- 松永史談会 -

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その足で長草田池へ

2018年02月24日 | repostシリーズ
お歯黒


近世の今津村風俗答書に両親のいる15歳の未満の男子を外泊させる風習が記載されていた。これは谷川健一がどこかで書いていた「試験婚」という風習と関係するのかいなか興味がある。私の祖父の場合もそうだったが近世の元服年齢14、5歳で入籍しているというのは奇妙な風習だと思ったものだ。

今津でも結婚したり子供が生まれたりすると女はお歯黒・引眉(眉毛をそり落とす風習)したようだ。お歯黒も引眉も醜態の極みだと思われるのだが、そういえばビルマ女性の顔に「タナカ」という白粉を塗る風習があるが、結婚してタトゥをする習慣なども女性の美醜の差を使った未婚/既婚の身体標識だったのだろう。髪型も既婚者は丸髷にしたようだ。

お歯黒をして「半元服」、眉を剃り落として作り眉にすることを「本元服」と言い、成人女性と認められる通過儀礼でした。次第にお歯黒をつける年齢は十三歳、十七歳と上がって、江戸中期以降は、結婚前後に歯を黒く染め、子供が生まれると眉を剃り落とすようになっています。現在の美観とは全く違う、“お歯黒・剃り眉”のメークが江戸時代には慣習になって定着していたのです。

お歯黒の女性(明治初期沼隈郡今津村の女性)


その足で長草田池へ・・・堰堤はアカメガシワが繁茂(胃腸疾患用の漢方薬)。クズ餅など和菓子用の澱粉とりに使われた根っこをもつ、いまや嫌われ者の筆頭:クズ全盛。昔、木蝋をとったウルシ科のやヌルデ(通称かぶれの木、お歯黒用に利用した有用樹)の木がわたしは草からしの薬剤で悉皆的に処理してきたので最近ここでは激減中。

馬酔木(あせび)の葉や花を煎じて、家畜の駆虫剤に使った


牛の皮膚病治療には有毒樹「馬酔木」を使ったらしい。健康対策として近世の年中行事では7月の七夕の日に家畜を海に連れて行って海水浴させたようだ。



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