一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

イタリア紀行●その6

2011-11-19 18:43:06 | 紀行

イタリア紀行 ●その6 流行都市ミラノと迷宮都市ヴェネツィア

 

 イタリアの都市はそれぞれ独特の趣をもっている。私は短い期間に、それも北イタリアを巡った程度であるが、都市の景観の多様性には驚かされた。年々均一化の傾向が著しい日本の都市に比べると、なおー層感懐が深くなる。古都の代表である京都・奈良にしても、神社仏閣の伝統はよく守られているものの、それらを取り巻く街の景観となると、何とも淋しい限りである。駅前は他の都市と少しも変わるところはないし、京都など無粋なタワーが実に目障りである。街づくりは住民の自治意識と関わりがあるのか、そして日本人にはそれが低いということなのだろうか。

 

 ミラノ・チェントラーレ(ミラノ中央)駅は、駅そのものが芸術作品である。ホームはドーム状の巨大な鉄骨で覆われていて、電車を降り立つ観光客をまず圧倒する。駅舎も壮大で天井も高く、壁面にはギリシア神話などをモチーフとした彫刻の数々。ムッソリーニの構想のもとにつくられた駅舎のようだが、ファシズム的誇大発想が生み出した傑作建造物といえよう。

 

 ドゥオーモ駅はチェントラーレ駅から地下鉄で四つ目。地上に出ると、眼前には壮麗なドゥオーモ(大聖堂)が迫る。



白く輝くその偉容に、またも圧倒されることになる。1386年から建造が開始され、1813年、ナポレオンによってようやく完成をみたというこのドゥオーモは、頂上近くまで登ることで、その400年余の歳月を実感できる。天を突く135本の尖塔、壁面の至る所には、2245体もあるという彫像群。



下から見上げただけでは到底見ることができないこれら彫刻群の制作を、何百年にもわたって、一体どのように管理してきたのだろうか。考えるだけでも頭がクラクラしてくる。

 

 広々としたドゥオーモ前広場からは、特徴あるいくつもの街路が広がる。そのひとつが、19世紀末につくられたというヴィットリオ・エマヌエ一レ2世のガッレリア(商店街)である(写真↓左が入口)。



銀座四丁目に、天井の高いアーケードが設置されたというイメージだろうか。プラダやルイ・ヴィトンなどのブランド店が軒を並べる。落ち着いた雰囲気ながら、世界の流行の最先端にいるというゴージャスな気分を味わうことができる。



そこを抜けるとスカラ座広場。中央にレオナルド・ダ・ヴィンチの像が立つ。オペラ観劇の余韻は、広場とガッレリア、そして美しくライトアップされたドゥオーモによって、さらに深いものになる。



オペラ劇場も、街の景観に美事に組み入れられている。

 

 都市景観の美しさといえば、まずはヴェネツィアをあげねばならない。ヴィチェンツィアを別にすれば、ヴェネツィアは再訪したい街の最右翼である。たった3泊の滞在で、それもほんの一部分を歩いただけなのだが、この街の魅力は十分に味わえたように思う。

 

 イギリス人の友人Pさんのお蔭で、私たちは最良の形でヴェネツィアに入ることができた。終着駅、サンタ・ルチア駅前の広場には車は見当たらない。目の前はもう運河である。目的地のホテルまで行くには歩くか船に乗るしかない。ヴァポレットとよばれる水上バスはひんぱんに出ているのだが、Pさんは我々のために水上タクシーをチャーターしてくれた。イタリア語も達者なPさんは運賃を110ユーロに値切る。そしてホテルまでは、カナル・グランデ(大運河)をゆっくりと航行する、大廻りのコースをとってもらった。甲板に立ち、水上の古都ヴェネツィアを心ゆくまで堪能する。大運河はかなりの幅があり、バス、タクシーがひんぱんに行き来する。優雅なゴンドラも散見される。そして何百年もの時を経た古い館の数々。それらのたもとは水に洗われ、旅情を越えた感慨を覚える。




リアルト橋↑      サン・マルコ聖堂前広場↓

 

 ヴェネツィアの魅力のひとつはもちろん水である。狭い路地を歩いていると、すぐに水路に行き当たる。ゴンドラが優雅に浮かんでいたり、小さな舟が舫っていたりする。



異国情緒はいやがうえにも高まるのだが、水の効用はもっと深い。ヴェネツィアの古さ、そののしかかるような伝統を、柔らかく中和してくれるのだ。古い都市は往々にして息苦しい。しかしここでは、至る所に水があることによって、それが浄化されているような気がする。

 

 ヴェネツィアの路地は迷路そのものである。水路とならんでこの路地も、ヴェネツィアに独特の魅力を与えている。


私は、ヴェネツィアを第二の故郷としているI夫妻とともに、丸一日の路地裏散歩を楽しんだ。ヴェネツィア人の一日を体験しましょうと、朝、まずバーカロ(居酒屋)に案内された。なんと、アルコールで喉を潤すことから一日が始まるのだという。確かに地元の人らしい客で店は混んでいる。皆、立ち飲みである。私は白ワインを注文したが、グラッパ(ブドウの搾りかすからつくられる蒸留酒)などの強い酒を所望する人もいるらしい。

 

 I夫妻は、いかにも見知った土地という具合に狭い迷路を歩き始める。その先々に、15歳のモーツァルトが滞在した宿、ゲーテが1786年に泊まったホテル、ジョルジュ・サンドが住んだアパート、マルコ・ポーロの生まれた家、等々があるのだった。しかし時にI氏の博識についていけない。ビアンカ・カッペルロの生家といわれても、?である。トスカーナ大公の二番目の妃で、天正遣欧少年使節団の伊東マンショがはじめてダンスを踊った相手だという。いずれにしても、数日間の観光ではとても訪れることのできない場所を案内してもらったことになるが、どの建物も昔のまま残っているところがすごい。少年モーツァルトが、あの3階の窓からこの水路を眺めていたのか、と思うだけで心が熱くなった(写真↓左手前の家)。

 

 散策に疲れるとカフェで休息。どのカフェを選ぶかはその日の気分次第となる。コーヒーの種類は少ないが、それぞれのカフェは味で勝負をしているという。そして夕刻、再びバーカロに立ち寄り、食前酒を味わう。I夫人にならって、私はベッリーニなる飲み物を注文する。手渡された小さなグラスにはピンクの液体。かすかに甘い香りがする。フルーティーで上品な味がした。ただしアルコール度は高そうである。夕食はI夫妻が宿泊しているホテル階下のレストランにて。ヴェネツィア近海の魚料理をたっぷり味わった。

 

 ところで、迷路探索に欠かせないのが地図である。それもホテルでもらう簡単なものではなく、路地の名前が詳細に記された地図を手に入れたほうがいい。それを片手に、路地裏の店々をウインドウ・ショッピングするも楽しいものだ。





私がそれでもっとも重宝したのが7月1日の深夜。I夫妻と別れた後、私は詳細地図を頼りに一人で迷路を歩きまわり、1時間近くかけてホテルにたどり着いた。このささやかな経験は、千年の都ヴェネツィアに対しての親しみを、なお一層増してくれたように思われる。
                       ●j-mosa