終始、小津のような音楽が流れ、最後の幸福なラストシーンには涙してしまいました。ネオリアリスモの先駆的作品と呼ばれているのも当然と感じた次第です。

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高橋秀実『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』

2012-12-22 07:13:00 | ノンジャンル
 高橋秀実さんの'12年作品『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』を読みました。『小説新潮』の'11年7月号から'12年1月号、4月号に連載された「僕たちのセオリー」に加筆修正されて出来上がった本です。
 「本書は、超進学校として知られる開成高等学校の硬式野球部が甲子園大会に出場するまでの道のりを記録しようとしたものです。いまだ出場には至っておりませんが、早ければ来年にも出場を果たす可能性もなきにしもあらずという期待を込めて、ここに途中経過として出版する次第です」という前文から始まるこの本は、前文で言われている通りに、現在進行形として開成高校の硬式野球部の日頃の練習の様子や練習試合、公式試合の結果を語った本です。
 元来、東京大学進学のための学校として作られた開成は、現在も年に200人近くが東大に入学する進学校ですが、平成17年の夏の高校野球の東東京予選でベスト16まで勝ち進み、その年の優勝校・国士舘に敗れたのでした。そして、平成19年に「開成がさらに強くなっている」と聞いて、著者は、早速取材に訪れます。
 開成高校にはグラウンドが1つしかありません。他の部活との兼ね合いで、硬式野球部が練習に使えるのは週1回。それも3時間ほどの練習です。その練習もいたって静かで、坊主頭の生徒などおらず、それぞれが黙々とそれぞれの課題に取り組んでいるのですが、見ていると異常に下手なのでした。3塁を守る3年生は「エラーは開成の伝統ですから」と開き直るように断言し、「僕たちのようにエラーしまくると、相手は相当油断しますよね。油断を誘うみたいなところもあるんです」と言います。
 地方大会の場合、5回で10点差、7回で7点差が開いているとコールドゲームとして試合が終了します。勝つにせよ負けるにせよ開成の試合はほとんどがコールドゲームなのでした。青木監督は「『相手の攻撃を抑えられる守備力』がない開成は、1番打者から強い打球を打てる可能性のある選手を順に並べます。すると、たまたま下位打者が出塁すれば、相手がショックを受けているところへ最強の打者をぶつけ、勢いに任せて大量点を取るイニングを作る。ドサクサに紛れて勝っちゃうんです」と言います。監督は、守備というのは案外、差が出ないと言い、「すごく練習して上手くなってもエラーすることはあります。逆に、下手でも地道に処理できることもある。1試合で各ポジションの選手が処理する打球は大体3~8個。そのうち猛烈な守備練習の成果が生かされるような難しい打球は1つあるかないかです。我々はそのために少ない練習時間を割くわけにはいかないんです」と述べます。開成の練習はそのほとんどがバッティングであり、守備については「ピッチャー/投げ方が安定している 内野手/そこそこ投げ方が安定している 外野手/それ以外」という基準でポジションを決めているのだそうです。
 週に1回しかグラウンドを使えない開成野球部は、土日を利用して他校へ練習試合に出かけていました。甲子園出場経験もある関東一校との試合では、1、2回でさんざんな守備のために合計8点を取られますが、3回になると、いきなり開成の先頭バッターがライトオーバーの3塁打を放ち、それからは相手のエラーなどもあって一挙に7点を挙げます。結局試合は日没のため8回で終了、15-12で開成の負けでしたが、著者は思い切ったスイングで一挙に大量点を狙う開成野球がやがて甲子園に行けるのでは、と考え、そのさらなる進撃を見守る決意をします。それから4年。久しぶりに監督と連絡を取ると、「今年あたり大きな結果が出る」と予言され、開成を再び訪れた著者は、そこで「進化を遂げた開成野球」を見るのでした‥‥。

 いつもの高橋さんの本と同じく、ユーモラスな語り口に魅了され、一気に読んでしまいました。理論から攻めていく開成野球部の監督、そして部員の面々の個性豊かな様子も楽しめる、“エンタメノンフ”の一級品になっていると思います。なお、この本の詳細については、私のサイト(Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto))の「Favorite Books」の「高橋秀実『はい、泳げません』」の場所にアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。

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