菊を「きく」と読むが、それは音読みである。本来、訓読みはない。それは菊は唐から伝わった植物だからである。しかしこの場合の菊は、いわゆる白菊のことで、ヨメナやノコンギクなどのいわゆる野菊ではない。野菊の仲間は初めから日本に自生していた古来の「菊」である。この野菊を歌った唱歌にその名もずばり『野菊』がある。作詞は、児童文学小説『コタンの口笛』(1957年)で知られる石森延男。作曲は、『かくれんぼ』『たなばたさま』『蛍』『花火』などの童謡作曲で知られる下総皖一である。
1遠い山から吹いて来る 小寒い風にゆれながら けだかく清くにおう花 きれいな野菊 うす紫よ
2秋の日ざしをあびてとぶ とんぼをかろく休ませて しずかに咲いた野辺の花やさしい野菊うす紫よ
3霜が降りてもまけないで 野原や山にむれて咲き 秋のなごりをおしむ花 あかるい野菊 うす紫よ
1番は、秋風に揺れて、清らかに咲く様子。2番は、優しい日ざしの中でとんぼをとまらせている様子。3番は、霜の降りる晩秋になっても健気に咲いている様子を歌っている。1・2番は説明なしに理解できるが、3番の「霜が降りてもまけないで」は和漢の伝統的菊理解を踏まえているため、少々解説が要りそうである。ただしこの「菊」についての和漢の共通理解とは、野菊のそれではなく、白菊のことである。中国では菊は不老長寿のシンボルで、「不老草」とも理解されている。晩秋から初冬の庭に咲き残り、霜が降りても枯れることのない姿に、それを感じ取ったのであろう。漢詩では残菊を詠む際には、霜にも負けない様子を詠むことが、常套であった。霜に負けないことを、漢語では「傲霜」と書いて「ごうそう」と読む。「傲る」は「おごる」と読み、強く正しく、凶暴なものをも恐れたり屈したりしないことを意味する。そして「傲霜」とは、霜に負けないように、強く正しく、凶暴なものにも屈することのない人の比喩として、漢詩にはしばしば登場する。そのような霜と相性のよい中国伝統の菊理解は、当然のことながら日本にも伝えられていた。ただ日本では菊の精神的強さよりも、霜を置いた菊や、霜が置いて赤紫に色が移った菊の美しさに比重があり、情緒的な理解が強くなってはいる。
①心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花 (古今集 秋 277)
②色変はる秋の菊をば一年(ひととせ)に再びにほふ花とこそ見れ (古今集 秋 278)
③草枯れの冬まで見よと露霜の置きて残せる白菊の花 (詩歌集 秋 129)
④秋暮れて千種の花も残らねど独りうつろふ霜枯れの菊 (夫木抄 残菊 6511)
①は、霜の置いた白菊を大げさに詠んだもので、百人一首にも収められていてよく知られている。②は、赤紫色に色移りした白菊を、一年に二回咲くとして愛でることを詠んでいる。③④は、晩秋から初冬の庭に咲き残る残んの菊(のこんのきく)を詠んだものである。
戦前の教育を受けた文学者であれば、「菊は霜にも負けない」という和漢の菊の共通理解は当然のことながら知っていた。3番の歌詞は、そのような菊理解を踏まえて作られているのである。ただし既に述べたように、日本古来のいわゆる野菊と、唐伝来の白菊の理解が、「菊」という共通する文字によって混交してしまっているのはやむを得まい。童謡としては「傲霜」を理解させるのは無理である。「寒さにも負けずに咲いているね」ということで十分であろう。しかし大人ならば、「霜にまけない」と歌われる深い意味を理解して歌いたいものである。
なお同じような菊の理解は、唱歌『庭の千草』により顕著に表れている。拙文「唱歌『庭の千草』の秘密」をご覧いただければ幸いである。
1遠い山から吹いて来る 小寒い風にゆれながら けだかく清くにおう花 きれいな野菊 うす紫よ
2秋の日ざしをあびてとぶ とんぼをかろく休ませて しずかに咲いた野辺の花やさしい野菊うす紫よ
3霜が降りてもまけないで 野原や山にむれて咲き 秋のなごりをおしむ花 あかるい野菊 うす紫よ
1番は、秋風に揺れて、清らかに咲く様子。2番は、優しい日ざしの中でとんぼをとまらせている様子。3番は、霜の降りる晩秋になっても健気に咲いている様子を歌っている。1・2番は説明なしに理解できるが、3番の「霜が降りてもまけないで」は和漢の伝統的菊理解を踏まえているため、少々解説が要りそうである。ただしこの「菊」についての和漢の共通理解とは、野菊のそれではなく、白菊のことである。中国では菊は不老長寿のシンボルで、「不老草」とも理解されている。晩秋から初冬の庭に咲き残り、霜が降りても枯れることのない姿に、それを感じ取ったのであろう。漢詩では残菊を詠む際には、霜にも負けない様子を詠むことが、常套であった。霜に負けないことを、漢語では「傲霜」と書いて「ごうそう」と読む。「傲る」は「おごる」と読み、強く正しく、凶暴なものをも恐れたり屈したりしないことを意味する。そして「傲霜」とは、霜に負けないように、強く正しく、凶暴なものにも屈することのない人の比喩として、漢詩にはしばしば登場する。そのような霜と相性のよい中国伝統の菊理解は、当然のことながら日本にも伝えられていた。ただ日本では菊の精神的強さよりも、霜を置いた菊や、霜が置いて赤紫に色が移った菊の美しさに比重があり、情緒的な理解が強くなってはいる。
①心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花 (古今集 秋 277)
②色変はる秋の菊をば一年(ひととせ)に再びにほふ花とこそ見れ (古今集 秋 278)
③草枯れの冬まで見よと露霜の置きて残せる白菊の花 (詩歌集 秋 129)
④秋暮れて千種の花も残らねど独りうつろふ霜枯れの菊 (夫木抄 残菊 6511)
①は、霜の置いた白菊を大げさに詠んだもので、百人一首にも収められていてよく知られている。②は、赤紫色に色移りした白菊を、一年に二回咲くとして愛でることを詠んでいる。③④は、晩秋から初冬の庭に咲き残る残んの菊(のこんのきく)を詠んだものである。
戦前の教育を受けた文学者であれば、「菊は霜にも負けない」という和漢の菊の共通理解は当然のことながら知っていた。3番の歌詞は、そのような菊理解を踏まえて作られているのである。ただし既に述べたように、日本古来のいわゆる野菊と、唐伝来の白菊の理解が、「菊」という共通する文字によって混交してしまっているのはやむを得まい。童謡としては「傲霜」を理解させるのは無理である。「寒さにも負けずに咲いているね」ということで十分であろう。しかし大人ならば、「霜にまけない」と歌われる深い意味を理解して歌いたいものである。
なお同じような菊の理解は、唱歌『庭の千草』により顕著に表れている。拙文「唱歌『庭の千草』の秘密」をご覧いただければ幸いである。
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