一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

イタリア紀行●その1

2011-08-22 16:41:34 | 紀行

 

 リア紀行 ●その1 はじめてのヨーロッパ、偶然のイタリア

 
写真は空からみたヴェネツィア

                             
 日本の外に出てみたいとそれほど真剣に考えていたわけではない。むしろあまりに日本のことを知らなさすぎると、このところ京都や奈良に目が向いていた。そんなとき、イタリアに1ヵ月間も滞在するという企画が、山仲間から舞い込んだのである。

 仲間の共通の友人に、イギリス人Pさんがいる。彼は「国際版寅さん」で、いわば世界を股にかけたフーテンである。小田原にアパートを借りているものの、観光目的では続けて3ヵ月以上は日本で暮らせない。3ヵ月経つと、いわば強制的に日本から放り出される。で、外国で3ヵ月間を暮らし、また小田原に帰ってくる。そういう暮らしをもう何年間も続けている(日本で暮らせる上限は6ヵ月)。外国もいろいろで、イギリスはもちろん、スイス、イタリア、チュニジア、ニュージーランド、オーストラリア、タイなど、数えあげればきりがない。

 6月末から滞在する土地はイタリア、それもイタリア・アルプスにほど近いヴィチェンツィアだという。Pさんの趣味のひとつが山登りで、イタリア・アルプスのドロミテの素晴らしさを彼から聞いた山仲間のひとりSさんが、ヴィチェンツィアに行くことを思いついた。どうせ行くのなら1ヵ月間滞在してイタリアの日常生活も体験したいと、年金暮らしのSさんは考えたらしい。4月いっぱいで会社という束縛から自由になった私にも、その企画への誘いがかかったのだった。

 私の海外体験はインドネシアだけである。それも40年も昔の話。海外旅行への興味はそれほど強くはなかったということだ。しかしイタリアと聞いて心が動いた。ヨーロッパへ行くのならまずはイタリアだと、オペラ好きの私は思っていた。とはいえこのところ山登りを怠っている。それに、イタリアまで行って山登りもなかろう、というのが正直な気持ちだった。

 Pさんは多趣味な人で、植物や鳥についても専門家顔負けの知識をもっている。それに大のオペラ・フアンでもある。彼はミラノ・スカラ座とアレーナ・ディ・ヴェローナの公演をインターネットで調べてくれた。前者はシーズン最後の公演で《アッティラ》、後者では《アイーダ》はどうかと提案してくれた。ヴェルディ好きの私はすっかり行く気になってしまった。彼らがドロミテに行く1週間は、1人でフィレンツェに出かけようと心に決めた。同行はオペラも好きなMさんとKさん、それにSさんと私。中高年の男女2名ずつのメンバーとなった。

 この話をオペラ仲間のUさんにすると、彼女はヴィチェンツァという地名に強い反応を示した。後期ルネサンスの建築家、パッラーディオが、この街に多くのパラッツィオ(宮殿)を建て、それらがいまも残っているという。世界遺産にも登録されていて、美術好きでもあるUさんには長年、憧れの街となっていたのだ。で、結局、ドロミテ組が登山中の1週間、我々のB&B(民宿)の1室に2人の女性たちが滞在することになり、その間私も彼女たちと行動を共にすることとなった(Uさんグループは女性ばかりの4名で、2名はB&B近くのホテルを予約することに)。

 話はさらに広がる。ヴェネツィア好きのIさんご夫妻が、たまたま6月末から7月上旬にかけイタリアを旅し、7月1日からはヴェネツィアに滞在するという。願ってもない話である。長年ヴェネツィアについて研究し、そこが第2の故郷とまでなっているIさんにヴェネツィアを案内してもらおう。こうして、私の旅にまた新たな要素が加わった。
  

                 

 

 

 

 

 

       


 6月2
4日の20時、日本を発って約16時間、パリで乗り換えた飛行機がヴェネツィアに到着した。数日前にイタリアの土を踏んでいるPさんが迎えにきてくれていて、22時過ぎにはヴィチェンツィアのB&Bに落ち着いた。ヴィチェンツィアは、ヴェネツィアから電車でほぼ1時間の距離にある。       ●j-mosa