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増村保造監督『この子の七つのお祝いに』

2021-10-05 00:17:00 | ノンジャンル
 増村保造監督・共同脚本、大野雄二音楽の1982年公開の増村監督の遺作となった『この子の七つのお祝いに』をDVDで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」のあらすじに加筆修正させていただくと、
 戦後、古いアパートでは真弓(岸田今日子)と幼い娘の麻矢が二人で暮らしていました。真弓は麻矢に対しいつも「お父さんは二人を捨てた悪い人、恨んで、憎んで、絶対に仕返ししなさい」と毎日毎日繰り返し話しました。そして麻矢が7つになった正月、真弓は手首と喉を切って自殺しました。傍らでは泣き叫ぶ麻矢がいました。
 月日は流れ、夜の東京の部屋で池畑良子が体中をかき切られ殺害されました。現場検証した刑事(室田日出男)はこれは恨みによるものだと推測しました。そして部屋に残されたショートケーキから、買った人間を割り出し、犯人は女だと断定しました。
 今回の事件を取材していた記者の須藤(根津甚八)は、昔自分が世話になった先輩のルポライターの母田(杉浦直樹)に会いました。母田は殺された池畑良子と会う約束をしていたため、警察に事情聴取されていました。
 その話を須藤にすることになって、二人は須藤の行きつけのスナックで会いました。スナックのママは美人のゆき子(岩下志麻)で、須藤は彼女に惚れていました。
 一方ゆき子は無愛想な母田に魅かれていました。母田は池畑良子が総理の右腕の秦一毅の自宅で女中をしていて、妻の青蛾は手相占いで政治家を占い、指南しているといいました。そして青蛾はある手相の男をずっと探していると話しました。この二人の話をママのゆき子はじっと聞いていました。大酔いになった須藤をタクシーに乗せた母田にゆき子が近寄って行きました。
 母田が持病の発作を起こし、ゆき子が母田を部屋まで送ると、寝ずの看病をしました。目覚めた百田はゆき子と結ばれました。
 その後母田が今回の事件の秘密は会津に有ると言って調査に行きました。そして帰って来た母田は部屋で手首を切って自殺しました。
 母田の死で須藤は代わりに自分が事件を探る決意をし会津に向かいました。そして青蛾の過去を洗いました。聞き込みを続け、母親を亡くしてから手相を勉強し、スナックで働いていたと言われる麻矢の高校時代の写真を見た須藤は、麻矢が青蛾ではなくゆき子であることがわかりました。
 そのころ青蛾の元にホテル王と言われる高橋佳哉(芦田伸介)の手相を占ってほしいと言う依頼が来ました。この手相こそ、ゆき子の探す自分らを捨てた父親でした。青蛾はその手相を持ってゆき子の家に向かうと、ゆき子が殺すと言い出したため、警察に云うと言った青蛾をゆき子が殺しました。
 一方須藤も高橋佳哉の事を知り、高橋佳哉と二人でゆき子の元へ向かいました。そこはかつて真弓と麻矢が住んでいた部屋でした。高橋佳哉はゆき子に対し、真実を話しました。戦時中結婚していた高橋佳哉は日本に帰って来るため、真弓と偽装結婚しました。日本に帰って来ても妻の生死もわからないことから、真弓と暮らし始めました。そして娘が生まれ麻矢と名付けました。しかし麻矢はネズミにかじられて、2カ月で死んでしまい、真弓は狂い、佳哉は酒に溺れました。
 しばらくして佳哉は妻と再会し、大金を渡し真弓と別れました。しかし真弓の恨みは酷く、佳哉と妻の間に産まれた「きえ」を盗み麻矢として育て、佳哉への恨みを伝えていたのでした。証拠を見せろというゆき子に対し、池畑良子の殺害現場に残っていたゆき子の手形を見せ、佳哉には似ているが、真弓の手相とは全く違うと須藤が言いました。手相のことを知っているゆき子は事実を受け入れ泣き崩れるのでした。

 この作品でも主人公の岩下志麻さんのぶっきらぼうなセリフ回しが印象的な映画でした。