本「顰蹙文学カフェ」の中で、山田詠美さんがお小遣いで買ったと語っている、ロレンス・ダレルの'57年作品「アレクサンドリア四重奏 ? ジュスティーヌ」を読みました。
冒頭の部分を引用したいと思います。「今日も浪が高い。刺すような風がほとばしる。冬のさなかにも春のたくらみは感じられる。真昼までは熱い裸の真珠の空、物かげで鳴くこおろぎ、そしていまは大きな鈴掛の木々を振りほどき、探りまわる風‥‥。
数冊の本をたずさえ、子供を連れてぼくはこの島へ逃げてきた―メリッサの子供を連れて。なぜ「逃げる」という言葉を使うのかぼくにもわからない。病気の保養ででもなければこんな遠いところへ来るわけがない、と村の人たちは冗談を言う。よかろう、そういう言い方がよければ、ぼくは自分を癒しにここへ来たのだ‥‥。」
このような感じで一人称の語りが延々と続きます。私は最初の段落を読んだ段階で内容がなかなか頭に入ってこなくて困り、次の段落を読んだ段階で先を読むことを断念しました。文体が文学的、あまりに文学的であったためです。詠美さんの書く小説は大好きなのですが、詠美さんが好きな小説というのはどうも苦手なことが多いのが不思議です。ということで、文学的な小説がお好きな方にはオススメです。
冒頭の部分を引用したいと思います。「今日も浪が高い。刺すような風がほとばしる。冬のさなかにも春のたくらみは感じられる。真昼までは熱い裸の真珠の空、物かげで鳴くこおろぎ、そしていまは大きな鈴掛の木々を振りほどき、探りまわる風‥‥。
数冊の本をたずさえ、子供を連れてぼくはこの島へ逃げてきた―メリッサの子供を連れて。なぜ「逃げる」という言葉を使うのかぼくにもわからない。病気の保養ででもなければこんな遠いところへ来るわけがない、と村の人たちは冗談を言う。よかろう、そういう言い方がよければ、ぼくは自分を癒しにここへ来たのだ‥‥。」
このような感じで一人称の語りが延々と続きます。私は最初の段落を読んだ段階で内容がなかなか頭に入ってこなくて困り、次の段落を読んだ段階で先を読むことを断念しました。文体が文学的、あまりに文学的であったためです。詠美さんの書く小説は大好きなのですが、詠美さんが好きな小説というのはどうも苦手なことが多いのが不思議です。ということで、文学的な小説がお好きな方にはオススメです。