居るところにはたくさん居て、農業や林業に大きな食害を与える鹿であるが、生息する地域も減ってきているのであろう。比企丘陵の末端にある我が家の周辺には、狸・兔・雉はいても、鹿を見たことはない。私はかつて埼玉県の川口の貝塚から鹿の歯を拾い、こんな所にも鹿が居たのかと驚いたものである。大きな獣の少ない日本においては、鹿は猪と並んで身近な動物であった。そのことは『万葉集』に68首も鹿を詠んだ歌があることからもわかる。そしてそのうちの多くが牡鹿が牝鹿を呼んで鳴くことを詠んでいる。鹿の姿を詠んだ歌がないわけではないが、人々の関心は、姿よりもっぱら鳴き声にあった。
それならば、鹿は何といって鳴くのだろうか。というより、人は鹿の鳴き声をどのように聞き取っていたのであろうか。『播磨国風土記』によると、応神天皇が狩に出かけた際に、鹿が比々(ひひ)と鳴いたことを哀れに思って、狩を中止したことが記されている。「ひひ」という音を、殺されるものの悲しみの声と感じたのである。
また和歌にも鹿の声の聞き成しを詠んだものがある。
①秋の野に妻なき鹿の年を経てなぞわが恋のかひよとぞ鳴く (古今集 雑 1034)
これは、秋の野に、妻のない鹿が、長い間なぜ自分の恋には効きめがないのかと、「かいよ」と嘆いて鳴いている、という意味である。つまり鹿の鳴き声を「かひよ」(かいよ)と聞き、「甲斐よ」「効よ」と理解しているのである。
鹿が「かひよ」と鳴くと共通理解されていたとすれば、次の歌も関係がありそうである。
②かひもなき心地こそすれさ雄鹿のたつ声もせぬ萩の錦は (後拾遺 秋 283)
鹿と相性の良い萩の花が盛りになっているのに、鹿の声が聞こえないのでは、せっかく咲いた甲斐がない、という意味である。萩の花は鹿の妻であるという理解さえあったのだから、妻が夫を待つ歌と理解することもでき、「かひもなき」の表現が生きてくる。とにかく、どこまで共通理解されていたかその広がりを確認する材料が乏しいが、鹿の鳴き声を「かひよ」(かいよ)と理解されることがあったことを確認しておこう。
それなら実際に「かひよ」と聞き取れるであろうか。実際に聞いた友人の感想では、女性の悲鳴のように聞こえたという。私も何度も聞いたことがあるが、「カイヨー」と聞こうと思えば聞けないことはなかった。 松尾芭蕉に「びいと啼く尻声悲し夜の鹿」という句があり、「びい」と聞いている。中国の『詩経』の「小雅」に「呦呦(ゆうゆう)」と鳴き声が表現されている。しかし動物の声を人の言葉として聞き取る聞き成しというものはもともと主観的で、どうにでも聞き取ることができるものである。例えば、ホトトギスならば、一般には「テッペンカケタカ」とか「特許許可局」と聞き成されている。「ホトトギス」という名称すらその鳴き声に因っているのであるから、聞き成しとは、もともとばらつきのあるものなのである。
ただ鳴き声の印象は、共通しているようだ。
③奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき (古今集 秋 215)
④さもこそは都恋しき旅ならぬ鹿の音にさへ濡るる袖かな (金葉集 秋 225)
⑤山里のあか月がたの鹿の音は夜半のあはれのかぎりなりけり (千載集 秋 319)
⑥寂しさを何にたとへん牡鹿鳴くみ山の里の明け方の空 (千載集 秋 323)
いずれの歌も鹿の声に寂寥や哀れを感じている。鹿は夜も盛んに動き回るからだろうから、特に宵から明け方にかけて鳴くため、聞く人の感情が昼間より増幅されるのであろう。ただ『万葉集』には68首も鹿の歌があるにもかかわらず、寂寥を感じさせる鹿の歌は極めて少ない。このことは他の歌にも共通していて、平安時代に日本人は新しい感性を持つようになったことを意味している。
しかし万葉時代から王朝時代に変わらぬ、鹿の鳴き声理解もあった。それは牡鹿が牝鹿を呼び、妻問して鳴いているという理解である。
⑦山彦の相響(あひとよ)むまで妻恋ひに、鹿鳴く山辺に独りのみして (万葉集 1602)
⑧このころの秋の朝明に、霧隠り妻呼ぶ鹿の声のさやけさ (万葉集 2141)
⑨秋なれば山響(とよ)むまで鳴く鹿に我劣らめや独り寝る夜は (古今集 恋 582)
⑩秋はなをわが身ならねど高砂の尾の上の鹿も妻ぞ恋ふらし (後拾遺 秋 287)
⑪妻恋ふる鹿ぞ鳴くなる独り寝のとこの山風身にやしむらん (金葉集 秋 222)
⑦⑨で「響む」(とよむ)という程に、静寂の中で突然聞こえる鹿の鳴き声は、遠くまでよく聞こえる。また⑦⑨⑪では独り寝の床で聞いているので、妻問いの声がなおさら切なく聞こえるのである。
インターネット上には、暗闇の中で突然に得体の知れない声を聞き、恐ろしかったという感想がたくさん見当たる。鹿の声を全く知らない人が初めて聞けば、無理もないことである。しかし妻問いに鳴くという予備知識を持って聞けば、今もしみじみとした「もののあはれ」の心をもって聞くことができるであろう。
話は突然とぶが、鹿の鳴き声といえば、「鹿鳴館」という明治中期の外交接待のための建物が思い浮かぶ。その命名の由来は、先程もあげた古代中国の『詩経』「小雅」の鹿鳴篇にある。これは賓客をもてなす時に歌われた詩だそうで、漢文の素養のない私には手に負えない。参考までにインターネットから引用して載せておこう。
呦呦(ゆうゆう)(鹿の鳴き声)と鹿鳴き、野の苹(へい)(よもぎ)を食(は)む。
我に嘉賓(かひん)あり、瑟(しつ)(こと)を鼓し笙を吹く。
笙を吹き簧(こう)(笛の舌)を鼓す、筐(きよう)(はこ)を承(ささ)げて是れ將(おこな)う。
人の我を好(よみ)し、我に周行(至美の道)を示す。 以下略
賓客をもてなす和やかな雰囲気が溢れていることぐらいは伝わってくる。ここでは鹿の鳴く声に寂寥感はない。想像ではあるが、それは古代の日本人と中国人の感性の相異に因るのかもしれない。
それならば、鹿は何といって鳴くのだろうか。というより、人は鹿の鳴き声をどのように聞き取っていたのであろうか。『播磨国風土記』によると、応神天皇が狩に出かけた際に、鹿が比々(ひひ)と鳴いたことを哀れに思って、狩を中止したことが記されている。「ひひ」という音を、殺されるものの悲しみの声と感じたのである。
また和歌にも鹿の声の聞き成しを詠んだものがある。
①秋の野に妻なき鹿の年を経てなぞわが恋のかひよとぞ鳴く (古今集 雑 1034)
これは、秋の野に、妻のない鹿が、長い間なぜ自分の恋には効きめがないのかと、「かいよ」と嘆いて鳴いている、という意味である。つまり鹿の鳴き声を「かひよ」(かいよ)と聞き、「甲斐よ」「効よ」と理解しているのである。
鹿が「かひよ」と鳴くと共通理解されていたとすれば、次の歌も関係がありそうである。
②かひもなき心地こそすれさ雄鹿のたつ声もせぬ萩の錦は (後拾遺 秋 283)
鹿と相性の良い萩の花が盛りになっているのに、鹿の声が聞こえないのでは、せっかく咲いた甲斐がない、という意味である。萩の花は鹿の妻であるという理解さえあったのだから、妻が夫を待つ歌と理解することもでき、「かひもなき」の表現が生きてくる。とにかく、どこまで共通理解されていたかその広がりを確認する材料が乏しいが、鹿の鳴き声を「かひよ」(かいよ)と理解されることがあったことを確認しておこう。
それなら実際に「かひよ」と聞き取れるであろうか。実際に聞いた友人の感想では、女性の悲鳴のように聞こえたという。私も何度も聞いたことがあるが、「カイヨー」と聞こうと思えば聞けないことはなかった。 松尾芭蕉に「びいと啼く尻声悲し夜の鹿」という句があり、「びい」と聞いている。中国の『詩経』の「小雅」に「呦呦(ゆうゆう)」と鳴き声が表現されている。しかし動物の声を人の言葉として聞き取る聞き成しというものはもともと主観的で、どうにでも聞き取ることができるものである。例えば、ホトトギスならば、一般には「テッペンカケタカ」とか「特許許可局」と聞き成されている。「ホトトギス」という名称すらその鳴き声に因っているのであるから、聞き成しとは、もともとばらつきのあるものなのである。
ただ鳴き声の印象は、共通しているようだ。
③奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき (古今集 秋 215)
④さもこそは都恋しき旅ならぬ鹿の音にさへ濡るる袖かな (金葉集 秋 225)
⑤山里のあか月がたの鹿の音は夜半のあはれのかぎりなりけり (千載集 秋 319)
⑥寂しさを何にたとへん牡鹿鳴くみ山の里の明け方の空 (千載集 秋 323)
いずれの歌も鹿の声に寂寥や哀れを感じている。鹿は夜も盛んに動き回るからだろうから、特に宵から明け方にかけて鳴くため、聞く人の感情が昼間より増幅されるのであろう。ただ『万葉集』には68首も鹿の歌があるにもかかわらず、寂寥を感じさせる鹿の歌は極めて少ない。このことは他の歌にも共通していて、平安時代に日本人は新しい感性を持つようになったことを意味している。
しかし万葉時代から王朝時代に変わらぬ、鹿の鳴き声理解もあった。それは牡鹿が牝鹿を呼び、妻問して鳴いているという理解である。
⑦山彦の相響(あひとよ)むまで妻恋ひに、鹿鳴く山辺に独りのみして (万葉集 1602)
⑧このころの秋の朝明に、霧隠り妻呼ぶ鹿の声のさやけさ (万葉集 2141)
⑨秋なれば山響(とよ)むまで鳴く鹿に我劣らめや独り寝る夜は (古今集 恋 582)
⑩秋はなをわが身ならねど高砂の尾の上の鹿も妻ぞ恋ふらし (後拾遺 秋 287)
⑪妻恋ふる鹿ぞ鳴くなる独り寝のとこの山風身にやしむらん (金葉集 秋 222)
⑦⑨で「響む」(とよむ)という程に、静寂の中で突然聞こえる鹿の鳴き声は、遠くまでよく聞こえる。また⑦⑨⑪では独り寝の床で聞いているので、妻問いの声がなおさら切なく聞こえるのである。
インターネット上には、暗闇の中で突然に得体の知れない声を聞き、恐ろしかったという感想がたくさん見当たる。鹿の声を全く知らない人が初めて聞けば、無理もないことである。しかし妻問いに鳴くという予備知識を持って聞けば、今もしみじみとした「もののあはれ」の心をもって聞くことができるであろう。
話は突然とぶが、鹿の鳴き声といえば、「鹿鳴館」という明治中期の外交接待のための建物が思い浮かぶ。その命名の由来は、先程もあげた古代中国の『詩経』「小雅」の鹿鳴篇にある。これは賓客をもてなす時に歌われた詩だそうで、漢文の素養のない私には手に負えない。参考までにインターネットから引用して載せておこう。
呦呦(ゆうゆう)(鹿の鳴き声)と鹿鳴き、野の苹(へい)(よもぎ)を食(は)む。
我に嘉賓(かひん)あり、瑟(しつ)(こと)を鼓し笙を吹く。
笙を吹き簧(こう)(笛の舌)を鼓す、筐(きよう)(はこ)を承(ささ)げて是れ將(おこな)う。
人の我を好(よみ)し、我に周行(至美の道)を示す。 以下略
賓客をもてなす和やかな雰囲気が溢れていることぐらいは伝わってくる。ここでは鹿の鳴く声に寂寥感はない。想像ではあるが、それは古代の日本人と中国人の感性の相異に因るのかもしれない。
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