秋の夜は歌詠みの心をいたく刺激するようで、鳴く虫・月・露・鹿・もみぢ・落ち葉・雁など多くの景物と取り合わせた古歌が伝えられている。その中の一つに、現在ではほとんど見られない砧というものがある。東京都世田谷区には砧という地名があり、「きぬた」「砧」を冠した店や企業などがあり、和菓子の名前ともなっていたり、「きぬた」「砧」という呼称は珍しくないのであるが、本来の砧となると、日本では博物館で見るものになってしまっている。
そもそも砧とは、洗濯して干した布や衣がまだ生乾きのうちに、それを叩いて皺を伸ばしたり艶を出すための道具のことである。まあ簡単に言えばアイロンに相当するものであるから、炭火を使う火熨斗が登場すると、廃れてしまう運命にあった。まして電気アイロンが登場すると、その存在意義はほとんどなくなってしまった。
その形状には二通りの形がある。一つは直系1尺以上はあろうかという丸太を輪切りにして台状に拵えたもので、重さは10㎏以上あるかと思われる。この台の上に衣を畳んで載せ、横槌と呼ばれる木槌で叩くのであるが、槌の重さは2~3㎏はあると思われる。もう一つは綾巻と呼ばれるもので、横軸に布をバウムクーヘンのように巻き取り、坐繰製糸の器械のように、その軸を受ける構造になっているが、綾巻を台に直接置いて叩くこともあったらしい。
『万葉集』を斜め読みで見落としているかもしれないが、「砧」とはっきり詠まれている歌はない。しかし衣を打つことを連想させる歌(巻12-3009)があり、砧は万葉時代から用いられていたとしてよいと思う。
砧打ちは洗濯物の仕上げとして行われることであるから、本来ならば季節に関係ないはずであるのに、私が整理したところでは、八代集には砧を詠んだ歌が十余首、『堀河百首』に16首あるが、すべて秋の夜の歌として詠まれている。昼間に洗濯して干し、よく乾ききっていないうちに打つから、自然と夜の作業になる。また日常的な洗濯物を打つのではなく、冬に備えた衣料品や寝具を打つことから、秋の歌に詠まれるのであろう。
秋の夜の砧を打つ歌をいくつかあげてみよう。
①小夜ふけて砧の音ぞたゆむなる月を見つつや衣打つらむ (千載集 秋 338)
②恋ひつつや妹が打つらん唐衣きぬたの音のそらになるまで、(千載集 秋 339)
③秋風は身にしむばかり吹きにけり今や打つらん妹がさ衣 (新古今 秋 475)
④ふけにけり山の端近く月冴えてとをちの里に衣打つ音 (新古今 秋 485)
⑤秋風は涼しくなりぬ唐衣たがためにとて急ぐなるらん (堀河百首 秋 804)
⑥頼めおきしほど経るままに小夜衣うらめしげなる槌の音かな(堀河百首 秋 815)
③⑤では、秋も深くなってきた頃に打っていることが詠まれていて、冬に備えた秋の作業であることがうかがわれる。①④は月と共に詠んでいるが、他にもそのような歌は大変多い。秋の月は格別に美しいものとされていたから、砧の歌は秋の月と共に詠むものという共通理解があったものと思われる。②③では女性の作業として詠まれている。⑥では、夜に訪ねて来ると約束した時間を過ぎても男が来ないので、砧の音が恨めしげに聞こえるというのであるから、これも女性の作業として詠んでいる。②でも、女性が砧を打ちながら待っているとされている。これらの歌を総合して考えてみるに、冬支度のために、女が月を眺めながらいつ来るともしれない男を待ち焦がれつつ、秋の夜長を徹して打つものというのが、砧の歌の基本的な詠み方であったと言えよう。
もっともこのような常套的な詠み方は、日本独自のものではない。李白の詩として有名な「子夜呉歌」(しやごか) 其の三 秋には次のように歌われている。
子夜呉歌 其三 秋 李 白
長安一片月 長安 一片の月 長安の空には一片の月がかかり
万戸擣衣声 万戸 衣を擣(つ)くの声 万戸から衣をつく音が聞こえる
秋風吹不尽 秋風 吹いて尽きず 秋風は吹き止まず
総是玉関情 総て是これ玉関の情 思いを玉関の彼方に馳せる
何日平胡虜 何れの日か胡虜を平らげ いつになったら胡虜を平らげ
良人罷遠征 良人 遠征を罷めん 夫は遠征をやめて戻ってくるのだろうか
秋の月夜、妻が夫の帰りを待ち侘びて衣を打つという、基本的要素は共通している。
そもそも砧とは、洗濯して干した布や衣がまだ生乾きのうちに、それを叩いて皺を伸ばしたり艶を出すための道具のことである。まあ簡単に言えばアイロンに相当するものであるから、炭火を使う火熨斗が登場すると、廃れてしまう運命にあった。まして電気アイロンが登場すると、その存在意義はほとんどなくなってしまった。
その形状には二通りの形がある。一つは直系1尺以上はあろうかという丸太を輪切りにして台状に拵えたもので、重さは10㎏以上あるかと思われる。この台の上に衣を畳んで載せ、横槌と呼ばれる木槌で叩くのであるが、槌の重さは2~3㎏はあると思われる。もう一つは綾巻と呼ばれるもので、横軸に布をバウムクーヘンのように巻き取り、坐繰製糸の器械のように、その軸を受ける構造になっているが、綾巻を台に直接置いて叩くこともあったらしい。
『万葉集』を斜め読みで見落としているかもしれないが、「砧」とはっきり詠まれている歌はない。しかし衣を打つことを連想させる歌(巻12-3009)があり、砧は万葉時代から用いられていたとしてよいと思う。
砧打ちは洗濯物の仕上げとして行われることであるから、本来ならば季節に関係ないはずであるのに、私が整理したところでは、八代集には砧を詠んだ歌が十余首、『堀河百首』に16首あるが、すべて秋の夜の歌として詠まれている。昼間に洗濯して干し、よく乾ききっていないうちに打つから、自然と夜の作業になる。また日常的な洗濯物を打つのではなく、冬に備えた衣料品や寝具を打つことから、秋の歌に詠まれるのであろう。
秋の夜の砧を打つ歌をいくつかあげてみよう。
①小夜ふけて砧の音ぞたゆむなる月を見つつや衣打つらむ (千載集 秋 338)
②恋ひつつや妹が打つらん唐衣きぬたの音のそらになるまで、(千載集 秋 339)
③秋風は身にしむばかり吹きにけり今や打つらん妹がさ衣 (新古今 秋 475)
④ふけにけり山の端近く月冴えてとをちの里に衣打つ音 (新古今 秋 485)
⑤秋風は涼しくなりぬ唐衣たがためにとて急ぐなるらん (堀河百首 秋 804)
⑥頼めおきしほど経るままに小夜衣うらめしげなる槌の音かな(堀河百首 秋 815)
③⑤では、秋も深くなってきた頃に打っていることが詠まれていて、冬に備えた秋の作業であることがうかがわれる。①④は月と共に詠んでいるが、他にもそのような歌は大変多い。秋の月は格別に美しいものとされていたから、砧の歌は秋の月と共に詠むものという共通理解があったものと思われる。②③では女性の作業として詠まれている。⑥では、夜に訪ねて来ると約束した時間を過ぎても男が来ないので、砧の音が恨めしげに聞こえるというのであるから、これも女性の作業として詠んでいる。②でも、女性が砧を打ちながら待っているとされている。これらの歌を総合して考えてみるに、冬支度のために、女が月を眺めながらいつ来るともしれない男を待ち焦がれつつ、秋の夜長を徹して打つものというのが、砧の歌の基本的な詠み方であったと言えよう。
もっともこのような常套的な詠み方は、日本独自のものではない。李白の詩として有名な「子夜呉歌」(しやごか) 其の三 秋には次のように歌われている。
子夜呉歌 其三 秋 李 白
長安一片月 長安 一片の月 長安の空には一片の月がかかり
万戸擣衣声 万戸 衣を擣(つ)くの声 万戸から衣をつく音が聞こえる
秋風吹不尽 秋風 吹いて尽きず 秋風は吹き止まず
総是玉関情 総て是これ玉関の情 思いを玉関の彼方に馳せる
何日平胡虜 何れの日か胡虜を平らげ いつになったら胡虜を平らげ
良人罷遠征 良人 遠征を罷めん 夫は遠征をやめて戻ってくるのだろうか
秋の月夜、妻が夫の帰りを待ち侘びて衣を打つという、基本的要素は共通している。
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