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上橋菜穂子『物語ること、生きること』

2014-07-27 09:33:00 | ノンジャンル
 フランシス・フォード・コッポラ監督の'86年作品『ペギー・スーの結婚』をスカパーのイマジカBSで見ました。子供も成長し、夫のリチャード(ニコラス・ケイジ)と離婚間近のペギー・スー(キャスリン・ターナー)が同窓会で女王に選ばれ、ステージ上で意識を失うと、高校生時代にタイムスリップし、再び高校時代を過ごして、再びチャーリーからのプロポーズを受け入れると、現代に戻り、チャーリーとよりを戻すというストーリーで、主人公の両親をドン・マーレーとバーバラ・ハリス、祖母を特別出演のモーリン・オサリバン、タイム・トラベルの会の会長(おそらく)をやはり特別出演のジョン・キャラダインが演じていました。
 また、J・J・エイブラムス監督・共同製作の'09年作品『スター・トレック[2009年版]』もWOWOWシネマで見ました。自らを犠牲にして800人余りの隊員を助けた宇宙船船長を父に持つジェームズ・カークと、バルカン星人の父と地球人の母の間に生まれたスポック中佐の活躍を描いた物語で、ストーリーは理解不能だったものの、なにげなく登場人物の隣にいる宇宙人の造形や、化物の造形に楽しませてもらいました。
 また、同じくJ・J・エイブラムス監督・共同製作の'13年作品『スター・トレック イントゥ・ダークネス』もWOWOWシネマで見ました。不死身の人間カーンに対するジェームズ・カークとスポックの戦いを描いた物語で、やはりストーリーは理解不能だったものの、CG満載の映画でした。

 さて、上橋菜穂子さんの'13年作品『物語ること、生きること』を読みました。自分がどのような幼少期を経て、どのようにして作家になっていったかを語った本です。
 読んでみて特に印象に残った部分は、自分と忍者ごっこをしていた父が、廊下でバッタリ自分と出くわすと「いたな‥‥」と言ったこと、あまりにも本ばかり読んでいるので「このままでは実生活がおろそかになる」と心配した両親は、やがて、本禁止令をだすようになり、見つかると怒られるから、しまいには、ふとんをかぶり、懐中電灯を持ちこんで、薄暗い灯りを頼りに読んだりしたこと(私の母もよくこうしたことをしていたそうです)、どちらか一方を正しいと信じこんで、疑いもしない人間は、もう一方を、理解しがたい他者として糾弾して排斥しようとするかもしれず、理想を掲げて声高に自分の主張をする人間は、しばしば、そういう己の傲慢さに気づかないこと(今の自民党の国会議員、特に安部首相周辺に聞かせたい言葉です)、何かを「守ること」は、いかにもいいことのように賞賛され、反対に「あきらめること」「捨てること」は批判の対象にされがちですが、はたしてそうでしょうか(これも安部首相周辺に聞かせたい言葉です)、人口が多い社会が、帝国主義を行い、植民地をつくり、巨大な国家をつくっていく一方で、アボリジニのように、広大な砂漠の中で少人数で暮らしていると、いちばん大切なことは「いかに調和を保つか」になること、アボリジニの人たちは、よく「ケアリング&シェアリング」といい、相手を思いやり、世話をしたり、何かをわかち合ったりすることを大切に思うこと、すべての道が閉ざされたときに新しい希望が生まれると言っている人がいること(これは私も実感したことがあります)、小説家になることを諦め、研究者になることも諦め、学校の先生になろうと思って、修士論文を提出したところ、その論文を見て審査した教授のひとりが「上橋、この論文、ひどいよ。ひどいけど、俺、こんなに何かがある修士論文を見たのは、久しぶりだよ。足りないところは山ほどあるけど、いいよ。研究者になりなよ」と言われ、「なれません」と言った著者は、これ以上、親に甘えたくない、自分は就職するのだ、そう心に決めていたはずなのに「なれません」と口にしたとたんに涙がぶわっとあふれて、とまらなくなったこと、香蘭女学院に通っていた高校二年生のころ、原作、脚本から、音楽にいたるまで、すべて自分たちの手でつくった劇を文化祭で上演したとき、ちょい役(貧しい農民と一兵卒)を演じたのが、片桐はいりだったこと、などでした。
 上橋さんの誠実な人柄がよく現れている本で、すがすがしい読後感でした。あっという間に読める本です。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/