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豊島ミホ『ももいろのおはか』

2014-07-24 09:24:00 | ノンジャンル
 '09年に刊行された短編集『COLORS』に収録されている、豊島ミホさんの作品『ももいろのおはか』を読みました。
 私生児で集落の端に母子二人ひっそりと住んでいるまりんは、春にはよく泣いた。俺の家系は男子早世の家系で、俺は最高の居心地を持つ墓が欲しかった。父は「私なら美しいものが見えていて欲しいな」と言い、俺は父の言からまた、新しい墓の発想を得た。美しいものが見える墓。里を見下ろす山の上に、ガラス張りの墓を建ててはどうだろうか? 俺はその案を、一番の理解者であるまりんに話した。しかしまりんは、「山の上のガラス張りの墓」を「ええー」の一言で否定したのだった。「おかしいよ、野火ちゃん。だってそうしたら、お墓そのものが『美しく』ないもの。野火ちゃんの骨が丸見えなんでしょ?」「いいこと言うな、まりん」と頭を撫でてやるとしかし、まりんは、得意げになって余計なことを口にした。「あたし、お墓はももいろなのがいいな、かわいいし」――ああ、この女には美意識が欠けている。まりんは数日後の図工の時間、「ぼくの・わたしの、みらい」というお題の絵で、ももいろのクレヨンを画用紙に擦り付け、俺の墓と、それにお参りする自分の姿らしき棒状の人間を描いた。「まりん、ももいろが好きなんだな。なんで?」帰り道で尋ねた。まりんは太い首をちょっと傾げた後で、「生きてるから!」と答えた。「ももいろは、生きてる人の色だもん」「俺が死んだら、俺を嫌いか?」まりんは長い間の後で、言葉なくうなずいた。
 俺はこの四月で十九になった。大学に進むために東京へ行くと告げると、まりんは今生の別れのように泣いた。しかし東京と里の間は、鈍行で三時間程度の距離しかないから、気が向けばいつでも里へ戻る気でいた。長い月日を経て、まりんは恋の相手になった。死後の世界への俺の興味の理解者はまりんひとりのままだった。まりんは相変わらずのバカで、高校入学の前後から、適当な男に遊ばれて捨てられるようになっていたが、俺は彼女の一種醜悪で手垢のつきまくった肉体に、大人しく恋焦がれていた。その愛しのまりんを置いて東京に出、俺が最初にしたことは、ソープで童貞を切ることだった。「本当にこの程度のことで女は皆喜ぶんだろうな」「俺を若造だと思ってなめてはいないか」と何度も念押しする俺に、女はとうとう「そうね、そういう粘着質な男は喜ばれないわね」と呆れたので、不愉快になって店を出た。それからはソープへは行かず、大学の女を相手にして過ごした。ゴールデンウィークまでに、俺は十八の女の裸を三つ見た。しかしある時、女のひとりと朝風呂を浴びる機会があり、立ったまま洗い桶を取ろうとかがんだ女の尻を見て俺は発見した。脚の付け根に隠されたももいろを。これだ、と思った。血を透かしたグロテスクな色が、確かな美しさをともなってそこに在った。強いが繊細な生命の色だった。すぐにでも列車に飛び乗り、里に帰りたくなったが、俺は一応、他の女のそこを確かめることを忘れなかった。しかし見れば皆、多少の違いはあれど同じ美しい色をしていたから、俺はその色のイメージを頭に水瓶を抱くようにそっと持って、田舎に向かった。
 時期は丁度、五月の連休に入るところだった。俺はまりんの許を訪ね、結論だけ言った。「お前の言う通りだった。墓はももいろがいい」「え!」子どもの頃の話を持ち出したというのに、まりんは戸惑うことなく「本当? 嬉しい!」と続けた。俺はまりんを連れて赤と白のペンキを買い、それを混ぜて三浦家の墓をももいろに塗った。俺は墓所に入り、まりんに蓋を閉めてもらった。俺は息苦しくなり、空間の感覚も失ったが、パニックに陥る前に心配したまりんが蓋をどけてくれた。墓所に落ちてきたまりんの体に、俺は生命を感じた。そして「理想の墓は、お前がいる墓だな」と俺は言うのだった。

 複雑な心理を描いた小説で、死をまじかに感じさせる点では、豊島さんの『日傘のお兄さん』を想起させるものでした。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/