一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【113】

2011-11-03 21:28:35 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【113】
Kitazawa, Masakuni  

 柿の葉が茜色となり、落葉しはじめ、ツワブキが黄色い花をつけ、芝生の隅にサフランが明るい紫の花を開き、秋色が深まった。柚子の実はまだ緑だが、色づきはじめたらタイワンリスとの睨みあいとなり、先手を打って収穫しなくてはならない。

タイの大洪水に思う 

 タイの国土の大きな部分が大洪水に見舞われている。日本企業の被害ばかりがメディアを賑わしているが、タイの被災者の方々には本当にお気の毒であり、東日本大震災お見舞いのお礼に、日本も積極的に貢献しなくては東南アジア蔑視、あるいは人種差別だといわれてもしかたがない。 

 しかし、50年来といわれる雨季の大量降雨がその引き金となったことはたしかだが、これはここ数十年の急激な「近代化」のひずみが引き起こした人災という側面が大きい。 

 かつてのタイは、ナイルの氾濫が肥沃な農地を造りだした古代エジプトと同じく、チャオプラヤ河の毎年の氾濫が、流域の広大な水田地帯に肥沃な土壌を運び、水稲の豊饒な収穫をもたらしてきた。それがタイ王国の豊かさの基盤であったのだ。 

 だがこの数十年の経済のグローバリゼーションは、労働力の安いタイに各国の企業の生産工場を集中させ、水田は埋め立てられ、広大な工業団地を現出させた。それと同時にわが国の高度成長期に似た農村人口の都市への大流入がはじまり、首都バンコクとその周辺に人口の過密化が起こり、都市は膨張した。 

 同時に国際的工業団地の進出によって縮小した農業の穴を埋めるため、上流地域では森林の伐採による農地の拡大がはかられることとなった。森林の保水機能が小さくなり、同じく遊水池でもあった水田のかなりの面積が失われる結果は、いうまでもなく雨季の河川の静かな氾濫と、乾季の排水という自然そのものがもつ水の循環機能が失わせることである。例年にない降水量はただちに工業団地や大都市を冠水させる「洪水」となり、生産や都市の機能を麻痺させる。これほど大規模なものではないとしても、今後も工業団地やバンコクは、洪水の被害につねに脅かされることとなるであろう。なぜならこれは、急激な近代化がもたらす構造的なものに根本原因があるからである。

 だがこれはひとごとではない。戦後の高度成長期、巨大ダムやコンクリート堤防などの設置に頼り、自然そのものがもつ治水機能を無視してきたわが国も、地球温暖化によって増大してきた降雨量によって、いつ大規模な洪水が起こってもおかしくないからである。

 平野部での傾斜が急な山梨県には、かつて武田信玄が築いたといわれる「信玄堤(しんげんづつみ)」が多くあるが、それは大量の降雨によって急激にくだってくる河川の水を迂回させ、遊水地に導入し、奔流する鉄砲水によって堤が破壊されることを防ぐ知恵であった。自然の力を認識し、それをうまく利用することによってみごとな治水を行ってきたこうした先人の知恵を、われわれはいまこそ学ばなくてはならない。

 文明は自然に逆らうかぎり、いつか没落の憂き目にあうこととなる。タイの大洪水はこのことを教えている。