- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

祓いと清めー旧暦6月に行われた「虫送り」ー

2018年02月24日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
虫送り団の行進(災厄を地域共同体の一方の端からもう一方の端としての海に流す形式で払うパフォーマンスだ。呪術としては期待する結果を模倣する形でパフォーマンスを行うという面では感染呪術[最悪の原因となっていると観念されたものを竹棒+幟につけそれを村堺から受け取り、それらを海へ流すことによって追い出す形の呪術的行為]的)


生活世界(life world・・・folkloreを含む日常的な知の世界)を支配したのは当時の日本人を支配していたあらゆる災厄を「清め」と「祓い」(清祓)という行為で解決出来ると考えた原始的というか前科学的な心性(論理・・・レヴィ・ブリュール『未開社会の思惟』、1910年と『原始的心性』、1922年)だったろう。河本四郎左衛門主導の迷信にどっぷりの江戸時代人の世界が透かし見えてくる。



御調郡原田村小原(広島藩領)から剣大明神境内から海へ。6㌔ほどの行程だった。氏神さん(本郷八幡)の祭祀圏の一方の端から別の一方の端に向けて厄を送る。






富士川游の「迷信の研究」・・・・参考になるかなと思って借り出してみたが・・・・

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沼隈郡今津村の雨乞い神事で使われた近世末期の鬼面

2018年02月24日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
桐を使った鬼面。桐材なので軽い。オデコ部分には2本の角が着けられたのだろう。今津村の祭礼ではいろんな場面に此の種の鬼面が使われた。6月の雨乞い神事、7月15日の砂揚げ祭では鉦・太鼓・幟と共にこの鬼面が使われた。



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その足で長草田池へ

2018年02月24日 | repostシリーズ
お歯黒


近世の今津村風俗答書に両親のいる15歳の未満の男子を外泊させる風習が記載されていた。これは谷川健一がどこかで書いていた「試験婚」という風習と関係するのかいなか興味がある。私の祖父の場合もそうだったが近世の元服年齢14、5歳で入籍しているというのは奇妙な風習だと思ったものだ。

今津でも結婚したり子供が生まれたりすると女はお歯黒・引眉(眉毛をそり落とす風習)したようだ。お歯黒も引眉も醜態の極みだと思われるのだが、そういえばビルマ女性の顔に「タナカ」という白粉を塗る風習があるが、結婚してタトゥをする習慣なども女性の美醜の差を使った未婚/既婚の身体標識だったのだろう。髪型も既婚者は丸髷にしたようだ。

お歯黒をして「半元服」、眉を剃り落として作り眉にすることを「本元服」と言い、成人女性と認められる通過儀礼でした。次第にお歯黒をつける年齢は十三歳、十七歳と上がって、江戸中期以降は、結婚前後に歯を黒く染め、子供が生まれると眉を剃り落とすようになっています。現在の美観とは全く違う、“お歯黒・剃り眉”のメークが江戸時代には慣習になって定着していたのです。

お歯黒の女性(明治初期沼隈郡今津村の女性)


その足で長草田池へ・・・堰堤はアカメガシワが繁茂(胃腸疾患用の漢方薬)。クズ餅など和菓子用の澱粉とりに使われた根っこをもつ、いまや嫌われ者の筆頭:クズ全盛。昔、木蝋をとったウルシ科のやヌルデ(通称かぶれの木、お歯黒用に利用した有用樹)の木がわたしは草からしの薬剤で悉皆的に処理してきたので最近ここでは激減中。

馬酔木(あせび)の葉や花を煎じて、家畜の駆虫剤に使った


牛の皮膚病治療には有毒樹「馬酔木」を使ったらしい。健康対策として近世の年中行事では7月の七夕の日に家畜を海に連れて行って海水浴させたようだ。



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