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古代の御雇外国人 日本史授業に役立つ小話・小技 49

2024-06-29 06:34:50 | 私の授業
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

49、古代の御雇外国人
 「御雇外国人」というのは、明治時代に近代化のために欧米から招聘された各分野の専門家達のことです。全体で何人いるのかは知りませんが、短期間だった人や民間の組織が招聘した人達も含めれば、数百人はいたのではないでしょうか。明治期以外では「御雇外国人」と呼ばれることはありませんが、最先端の技術や文化を摂取するために、時の政府によって日本に招聘された知識人や技術者を「御雇外国人」と呼ぶなら、古代にも御雇外国人はいました。ただし来日した技術者や知識人と言っても、様々な形態があります。第一に百済の滅亡に伴って集団で亡命してきた様な場合は、「御雇」とは言えません。第二に初めは招聘されて渡来しても、帰国せずに定住してしまった場合もあるでしょう。第三に期間を限って招聘されたり日本に派遣され、任期が満了すれば帰国した場合もあるでしょうし、帰国するつもりだったとしても、日本で亡くなって帰国できなかった人もいるでしょう。この場合は御雇外国人と言ってよいと思います。
 この第三のような「御雇外国人」がいたことが、『日本書紀』に記されています。欽明天皇の十四年(553)六月には、次の様に記されています。ただし難しい漢文なので、現代語に直しておきます。「(名が不明の)内臣(うちのおみ)を百済に派遣した。・・・・勅して言うには、『医博士・易博士・暦博士らは順番によって来日し、また帰国している。今来ている者達はまさに交替する年月に当たっている。(汝が日本に)帰国する際に(連れて来て)交替させよ。また(その際に)易の書物・暦本・各種の薬をもたらせよ』」。この記述により、百済国から医・易・暦の専門家が、交替で日本に派遣されていたことが推察されますが、これこそ「御雇外国人」にほかなりません。
 百済はこの要請に応え、早速次の専門家を送って寄越しました。翌年の欽明天皇十五年(554)二月には、次の様に記されています。これも現代語に直しておきましょう。「百済は武官二人(名は省略)を派遣して、(高句麗の侵攻に対抗するための)救援軍の派遣を要請してきた。・・・・五経博士王柳貴を固徳馬丁安に交替させ、僧曇慧等九人を僧道深等七人に交替させ、それとは別に(欽明天皇の)勅を承って、易博士施徳王道良・暦博士固徳王保孫・医博士奈率王有悛陀・採薬師施徳潘量豊・固徳丁有陀・楽人施徳三斤・季徳己麻次・季徳進奴・対徳進陀を薦めてきた。彼等は皆請われて交替したものである。」。外国人なので人名を読むのが難しいのですが、ここでは深入りしません。要するに前年の日本の要請に応えて、易・暦・医の専門家だけでなく、五経博士や僧侶まで派遣してきたのですが、その背景には、救援軍派遣要請がありました。事実、同年五月には、内臣が水軍を率いて百済に出征したことが記されています。
 その後も百済はしばしば知識人や技術者を派遣してきました。敏達天皇六年(577)には律師・禅師や造仏工・造寺工を。崇峻天皇元年(588)には僧侶・寺工・罏盤博士(鋳造技術者)・瓦博士・画工が派遣されてきました。彼等は同年に建築が始まる法興寺建立に関わったと考えられます。
 この様に538年の仏教伝来以来、百済から多くの「御雇外国人」が国家間の交流の成果として派遣されたのでした。韓国人のユーチューブを見ていると、「日本に文化を教えてやったのだ」とか、桓武天皇の母である高野新笠が百済系であることから、「皇室は百済系である」とか、「日本は朝鮮の技術をパクった」とか、「日本は百済に支配されていた」などと、盛んにマウントを取って喜んでいるものがあります。それは心理学的には劣等感の裏返しだと思うのですが、いちいちまともに相手にする必要はないでしょう。ただし古代の日本に仏教・儒教(儒学)・易学・暦学・寺の建築技術など、新知識や新技術を伝えてくれたこと自体は事実なのです。もっともヤマト政権が百済を軍事的に支援していたことも事実なのですが・・・・。


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