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アレン・ネルソン『戦場で心が壊れて』その1

2019-10-24 00:13:00 | ノンジャンル
 日本では2006年に刊行されたアレン・ネルソンさんの著書『戦場で心が壊れて』を読みました。その中から印象的な部分を抜粋して紹介したいと思います。

 「私はかつて、アメリカ海兵隊員でした。40年近く前、沖縄のキャンプ・ハンセンという基地からベトナムへ、戦争をしに行った人間です。18歳のときのことでした。
 あの国のジャングルで私は、多くの人々を殺し、村を焼き払いました。そして約3ヵ月の後、戦闘の最前線から帰還した私は、以前の私とは違っていました。自分では気づいていなかったのですが、精神に異常をきたしていたのです。
 いまでいうPTSD(心的外傷後ストレス障害)でした。それは戦場体験の精神的後遺症ともいうべきもので、体験したものでないとわからない苦しみをもたらします。私の場合、幸いにも、あるできごとがきっかけで、その治療にとりくむことになり、完全にではありませんが、回復することができました。20年以上の時間がかかりましたが……。
 この本で私は、そんな私の病(やまい)と治療体験について語りたいと思います。そして、それをあえて日本のみなさんに向けて書いたのには理由があるのです。
 とても奇妙に聞こえるかもしれませんが、私には、この日本という国もまた、ある意味で私と同じような病を抱えているように見えるのです。また、PTSDから回復する過程で、私がたいへん大事だと思うようになった考え方が日本にはあり、しかしそれがいま脅かされているからです。それは日本国憲法第九条に示された非暴力の思想です。(中略)
 私は戦争と殺戮という体験を経て非暴力の考え方にたどりつきました。やはり非暴力の思想を表している日本の憲法第九条も、日本がかつて体験した戦争について、深く考えたうえにできた法律だと聞いています。私には、この九条というものがつくられた意味がわかる気がします。条文を読むと、自分の身体や感覚に響き合うものを感じるからです。(中略)
 
 (前略)戦争映画などで、主人公が敵を倒し、さっそうとその場から去っていくシーンがよくあります。しかし実際の戦争はそういうものではありません。現実の戦場では、敵の死体から戦闘の参考になる情報を得ようとするものです。そのため、死体のポケットをさぐって地図や文書などがないかどうか調べたりしなければなりません。(中略)
 包囲した村に女性と子どもしかいない場合、男たちは敵の戦士です。彼らは周囲のジャングルに潜んでいるはずでした。そういう場合、私たちは、村に残っている女性や子ども、老人を殺し、その死体を村の入口にわざと見えるように並べ、敵をおびき出すという残虐非道なこともはたらきました。(中略)
 私の場合は、殺しあいが日常となっている戦場に身を置くことで生じる、恐怖と異常なまでの緊張がストレスになっていたのでした。(中略)
 すると、私たち兵士の五感は、動物のように研ぎすまされていくのです。耳はパラボラ型集音器のように、目はカメラのように、常に情報をキャッチしようとしていました。中でも大事なのは嗅覚でした。においは、思った以上に遠くまで伝わります。私たちは、何かの動きを見たり聞いたりする前に、においによって情報をつかむことができました。ジャングルは樹木が生い茂っているので、嗅覚は視覚以上に重要でした。(中略)

(前略)戦争映画などでは絶対にわからないことですが、戦場には、あるにおいが満ちています。そう、死体のにおい、死のにおいです。それは本当に強烈なにおいです。どのように言い表していいかわかりませんが、いまでも忘れることができません。(中略)

 死体に関してもう一つ言うと、ハエもまた、私をジャングルへと引き戻す存在です。(中略)音がする方向に歩いていくと、何千匹、何万匹というハエがどこからともなくやってきて、飛び交っていました。そう、低いうなり声のような音は、ハエの羽音だったのです。そしてその群れの下に、すでにこときれた戦友の死体が横たわっていました。(中略)想像できますか。戦闘があるたびに私たちは、そうした光景にしょっちゅうでくわしていたのです。(中略)
 もう一つ、私に戦場の記憶をよみがえらせる生き物に、ヒルがあります。(中略)これにも私は、たいへんな恐怖を感じました。ヒルが身体についていたら、タバコの火をそれにつけろといわれていました。(中略)しかし私は恐ろしさのあまり、ぶらさがっているヒルを見た瞬間にむしり取ってしまっていました。

(明日へ続きます……)

 →サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto