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山田詠美『ジェントルマン』

2012-12-15 06:27:00 | ノンジャンル
 山田詠美さんの'11年作品『ジェントルマン』を読みました。
 夢生が、坂井漱太郎と関わりを持つ破目になったのは、今から20年近くも前、高校2年のことでした。彼の存在感は際立っていて、成績は上位を保ち、運動能力も抜きん出て、姿かたちも良く、中学時代、全国大会を勝ち進んだという彼が、高校入学と同時に弓道部に籍を置くと、たちまち女子マネージャーだらけになるほどでした。普通、そのような男は、同性から敬遠されるものですが、漱太郎は、馬鹿もやれる話せる奴として親しまれていて、そのことが、ますます女たちの好感度を上げました。漱太郎は優しさという点でも熟練者と言え、電車やバスの中では、老人や体の不自由な人、おなかの大きい妊婦のみならず、“ただ”の女にも席を譲りました。誰もが心魅ひかれる漱太郎に夢生は興味を持ちながらも、好意を抱くまでには至らないのは、彼が自分の苦手とする清廉なイメージに完璧なまでに覆われているからでした。少々ひねくれた傍観者でいる自分自身を夢生はいつしか楽しんでいましたが、ある時、漱太郎に自分と同じ種類の視線を送っている女生徒の存在に気付きました。彼女は夢生と目が合うと、やっぱり、あなたも? と瞳で語りかけてきて、こうして、それまで、ただのクラスメートに過ぎなかった藤崎圭子は、夢生の親友になりました。彼らは、同じ高校の連中が来ない珈琲店の片隅のスタンドで、長い時間、語り合い、出会う以前の自分に関する事柄をを語り尽くして現在に行き着いた時、友情の下地は出来上がっていました。「ユメ、漱太郎って、どうしてああなの?」「ジェントルマンだからだろ?」「ユメ、私たち、あのジェントルマンの生き様をこれからも見守って行こうね」「あ、ぼく、生き様って言葉、大嫌い」「オッケー、じゃ、死に様だ」「いいね、それ」「乾杯」それが何のための乾杯だったのか、と20年近く経った今でも夢生は首を傾げます。高2になり、漱太郎とクラスの分かれた彼らは、あのジェントルマンについて語ることに、すっかり飽きてしまっていたのでした。
 ところがある日、北上している台風の影響で激しい雨が降り始めた夕方のことです。ほとんどの部活動が早目に切り上げられ、夢生も自分が所属している華道部の部員たちといったん学校の外へ出たのですが、忘れ物に気付いて、慌てて、ひとり茶室に戻ると、暗い茶室には人の気配がしていました。音を立てずに少しだけ障子を開けて見ると、そこには畳に押し倒されてもがいている茶道部の担任の村山先生、そしてその体に覆いかぶさる漱太郎の姿が見てとれました。犯されようとしている村山先生の、じりじりと移動する指の先には、花鋏が転がっていて、夢生は、ためらうことなく、茶室の中に駆け込み、先生が鋏を握り締める前に、思いきり、それを蹴飛ばしました。しばらくの静寂の後、漱太郎はくすりと笑い、「なんだ、おまえか」と言って、あの誰の心をも優しく溶かすような調子で、「悪いけど、手伝ってくれない?」と言うと、夢生はまるで操られた人形のようになってしまい、漱太郎の命じるままに、先生の余力を奪うべく、さらなる重しとなるのでした。漱太郎が先生を犯した後、学校を出た2人でしたが、突風に煽られた漱太郎は台風到来に対して子供のようにはしゃぎ、夢生は、この男は、本当に、女を犯したばかりなのか、と思います。やがて漱太郎が夢生の視界から消えると、夢生は自分のズボンのポケットに花鋏が入れたままになっているのに気付くのでした‥‥。

 この本を図書館で借りた日の新聞の朝刊で、この本が今年の野間文学賞を受賞したことが報道されていました。そういった点で、読む前から、何か因縁めいたものを感じた本ではあります。実際に、私はこの本を1日で読み切ってしまいましたが、途中から谷崎を読んでいる錯覚に陥りました。岡田茉莉子さんの著書『女優 岡田茉莉子』を読んでから、マイブームとなっている「聖=死」と「俗=生」の対立という文脈で読むと、前者が夢生であり漱太郎、後者が圭子であるように感じられ、また、読み終わった段階では、圭子に一番感情移入ができると思いました。かなりショッキングなラストなので、そうした描写に耐えられる方にはお勧めです。なお、本の詳細に関しましては、私のサイト(Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto))の「Favorite Novels」の「山田詠美」の場所にアップしておきましたので、興味のある方は是非ご覧ください。

 →Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto