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福永武彦『草の花』その2

2014-03-21 12:19:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 「第二の手帳」 僕が青春に於て愛したのは藤木の妹、千枝子だった。彼女は平凡な女学生だったが、ただその瞳は澄んでいて、そこに知的な光を宿していた。性格が明るく、無邪気で、一つの顔としてではなく、その時々の芸術的憧憬を具現した、幾人かの女性の代表として印象づけられた。藤木が亡くなった後、僕は最も足繁く藤木家を訪れた一人だった。1年後には戦争が始まった。僕はある日、千枝子をショパンの演奏会に誘い、その帰り、千枝子はショパンの素晴らしさを語った。僕等は幸福感に包まれ、初めてキスをしたが、彼女はすぐに去った。しばらくして僕はショパンの楽譜本を三册、千枝子に贈った。そして僕は小説を書き始めた。僕はもう千枝子に会いに行かなかった。しばらくして僕の部屋に会いに来た千枝子に、僕は今まで以上に基督教が厭になったのは、彼等が戦争を受け入れたことだと言った。やがて僕は両手で千枝子の脚を抱き、その膝に頬を埋め、しずかに髪を撫でられるのにまかせていると、これが生きていることの悦こばしい確証ではないのだろうかと思えた。手に力を入れ、僕をその顔の方へ引き寄せたのは千枝子だった。冷たい唇が、僕の唇の上を覆い、激しく僕を忘却と陶酔の彼方へ押し流した。しかし、それは瞬間だった。千枝子はさっと顔を持ち上げると、向きを変え、両手で自分の顔を隠すようにした。「あたしたち、もう会うのをやめましょう、不幸になるだけよ」と千枝子は言った。
 僕は八月の下旬に、信州へ休暇を過しに行った。千枝子とはあれ以来会っていなかった。ある日、千枝子の学校の寮を訪ね、千枝子が来ているか尋ねたが、まだ来ていないとのことだった。その日の午後、千枝子が訪ねてきた。僕は千枝子に二人きりでの山歩きに誘った。山歩きの途中、僕が兵隊に行くのが怖いから別れようなんて考えたんだろう?と僕は尋ねたが、千枝子はちらっと僕の顔を見るだけだった。僕等は基督教の神と愛について議論し、千枝子はふと「花を摘んで来る」と林の中へはいって行った。僕が探しに行くと、笑い声がして彼女は走り出した。不意に立ち止まった千枝子の胸に僕は後ろから手を廻した。僕等は固く抱き合って、頽(くず)れるようにその場に倒れ、熱く唇を重ね、そのとき、一切が僕等の廻りで死に絶えた。僕等の体は一つに触れ合い、絡み合い、膠着した。しかし何かが僕をためらわせた。やがて千枝子は僕の手から抜け出し、僕が放心している間に、千枝子は元の方へ戻って行った。次の日、千枝子は帰郷した。その次の日、僕も帰郷した。一週間ほどして、千枝子から「やはり別れた方がいいと思う」と書かれた手紙をもらった。
 その年の十二月の下旬に、僕に召集令状が来た。千枝子とは信州に行って以来会っていなかったが、婚約したことを後で知った。僕は千枝子に会いたかったが、孤独な生き方に固執して会わなかった。僕は出征前の最後の日の晩にあるショパンの演奏会の切符を千枝子に送って、一緒に聞いてから別れようと思った。最後の日の朝、僕は日記やノオトなどとともに、未完成に終わった僕の小説の草稿を焼いた。ショパンの演奏会に千枝子は来なかった。僕は夜汽車に乗り、千枝子のアパートの明りを一瞬認めたと思った。
 「春」 長い冬が過ぎて春になった。私は二冊のノオトを読んだが、彼の死が一種の自殺行為であったのかどうかは分からなかった。私は千枝子の現住所を知ることとなり、汐見と私との間柄、その死の模様、また彼のノオトの内容も紹介する手紙を書いた。随分してから返事が届いた。そこには応召以来汐見の消息を知らなかった事、汐見が理想の形の下に自分を見てると考えることは、たまらない苦痛だったこと、石井との結婚を決めたのは、自分の意思というものが煩わしく感じられ、すべては神の御心のままだと半ば諦めてしまったせいであること、音楽会の切符は母に届き、風邪をこじらせていた自分には隠されていたこと、手紙は他の手紙と燃やしてしまったが、切符はまだ大事に取ってあること、汐見のノオトは返らぬ後悔を感じるばかりだろうから、どうぞそちらの手許にとどめておいてほしい、と書かれているのだった。

 神や愛といった抽象的な概念を論じる部分は付いていけませんでしたが、最後まで読むことができました。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/