今朝早く、我が家の前の竹藪から、鶯の笹鳴きが聞こえてきました。昨日までは毎日のように「ホーホケキョウ」と鳴いていました。例年、鶯の囀りは8月下旬まででしたから、例年通りです。ネット情報では、夏は山に移動するとか、寒くなると麓の暖地に移動すると記されていましたが、我が家の周辺では一年中鳴き声を聞いています。夏に山に移動するということもあるのかもしれませんが、私は一年中聞いています。また冬にはその姿をよく見かけます。つい先週も早朝の一時間の散歩の途中、7羽も確認しました。
ひょっとして「笹鳴き」を御存知ない方もいらっしゃるかもしれませんので、念のため。鶯は囀らない秋から冬の間、藪の茂みの中で「チャッ・・・チャッ・・・チャッ」と低い声で地鳴きをしています。慣れないと雀の声ではないかと思うでしょうが、この時期の雀は集団で行動していますから、単独で鳴くことはありません。このような笹鳴きをする鶯を「笹子」と言います。何年か前に笹子トンネルで天井板が崩落する事故があったので、「笹子」という名前を記憶している方もいらっしゃることと思います。
鶯は「春告げ鳥」という異名があるように、古来「春の鳥」と理解されてきました。また「梅に鶯」というように、梅と相性のよいものとされてきました。しかし実際には特に梅を好むことはなく、秋になっても鳴いています。古人は春の鳥とは思っていても、夏に鳴くことも知っていました。『枕草子』には次のように記されています。
「鳥は・・・・鶯は・・・・夏秋の末まで老い声に鳴きて、虫くひなど、良うもあらぬものは名をつけかへて言ふぞ、くちをしくすごき心地する。それもただ雀などのやうに、常にある鳥ならばさも覚ゆまじ。春なくゆゑこそはあらめ。」
念のために現代訳も載せておきましょう。「鶯は・・・・夏・秋の終わり頃まで、年寄り臭い声で鳴いていて、虫食いなどと人にいつもと違う名前で言われるのは、とても悔しくて残念である。それもただの雀などのように、いつも身近にいる鳥であればそうも思わないだろう。鶯が春に鳴く鳥だからである。」
夏秋になっても鳴く鶯の声を、清少納言は「老い声に鳴き」と表現していますが、実際にしゃがれた声になるわけではありません。・・・・なんて書いているそばで、今はっきりと大きな声で「ホーホケキョ」と鳴かれてしまいました。せっかく笹鳴きを始めたと書き始めたばかりですのに・・・・。ついでのことですが、「虫食い」とはウグイスの仲間の汎称でしょう。現在でもセンダイムシクイという鶯によく似た鳥がいます。鶯は毛虫などをよく食べますから、そのような俗称が生まれたと思われます。
とにかく夏秋の鶯の鳴き声が、「鶯の老いた声」と理解されることが平安時代からあったことがわかります。俳諧・俳句の世界では、春を過ぎて夏秋に鳴く鶯を「老鶯」(ろうおう、おいうぐいす)と呼ぶそうです。私の古歌のデータでは漏れているかもしれませんが、「おいうぐいす」は見当たりません。もし漏れていたら教えて下さい。仮にあったとしても、広く共有されてはいなかったことは確かです。「老鶯」という言葉は、私の勘では漢語に由来すると思うのですが、古い漢詩には詳しくないので、根拠を探し出すことができません。
「老鶯」を詠んだ俳諧としては、芭蕉の句がよく知られています。「鶯や竹の子藪に老いを鳴く」。『炭俵』に収められているのですが、鶯が年を取ることを嘆いて鳴いていると理解しているのでしょう。つまり実際に老をないているのは鶯ではなく、作者自身なのです。この句により、夏秋に鳴く鶯には、文学的奥行きが成熟するようになります。高齢者が夏秋に鶯の声を聞くと、自分自身の老をしみじみと思う情趣が共有され、芭蕉が詠んだ「鶯・・・・老を鳴く」が慣用的に詠まれるようになっています。
ただ鶯にとっては迷惑な話ですね。夏になったら鳴くなとしたり、夏や秋でも元気に鳴いているのに老い声だと言い、一年で老齢になると決めつけたり、全く人間は勝手なものです。
追記
平成28年10月23日朝6時頃、散歩の途中で鶯の笹鳴きを聞きました。一週間ほど前にも聞きましたから、10月中旬から鳴いているようです。
ひょっとして「笹鳴き」を御存知ない方もいらっしゃるかもしれませんので、念のため。鶯は囀らない秋から冬の間、藪の茂みの中で「チャッ・・・チャッ・・・チャッ」と低い声で地鳴きをしています。慣れないと雀の声ではないかと思うでしょうが、この時期の雀は集団で行動していますから、単独で鳴くことはありません。このような笹鳴きをする鶯を「笹子」と言います。何年か前に笹子トンネルで天井板が崩落する事故があったので、「笹子」という名前を記憶している方もいらっしゃることと思います。
鶯は「春告げ鳥」という異名があるように、古来「春の鳥」と理解されてきました。また「梅に鶯」というように、梅と相性のよいものとされてきました。しかし実際には特に梅を好むことはなく、秋になっても鳴いています。古人は春の鳥とは思っていても、夏に鳴くことも知っていました。『枕草子』には次のように記されています。
「鳥は・・・・鶯は・・・・夏秋の末まで老い声に鳴きて、虫くひなど、良うもあらぬものは名をつけかへて言ふぞ、くちをしくすごき心地する。それもただ雀などのやうに、常にある鳥ならばさも覚ゆまじ。春なくゆゑこそはあらめ。」
念のために現代訳も載せておきましょう。「鶯は・・・・夏・秋の終わり頃まで、年寄り臭い声で鳴いていて、虫食いなどと人にいつもと違う名前で言われるのは、とても悔しくて残念である。それもただの雀などのように、いつも身近にいる鳥であればそうも思わないだろう。鶯が春に鳴く鳥だからである。」
夏秋になっても鳴く鶯の声を、清少納言は「老い声に鳴き」と表現していますが、実際にしゃがれた声になるわけではありません。・・・・なんて書いているそばで、今はっきりと大きな声で「ホーホケキョ」と鳴かれてしまいました。せっかく笹鳴きを始めたと書き始めたばかりですのに・・・・。ついでのことですが、「虫食い」とはウグイスの仲間の汎称でしょう。現在でもセンダイムシクイという鶯によく似た鳥がいます。鶯は毛虫などをよく食べますから、そのような俗称が生まれたと思われます。
とにかく夏秋の鶯の鳴き声が、「鶯の老いた声」と理解されることが平安時代からあったことがわかります。俳諧・俳句の世界では、春を過ぎて夏秋に鳴く鶯を「老鶯」(ろうおう、おいうぐいす)と呼ぶそうです。私の古歌のデータでは漏れているかもしれませんが、「おいうぐいす」は見当たりません。もし漏れていたら教えて下さい。仮にあったとしても、広く共有されてはいなかったことは確かです。「老鶯」という言葉は、私の勘では漢語に由来すると思うのですが、古い漢詩には詳しくないので、根拠を探し出すことができません。
「老鶯」を詠んだ俳諧としては、芭蕉の句がよく知られています。「鶯や竹の子藪に老いを鳴く」。『炭俵』に収められているのですが、鶯が年を取ることを嘆いて鳴いていると理解しているのでしょう。つまり実際に老をないているのは鶯ではなく、作者自身なのです。この句により、夏秋に鳴く鶯には、文学的奥行きが成熟するようになります。高齢者が夏秋に鶯の声を聞くと、自分自身の老をしみじみと思う情趣が共有され、芭蕉が詠んだ「鶯・・・・老を鳴く」が慣用的に詠まれるようになっています。
ただ鶯にとっては迷惑な話ですね。夏になったら鳴くなとしたり、夏や秋でも元気に鳴いているのに老い声だと言い、一年で老齢になると決めつけたり、全く人間は勝手なものです。
追記
平成28年10月23日朝6時頃、散歩の途中で鶯の笹鳴きを聞きました。一週間ほど前にも聞きましたから、10月中旬から鳴いているようです。
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