先日、鶯の初音を聞きましたので、そろそろ雲雀の声も聞かれることでしょう。我が家の周囲にもたくさんいて、いつもその鳴き声を楽しんでいます。旅行に行くお金も、美味しい物を食べる余裕は全くありませんが、私にとっては雲雀の声を聞きながら蓬を摘み、草餅を作り、誰かに差し上げて共に春を味わう方が、余程に楽しいことです。
空に舞い上がり滞空しながら鳴いているヒバリを揚げ雲雀と言います。どれくらい高く上がるものか、大きな分度器を二つ作り、二人で同時に角度と二人の距離を測定して、計算したことがあります。まあ大雑把なことですが、100mくらいはあったように記憶しています。滞空時間は短くて3分、長くて8分くらい。平均すると数分でした。学校から家まで片道20数㎞の土手の道を、自転車で通っていた頃、土手に寝転がって観察したものです。立ったまま見ていると首が疲れて、すぐに見失ってしまいますから、寝転がって見るに限ります。
空に雲雀が上るのは雄が縄張りを宣言しているためで、繁殖期にしか見られない生態です。数分間しきりに鳴いたあと、鳴き止んだかと思うと、急降下してしまいます。これを和歌では「雲雀落つ」と言います。下りた場所を見計らって、巣のありかを探そうとしたのですが、なかなか見つかりません。それもそのはず、わざわざ巣から離れたところに着陸して、卵や雛を狙う外敵に巣のありかをさとられないようにしているそうです。
雲雀を詠んだ古歌といえば、誰もがこの歌を思い起こすことでしょう。
①うらうらに照れる春日に雲雀上がり心悲しも独りし思へば (万葉集 4292)
のどかな春の日ざしの中を雲雀は無心に空に舞い上がっているが、私は独り哀しく物思いすることだ、という意味です。ここには「上がる雲雀と下がる私の心」という対比が意図して詠まれているのですが、このような詠み方は、その後の雲雀の歌にも受け継がれてゆきます。人口に膾炙するということでは、次の②の歌がよく知られています。
②汝や知る都は野辺の夕雲雀上がるを見ても落つる涙は (応仁記)
この歌は、応仁の乱によって一面の焼け野原となった京の都の荒廃を嘆いて詠まれた歌なのですが、上がる夕雲雀に落ちる涙という対比が効果的に詠まれていますね。授業では飯尾彦六左衞門尉という管領細川氏の家臣が詠んだと教えるのですが、雲雀の歌の常套的詠み方をしっかりと踏まえているので、余程に古典的な教養のある人物だと感心していたのですが、よくよく調べてみると、将軍足利義政の右筆を勤めたこともあるとか。それでようやく納得しました。
試しに近世の俳句の中にそのような詠み方が残っているか斜め読みしたところ、次の句が見つかりました。
○あがりては下を見て鳴く雲雀かな 加賀千代女
○草麦や雲雀があがるあれ下がる 上島鬼貫
どうも意図して和歌の常套的な詠み方にならったものではなさそうですが、やはり雲雀を見ると、上がったり下がったりということに関心が向くようですね。雲雀が囀りながら上がってゆく姿は多くの人が見ていると思いますが、数分で必ず落ちるように下りてきますから、まだ見たことがない方は、じっと我慢して探してみて下さい。 平成28年2月22日
空に舞い上がり滞空しながら鳴いているヒバリを揚げ雲雀と言います。どれくらい高く上がるものか、大きな分度器を二つ作り、二人で同時に角度と二人の距離を測定して、計算したことがあります。まあ大雑把なことですが、100mくらいはあったように記憶しています。滞空時間は短くて3分、長くて8分くらい。平均すると数分でした。学校から家まで片道20数㎞の土手の道を、自転車で通っていた頃、土手に寝転がって観察したものです。立ったまま見ていると首が疲れて、すぐに見失ってしまいますから、寝転がって見るに限ります。
空に雲雀が上るのは雄が縄張りを宣言しているためで、繁殖期にしか見られない生態です。数分間しきりに鳴いたあと、鳴き止んだかと思うと、急降下してしまいます。これを和歌では「雲雀落つ」と言います。下りた場所を見計らって、巣のありかを探そうとしたのですが、なかなか見つかりません。それもそのはず、わざわざ巣から離れたところに着陸して、卵や雛を狙う外敵に巣のありかをさとられないようにしているそうです。
雲雀を詠んだ古歌といえば、誰もがこの歌を思い起こすことでしょう。
①うらうらに照れる春日に雲雀上がり心悲しも独りし思へば (万葉集 4292)
のどかな春の日ざしの中を雲雀は無心に空に舞い上がっているが、私は独り哀しく物思いすることだ、という意味です。ここには「上がる雲雀と下がる私の心」という対比が意図して詠まれているのですが、このような詠み方は、その後の雲雀の歌にも受け継がれてゆきます。人口に膾炙するということでは、次の②の歌がよく知られています。
②汝や知る都は野辺の夕雲雀上がるを見ても落つる涙は (応仁記)
この歌は、応仁の乱によって一面の焼け野原となった京の都の荒廃を嘆いて詠まれた歌なのですが、上がる夕雲雀に落ちる涙という対比が効果的に詠まれていますね。授業では飯尾彦六左衞門尉という管領細川氏の家臣が詠んだと教えるのですが、雲雀の歌の常套的詠み方をしっかりと踏まえているので、余程に古典的な教養のある人物だと感心していたのですが、よくよく調べてみると、将軍足利義政の右筆を勤めたこともあるとか。それでようやく納得しました。
試しに近世の俳句の中にそのような詠み方が残っているか斜め読みしたところ、次の句が見つかりました。
○あがりては下を見て鳴く雲雀かな 加賀千代女
○草麦や雲雀があがるあれ下がる 上島鬼貫
どうも意図して和歌の常套的な詠み方にならったものではなさそうですが、やはり雲雀を見ると、上がったり下がったりということに関心が向くようですね。雲雀が囀りながら上がってゆく姿は多くの人が見ていると思いますが、数分で必ず落ちるように下りてきますから、まだ見たことがない方は、じっと我慢して探してみて下さい。 平成28年2月22日