うたことば歳時記

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韓国で非難される渋沢栄一の新一万円紙幣  日本史授業に役立つ小話・小技 50

2024-07-03 08:16:26 | 私の授業
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。


50、韓国で非難される渋沢栄一の新一万円紙幣

 令和6年7月3日、いよいよ新しい紙幣が発行されます。一万円札は渋沢栄一が肖像として採用されているのですが、韓国はそのことについて激しく抗議をしています。ネット情報の引用ですが、以下、中央日報の記事を載せておきます。

 渋沢は旧韓末に韓半島(朝鮮半島)に鉄道を敷設し、日帝強占期に京城電気(韓国電力の前身)社長を務めて「経済侵奪」で先に立った人物として批判を受けてきた。大韓帝国時代に利権侵奪のため韓半島で初めての近代的紙幣発行を主導し、自ら紙幣の主人公として登場し韓国に恥辱を抱かせた人物でもある。大韓帝国では1902年~1904年に日本第一銀行の紙幣として1ウォン札、5ウォン札、10ウォン札が発行されたが、この3つの紙幣に描かれた人物が当時第一銀行オーナーだった渋沢だった。誠信(ソンシン)女子大学の徐坰徳(ソ・ギョンドク)教授は「今回の1万円札の登場人物は2019年の安倍政権で決めたもので、これを是正しないでそのまま発行する岸田政権も問題が大きい。日帝植民支配を受けた韓国に対する配慮がないだけでなく、歴史を修正しようとする典型的な小細工戦略だ」と批判した。

 しかし渋沢栄一がなぜ韓国で問題にされるのか、日本人にはすぐには理解できないかもしれません。日本政府は明治時代に朝鮮・韓国に権益を拡大し、最終的には韓国併合に至るのですが、渋沢は同時期に日本経済の近代化を成し遂げた最大の功労者ですから、必然的に彼も朝鮮・韓国と関わることになりました。明治9年(1876)、日朝修好条規とそれに伴う貿易規則が締結されました。それによれば、朝鮮国が清国の属国ではない独立国であること、公使の首都駐在、両国間の自由貿易や釜山など3港の開港、領事裁判権、関税自初見の放棄などが確認されました。また付属する約款により、 開港場において日本人は自国の貨幣を使用することができることなども決められました。その結果、開港場の付近では日本の通貨が流通し始めるのですが、そもそもその頃の朝鮮には近代的な金融機関がなく、まともな統一通貨さえありませんでしたから、商取引には何かと不便を生じます。そこで日本政府は日朝貿易発展のためには銀行設立が急務であるとして、釜山に銀行を設立することにしました。そして明治11年(1878)、釜山の居留地内に第一国立銀行釜山支店を開設します。その結果日本の通貨(主に銀貨)が朝鮮に流通し始めるのですが、明治28年の三国干渉後に朝鮮国内ではロシアの影響力が強くなり、日本通貨の流通が縮小してしまいます。そこで明治35年(1902)、第一銀行(明治29年に第一国立銀行から改称)は、韓国で第一銀行券を発行しました。当時渋沢は第一銀行の頭取であったため、1・5・10円の銀行券には渋沢の肖像が描かれていたのです。この発行は韓国政府の承認を受けたものではありませんが、明治38年(1905)には韓国政府が正式な紙幣と認定しています。
 それならなぜ韓国政府はそれを認めたのでしょうか。金銀ならば万国に通用しますが、当時朝鮮で通用していた信用のある貨幣は日本の銀貨でした。仮に韓国が紙幣を発行しても、流通する保証がなかったからです。信用の裏付けのない紙幣というものは、単なる紙切れに過ぎませんから、誰も受け取ってくれません。そのため信用のある第一銀行券を承認せざるを得なかったのです。また韓国政府が貨幣を発行しようとしても、韓国独力では資金的に中央銀行の設立は困難であり、無理して発行すれば、自己の利益だけにしか関心がなく、当局者が私腹を肥やすであろうことは目に見えていました。官僚には本気で国家の近代化を成し遂げようとい雰囲気がまるでなく、渋沢栄一は、韓国国王を初めとして取り巻きの廷臣や官僚達が、極めて経済や貨幣の制度に暗く、また何に付けて進取の気概がないことをしばしばこぼしています。
 しかし国家主権の発動である貨幣の発行ができない韓国から見れば、「侵略者」である日本の銀行が発行した紙幣を使うことは屈辱以外の何物でもありませんでした。渋沢の紙幣発行から8年後の明治43年には韓国が併合され、紙幣を使う毎に渋沢の肖像を見せられていたのですから、韓国の人にしてみれば彼が韓国に対する「経済的侵略の象徴」と理解されたのも、ある意味では無理もありません。
 それでも渋沢栄一の名誉のために弁明するならば、明治時代初期の朝鮮国に、中央銀行もなく、紙幣を発行して流通させる政治・経済力がなかったことが最大の問題なのです。信用ある紙幣が発行されていれば、わざわざ異国の紙幣を自国の紙幣として認定する必要はなかったからです。そのような自らの問題を棚上げにして渋沢栄一を非難することは、自国の歴史を知らないとしか言いようがありません。もちろんこれには反論があるとは思いますが・・・・。
 ついでのことですが、第二次世界大戦後、昭和25年6月に大韓民国の中央銀行として韓国銀行が設立されますが、その直後に朝鮮戦争が勃発します。そのため新紙幣の発行ができず、急遽日本政府に依頼して大韓民国最初の紙幣が大蔵省の印刷局で印刷され、米軍の軍用機で運ばれました。肖像は大韓民国初代大統領の李承晩、単位は「圓」(円)と表記されていますが、現在韓国通貨の単位である「ウォン」は「円」の朝鮮語読みです。韓帝国と大韓民国最初の紙幣は、いずれも日本で印刷されたものだったのです。ただし「円」を通貨の単位とするのは、日本のオリジナルではありません。
 またNo Japan運動では問題にならなかったのですが、現在通用している韓国の5千ウォン・1万ウォン紙幣のホログラムは日本製ですし、韓国のパスポートの表紙も日本で印刷されています。
 これもついでのことですが、日韓の歴史問題について、確かな証拠・根拠に基づいて発信している韓国人のユーチューブを御紹介しておきましょう。それは「キムチわさび」というのですが、韓国人ユーチューバーはたくさんいても、その学術的公平性・客観性は群を抜いていて、他を寄せ付けません。これを見ずして日韓問題を論ずることはできません。まずは一度視聴してみて下さい。